立川只四楼
立川 只四楼(たてかわ ただしろう、本名:内藤 陽介(ないとう ようすけ)、1979年6月18日 - )は、落語家である。 岩手県盛岡市出身(一部プロフィールでは神奈川県出身となっている)。太田プロダクション所属。東京NSC8期生出身。ピン芸人時代の芸名はメンソールライトであり、転身後もしばらく太田プロのホームページにこの名義で掲載されていた。 来歴・人物過去に会津孝太とのコンビ『インジャリカン』(東京吉本所属)で活動。その後2005年4月解散後、太田プロダクションに移籍し、『のみくい処』として再結成。いずれもボケ担当だった。2008年6月に解散後ピン芸人として活動。 芸名は土田晃之が命名[1]。この芸名は「男(メン)がどん底(ソール)を経験した時に光(ライト)が見えた」という意味を持つ[2]。 お笑いライブ「TEPPEN」にて「第7代TEPPENピンチャンピオン」のタイトルを持つ[2]。 M-1グランプリ2010では、本日は晴天なりとのコンビ「メンソールレフト」で出場[3]。 中華料理が特技にあり[4]、横浜中華街で5年間アルバイトしていた経験があるという[5]。 2015年10月、落語家に転身。立川談四楼に入門し、立川只四楼の名をもらう。談四楼は当初、只四楼がメンソールライトであることを明かしていなかったが、12月の談四楼の独演会にて初高座。高座を見て、正体に気付いたファンの複数のツイートを受けて談四楼がそれを認めている[6][7]。 芸風主に漫談。立ち飲み漫談、落語家漫談等を得意とする。口調や仕草が立川談志にそっくりである。これはピン芸人になった時に見た談志の高座に感銘を受けたため[8]。 ネタ中にテーマに沿ったジョークを言うが、客が感心してしまい笑わない場合「拍手じゃなくて(オーじゃなくて)笑い声が欲しいんだよ」と言う事がある。ギャルをネタにする事が多い。 出演番組テレビ
ラジオ出典外部リンク |
Portal di Ensiklopedia Dunia