藤田美術館
藤田美術館(ふじたびじゅつかん) は、大阪市都島区網島町にある、東洋古美術を中心とした大阪府の登録博物館である。運営は、公益財団法人藤田美術館。 2017年(平成29年)6月12日よりリニューアルのため長期休館し、2022年(令和4年)4月1日に再開した。年末年始(12/29~1/5)を除いて通年開館し、コレクション展を行っている。 来歴![]() ![]() ![]() 実業家で男爵であった藤田伝三郎(旧字:傳三郎、1841年 - 1912年)、その長男の藤田平太郎(1869年 - 1940年)、伝三郎の二男の藤田徳次郎(1880年 - 1935年)のコレクションを展示している。戦後間もなく日本銀行に担保として押えられていたが、藤田鉱業常務の小川栄一によって散逸を免れる。1951年(昭和26年)財団法人藤田美術館として法人化、美術館の開館は1954年(昭和29年)5月であった。なお2013年(平成25年)10月、公益財団法人に移行した。 藤田伝三郎は、西南戦争で巨利を得、「藤田組」を設立した、明治時代の関西財界の重鎮であった。骨董収集の面でも関西第一と言われ、その豪快な買いっぷりは伝説化している[1]。伝三郎の没後、 1929年(昭和4年)、1934年(昭和9年)、1937年(昭和12年)の計3回[2]にわたって藤田家蔵品の売り立てが行われた。この時売却された蔵品には、現在各地の美術館に納まっている名品[1]を含む860点が売られ、売上は当時の金額で731万円(現在の価値で約230億円位か)にも上ったといわれる[2]。それでもなお、現在の藤田美術館には国宝9件、国の重要文化財53件を含む名品が数千点所蔵されており、藤田家コレクション全体の規模の大きさが想像される。 藤田美術館の所在地は、多くの蔵が並んでいた藤田家本邸(網島御殿)の跡地である。大工棟梁・今井平七の指揮のもと建てられた藤田邸は明治末期の建設時、関西で最大級の和風邸宅であった。邸宅内には30を越す茶室があった。敷地内には、本邸、西邸、東邸とあったが、東邸(現在の太閤園跡地・淀川邸)と本邸の表門(現:藤田邸跡公園南出入口の門)と多数の蔵、そして和歌山県高野山の光台院から移築して新たに銅板葺にした多宝塔を除き、1945年(昭和20年)6月7日の第3回大阪大空襲により全て焼失。1954年(昭和29年)から、京都大学の日比忠彦設計の日本最初期の鉄筋コンクリート蔵[3](主に皿などを収蔵していた)を改装した建物を、美術館の展示室として使用していたが、収蔵品の質・量に比してやや手狭であることは否めない。展示室スペース不足から、春・秋の特別展の際にのみ収蔵品を選んで展示する形態となった(古い蔵が展示館なので、収蔵品の劣化防止のために寒暖が厳しい季節に開館できないからであるという)。 上記を経て、全面建替のうえ、2022年(令和4年)4月1日にリニューアルオープンした。新しい美術館は、旧施設で展示室や収蔵庫として利用していた蔵の扉、窓、木材などを利用しつつ、空調や耐震などの設備を備えている。また、新施設では展示室の運用を工夫することで、展示替などによる休館が不要となり、休館日は年末年始のみ。「若い人たちにもっと美術鑑賞の機会を」との想いから、19歳以下は無料で鑑賞が可能(その場合は証明が必要)。現館長の藤田清は、伝三郎から数えて5代目の子孫である。 藤田邸庭園藤田邸跡の庭園は、現在は藤田邸跡公園となっている。園内に滝を配置するなど特徴のある庭園である。この庭園は戦後放置され鬱蒼とした森となっていたのを、JR東西線建設工事時に建設基地として使われるために木が伐採され、東西線開業後に大阪市によって公園として整備されたものである。藤田邸跡公園は、隣接する桜之宮公園とは異なり夕方以降は閉門され、夜間は入園することができない。美術館との境界にあった塀は撤去され、藤田邸跡公園と自由に往来することができる。 『心中天網島』の舞台藤田家本邸は、1912年(明治45年)に当地にあった大長寺の敷地を明治十八年の淀川洪水後に買収して建てられた。美術館正門(現在の藤田邸跡公園のゲート)は当時の山門がそのまま残っているとされるが、実際は違う(大長寺は北に300mほどの場所に移転した)。大長寺は近松門左衛門の『心中天網島』で小春・治兵衛が心中した場所である。この時大長寺は現在地の北に300mほどの都島区中野町2丁目に移転し、小春・治兵衛を供養する比翼塚も同時に移転したのである。したがって、本来の『心中天網島』の舞台は藤田美術館ならびに藤田邸跡公園である。 文化財![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 国宝
重要文化財
典拠:2000年(平成12年)までの指定物件については、『国宝・重要文化財大全 別巻』(所有者別総合目録・名称総索引・統計資料)(毎日新聞社、2000)による。 その他所蔵品
収蔵品の売却2017年(平成29年)3月15日、クリスティーズの山口桂との交渉の末、収蔵品の陳容作「六龍図」や紀元前13-11世紀に造られた青銅器「青銅儀首饕餮文方尊」などの中国美術品31点を同社のニューヨークのオークションに出品。うち29点が落札され、落札額の総計は当初の想定額の大きく上回る約2億6,280万ドル(301億円)に達し、東洋美術における一度のオークション史上で最高額を記録した。美術館は、オークションで調達した資金を施設の建て替えやコレクションの充実に充てるとしている[8][9]。 アクセス鉄道バス
道路周辺情報脚注
参考文献外部リンク |
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