筑波大学附属視覚特別支援学校
筑波大学附属視覚特別支援学校(つくばだいがくふぞく しかくとくべつしえんがっこう、英: Special Needs Education School for the Visually Impaired, University of Tsukuba)は、東京都文京区目白台に所在する国立特別支援学校(盲学校)。国内で唯一の国立視覚特別支援学校(盲学校)である。 概要→詳細は「東京盲唖学校 § 沿革」を参照
1875年(明治8年)5月22日、慶應義塾初代塾長古川正雄(会頭)の発案により、津田仙、中村正直、岸田吟香(書記)、ボルシャルト、ヘンリー・フォールズがフォールズ宅で集まり、盲人学校を設立するための主体「楽善会」が発足。翌年、前島密、小松彰、杉浦譲、山尾庸三が加わっている。1884年(明治17年)、聾唖者の教育も受け入れることとなり訓盲唖院と改称、1886年には楽善会から文部省に移管されて官立学校となり、1888年(明治21年)に東京盲唖学校と改称された。1909年(明治42年)、盲唖分離が実現し現在地(東京都文京区目白台3丁目27番6号)に東京盲学校が設立。戦後の学制改革では、国立学校の数を減らすことが意図され、東京教育大学の附属学校の一つとなる。筑波大学の設立に伴い1978年に筑波大学附属盲学校に、さらに2007年には従来の「特殊教育」といった呼称などを廃し「特別支援学校」の名を冠する文部省の方針から、筑波大学附属視覚特別支援学校に名称が変更されている。 幼稚部、小学部、中学部、高等部(普通科・音楽科・専攻科(鍼灸手技療法科 ・鍼灸手技療法研修科・理学療法科・音楽科))を設置している。1886年(明治19年)4月以来、寄宿舎を設置し、中学部・高等部からは、全国から生徒を募集している。 また、幼稚部、小学部の入学試験は行われず、全員が入学できる。児童は、寄宿舎に入ることができないため、全員が通学生である。 教育全盲児童・生徒には点字を使用、弱視児童・生徒には主として普通文字を使用して学習を進めている。全盲児童・生徒のために工夫された様々な教材・教具を活用して学習を進めている。 幼稚部3歳から5歳児までの在籍幼児に加え、0歳児から2歳児段階の乳幼児と家族のための育児学級を設けている。 小学部盲弱学級と特別学級を設置している。盲弱学級と特別学級との合併の時間を設けたり、個別指導を行ったりすることもある。 卒業生のほとんどは本校および公立の盲学校へ進学している。なお、本校中学部への連絡入学の制度は現在のところ設けられていない。 中学部中学校に準じた普通教育を行っている。障害の特性に合わせて学習を進め、生活範囲を広げるために、通常の中学校にはない自立活動という授業もある。 学習場面では、点字使用生徒と墨字使用生徒のグループに分かれ、障害に応じた配慮のもとにきめ細かい指導を行っている。 生徒が全国各地から集まっているため、中学部の半数以上は寄宿舎生活を送っている。高等部普通科および音楽科への推薦入学の制度があり、一定の基準を満たした生徒はこの制度を利用して進学することができる。卒業後の進路は、本校または、公立特別支援学校(盲学校)高等部へ進学する生徒が大半を占めているが、それ以外の学校に進む生徒も若干いる。 高等部普通科高等学校に準じた普通教育を行っている。卒業生は、7~8割は一般の大学、2~3割は専攻科等に進学している。 高等部音楽科・専攻科音楽科全国でも数少ない視覚障害者の音楽の専門教育機関であり、130年以上の歴史をもつ。 器楽専攻、声楽専攻、作曲専攻からなる。 専攻科音楽科については、1997年度より入学者の年齢制限を撤廃されている。 高等部専攻科高等学校を卒業した生徒を対象としている。
社会人・留学生の受け入れ鍼灸手技療法では、あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師のすべての免許を有する視覚障害者に、より深く理療を学ぶための1年課程である研修科を設置している。 高等部専攻科鍼灸手技療法科には各学年2名ずつの留学生枠を設け、インドネシア、キルギス、ミャンマーなどアジア近隣国からの視覚に障害のある留学生を受け入れるとともに、視覚障害者の職業教育支援の一環として、インドにおけるあん摩マッサージ等の職業教育支援事業を数年にわたり、展開している。 また、世界各国からの研修や見学なども日常的に受け入れている。 施設校舎は鉄筋4階建てで、階段は4箇所。 このほか、敷地内には寄宿舎、体育館、プール、グラウンドなどがある。 沿革
著名な教員および卒業生(東京盲学校時代を含む)
関連校脚注
文献
関連項目外部リンク |
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