神奈川県道12号横浜上麻生線
![]() 神奈川県道12号横浜上麻生線(かながわけんどう12ごう よこはまかみあさおせん)は、神奈川県横浜市神奈川区から同市都筑区などを経て川崎市麻生区に至る主要地方道(県道)である。横浜市の「3環状10放射道路」を構成する放射路線の一つである都市計画道路(横浜国際港都建設計画道路3・3・32号横浜上麻生線)として整備が進められているが[1]、一部区間では市道がバイパス道路として整備されている(後述)。通称は、横浜市内が「横浜上麻生道路」、川崎市内が「麻生通り」である。 路線データ
歴史江戸時代には、横浜上麻生道路の前身となる「日野往還」と呼ばれる道があり、東海道神奈川宿から六角橋、岸根、小机を経て川向で鶴見川を渡り、佐江戸で中原街道と交差、川和を経て市ヶ尾で大山街道と交差、更に鉄、下麻生、大蔵、図師、小山田を経て日野に至るルートで通っていた[2]。この道は、村と村をつなぐ道であり、年貢を期限までに差し出すために、米俵を背に汗を拭いながら農民が歩いた道とされる[3]。 この道には地域により様々な異称が存在し、川和では「八王子道」、小野路では「神奈川街道」[2]、小机では「飯田道」と呼ばれていた。 明治になると、神奈川や横浜で消費される生活物資である薪、炭、野菜、柿などの運搬道路として農民に利用されていた[4]。この頃は、神奈川より都筑郡川和に至るので「都筑往還」とも称されていた。 1920年(大正9年)4月1日の「神奈川縣告示第百二十二號」(府縣道ノ認定)により、神奈川県道神奈川日野線(横浜市神奈川-都筑郡柿生村)が指定される。 1964年(昭和39年)12月28日の「建設省告示第三千六百二十号」により、横浜上麻生線が主要地方道として指定される。 路線状況横浜市立都田中学校入口交差点から東福寺西側交差点までの区間、及び市ヶ尾交差点から環状4号入口交差点付近までの区間は、横浜市都市計画道路として整備された市道のバイパスがある。バイパス区間は県道、および主要地方道の指定はされていない。以下、経由地は交差点名を示す。
通称
重複区間
道路施設橋梁地理通過する自治体交差する道路
周辺の鉄道
ギャラリー脚注
関連項目外部リンク
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