紀伊山地の霊場と参詣道
紀伊山地の霊場と参詣道(きいさんちのれいじょうとさんけいみち)は、和歌山県・奈良県・三重県にまたがる3つの霊場(吉野・大峰、熊野三山、高野山)と参詣道(熊野参詣道、大峯奥駈道、高野参詣道)を登録対象とする世界遺産(文化遺産)。2004年7月7日に登録され、2016年10月26日に登録範囲の「軽微な変更」がなされた。 概要日本では12番目に登録された世界遺産で、近畿地方では5番目にあたる[1]。登録時の規模は、核となるエリアと、その保護のための周辺地域を合わせて日本の世界文化遺産では最大となる1万1865.3ヘクタールにおよぶ[2]。標高1000メートル級の山々が連なる紀伊山地は、太古から自然を神格化して崇める信仰が盛んな地域で、古代の都がおかれた奈良盆地近辺の人々の信仰を集めていた[1]。6世紀に大陸から日本に仏教が伝わってからは、7世紀後半に山岳修行の地となっていき、9世紀に伝わった真言密教は高野山、10世紀から11世紀にかけて盛んになった修験道は吉野・大峰や熊野三山が主な修行の場となった[1]。特に熊野三山は神道の信仰の場でもあった[2]。高野山、吉野・大峰、熊野三山は三大霊場として、神仏習合の思想によって密接なかかわりをもち、各霊場へと結ばれる参詣道として、大辺路、中辺路、小辺路、大峰奥駈道、伊勢路、高野山町石道が整備されていった[2]。 日本の世界遺産で初めて道が登録されたものであり、文化遺産のカテゴリーのなかでも、人間の営みと自然の特異な結びつきを示す名勝・庭園・遺跡などを意味する「文化的景観」にも初めて選ばれた[3]。 2016年(平成28年)10月24日に追加登録、軽微な変更がなされている[4]。 登録までの歩み
遺産の種別登録基準この世界遺産は世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録された(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。
具体的には、
登録資産以下に登録資産の一覧、および、登録資産と日本国内法上の文化財指定の対応を示す[13][14]。登録資産のうち、「吉野・大峯」、「熊野三山(補陀洛山寺除く)」、「参詣道」のうち「大峯奥駈道」および「熊野参詣道」の一部は吉野熊野国立公園に含まれる。また、「高野山」および「熊野参詣道」の一部は高野龍神国定公園に含まれる[15]。
分布図関連する公的な動き和歌山県の姉妹道提携世界遺産として登録された「道」の先例であるサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路の最終地であるスペインのガリシア州と、熊野古道の最終地である和歌山県とは、古道の最終地としての永続的な友好関係を確立するため、1998年10月9日に両古道の姉妹道提携を締結した[16]。その後、熊野古道を含む「紀伊山地の霊場と参詣道」もユネスコの世界遺産に登録されたため、道の世界遺産どうしの交流を続けている。 和歌山県の世界遺産条例登録範囲の変更熊野参詣道の世界遺産登録範囲を追加する申請が2016年(平成28年)1月にユネスコ世界遺産センターへ提出され[18]、トルコのイスタンブールで開催された第40回世界遺産委員会で審議予定であったが、クーデター未遂事件により審議延期となり、10月26日にフランス・パリのユネスコ本部で再開された継続会議において登録が承認された。 追加対象は、中辺路から北郡越、長尾坂、潮見峠越、赤木越、小狗子峠、かけぬけ道、八上王子跡、稲葉根王子跡、阿須賀王子跡、大辺路から富田坂、タオの峠、新田平見道、富山平見道、飛渡谷道、清水峠、二河峠、駿田峠、闘鶏神社、高野参詣道[注 1]から三谷坂(丹生酒殿神社を含む)、京大坂道不動坂、黒河道、女人道で、追加区間の総延長は40.1kmである。沿道自治体として橋本市・上富田町・串本町が加わった。 日本遺産熊野参詣道の内、唯一世界遺産に登録されていない紀伊路に関し、2015年制定の日本遺産に「絶景の宝庫 和歌の浦」の構成資産として海南市の紀伊路藤白坂、藤白塔下王子跡、藤白神社(藤代王子)が2017年に認定され、これを足掛かりに世界遺産を目指す方針を表明している[19]。 再追加登録を目指して2016年の追加登録の際、紀伊路も含める準備が進められたが、保全状況が不十分として見送られた経緯がある[20]。その後、紀伊路での文化財指定や景観保全が進められていることから、 機運が高まっている。また、「熊野中道」と形容される古座街道[21]、旧道のルートが不明なままの区間や埋没したままの箇所がある大辺路での「熊野古道大辺路刈り開き隊」などによる古道の追加確認、さらに奥辺路の提唱と顕彰などもあり、さらなる拡張登録を目指す動きもある[注 2]。 同様に2016年の追加登録に網羅されなかった伊勢路も、熊野川と並走する川端(川又)街道や紀伊長島以北の未登録区間の推薦を目指す動きもあり、三重県議会の2022年(令和4年)11月定例月会議において推薦を急ぐべきとの質問に対して教育長が「世界遺産委員会が新規登録と同様の手続きや審議が必要な”重大な変更”と判断するかもしれない」という可能性を文化庁から聞かされたとの答弁をし、一筋縄ではいかない実状があることが明らかになった[22]。 伊勢路に関しては、紀伊長島町のツヅラト峠と大紀町の荷坂峠以北区間の内、大紀町の三瀬坂峠、大紀町と大台町に跨る三瀬の渡し、大台町の殿様井戸・猿木坂・不動谷の道(馬鹿曲がり)・千福寺、多気町の女鬼峠、玉城町の石仏庵を2025年度中に国指定史跡への追加指定を目指し、それを足掛かりに世界遺産への追加登録とする計画が明らかになった。登録されれば石仏庵を最東端として伊勢神宮まで直線で約7キロのところまで延伸されることになり、名実ともに伊勢路となる[23]。 ガイダンス施設世界遺産条約第5条にある「文化遺産及び自然遺産の保護、保存及び整備の分野における全国的、または地域的な研修センターの設置」という条文に基づく「来訪者施設(ビジターセンター)の整備及び個々の資産における説明と情報提供を行う場所」として、和歌山県世界遺産センターと三重県立熊野古道センターが設置されたが、奈良県では未設置である。 問題地権者との対立三重県尾鷲市で遺産登録地域の地権者が、抗議の意を込めて所有山林の立ち木に落書きをしており問題になっていた。一般的ないたずらの落書きとは違い、抗議が目的であるために強硬な措置は取られず話し合いにより解決する方向だった。これは、地権者に対する事前説明がなされずに遺産登録されたため、市教育委員会や市側の対応に不信感を持ったことによる抗議行動であった[24]。抗議文は、平成21年にこの地権者の手によって消去された[要出典]。 観光地化による影響遺産本体部分やその緩衝地帯、さらには(世界遺産には含まれないが)その周辺地域での損壊が絶えない。特に、参詣道跡である熊野古道周辺でそれが著しい[要出典]。また、世界遺産登録後、観光客の殺到によって一部の遺産では荒廃が進んでいる(観光公害)との指摘もある[誰によって?]。 女人禁制の問題→詳細は「大峰山における女人禁制」を参照
世界遺産登録に際して大峰山の女人禁制が問題視され、登録の前後に再び女人禁制廃止に関する議論が高まり、2003(平成15)年12月には登録に反対する「『大峰山女人禁制』の開放を求める会」が設立され、翌年内閣府に12234筆の署名が提出された[11]。こうした反対運動が行われていたにもかかわらず、世界遺産に登録された[11][25]。 →「高野山 § 「女人禁制」文化のロマン化」も参照
関西電力の風力発電計画2005年1月、関西電力は果無山脈に風力発電のための風車を建設する計画を発表した。果無山脈は遺産にも緩衝地帯にもあたらないが、熊野古道から容易に眺望しうるため景観に悪影響を与える恐れがある[26]。また、果無山脈それ自体が近隣の河川(熊野川、日置川、富田川、日高川)の分水嶺となっており、工事による河川への悪影響が懸念されている[誰によって?]。 古道の「整備」中辺路・大辺路を中心に2002年頃から数度にわたり、地元自治体の公共事業(古道の整備を目的とする)、古道とその周辺での植生の刈り払いが何度か行われたが、景観の悪化や、貴重な照葉樹林の損失など、むしろ弊害が大きく批判の対象となっている[要出典]。加えて、いくつかの事例には和歌山県が関与している他、国の緊急地域雇用創出特別基金事業の下で行われた県の公共事業「緑の雇用事業」の一環であるものもあるなど、行政当局の遺産保護に対する姿勢や「縦割り」の弊害を問う声があがっている[誰によって?]。 古道整備に伴うアクセシビリティを求める声と、文化財として改変には否定的な見解の対立もある[要出典]。 森林の無断伐採2011年に、熊野速玉大社の所有に掛かる山林が、同大社や新宮市教育委員会などの許可を得ないまま無断で伐採されていたことが判明した。地元住民から「日当たりが悪い」などの苦情を受けた地元森林組合が、森林の一部を伐採していた[27]。 脚注注釈
出典
参考文献
関連項目外部リンク
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