1968年ベルギーグランプリ
1968年ベルギーグランプリ (1968 Belgian Grand Prix) は、1968年のF1世界選手権第4戦として、1968年6月9日にスパ・フランコルシャンで開催された。 28周で行われたレースは、マクラーレンのブルース・マクラーレンが6番手スタートから優勝、BRMのペドロ・ロドリゲスが2位、フェラーリのジャッキー・イクスが3位となった。 背景前戦モナコグランプリでロータス・49Bのフロントノーズに初めてウイングが装着されたが、このアイデアはフェラーリやブラバムにも採用された。フェラーリはエースのクリス・エイモンの312にリアウイングを初めて装着し[1][2]、エイモンのチームメイトであるジャッキー・イクスの312にはウイングが装着されなかった[3]。ブラバムはジャック・ブラバムのBT26にリアウイングを装着し、揚力に対抗するためフロントノーズにダイブプレーンを取り付けた[4]。次戦オランダグランプリにはイクスの312にもウイングが装着された(そして他チームもこのアイデアを採用していった)。 インディ500でダン・ガーニーが2位、デニス・ハルムは4位となった[5]。 エントリー前戦モナコGPを欠場したフェラーリのエイモンとイクスが復帰し、右腕を骨折したジャッキー・スチュワートもマトラ・インターナショナルに復帰したが[5]、しばらくは副え木を当てての参戦を強いられた[6]。ルシアン・ビアンキはクーパーに留まり、ルドビコ・スカルフィオッティの後任となった[5]。 エントリーリスト
予選クリス・エイモンがウイングを装着したフェラーリ・312で、2番手のジャッキー・スチュワート(マトラ・インターナショナル)に4秒の差を付けてポールポジションを獲得した。ウイングを装着しなかったジャッキー・イクスは3番手で、フェラーリ勢がフロントローの3台のうち2台を占めた[注 1]。2列目はジョン・サーティース(ホンダ)とデニス・ハルム(マクラーレン)、3列目はブルース・マクラーレン(マクラーレン)、ピアス・カレッジ(レグ・パーネル・レーシングのBRM)、ペドロ・ロドリゲス(BRM)が占めた。グラハム・ヒルとジャッキー・オリバーのロータス勢は金曜日に2台ともマシントラブルを抱え、土曜日が雨となったため、後ろから2列目に沈んだ[5]。 その土曜日にルドビコ・スカルフィオッティがロスフェルドで行われたヒルクライムの事故で亡くなったというニュースが流れた。それは4月のジム・クラーク、5月のマイク・スペンスに続く、この年3人目となる現役F1ドライバーの訃報であった[5][10]。 結果
決勝日曜日はくすんだ曇り空で、スタートでクリス・エイモンがリードし、ジャッキー・イクス、ジョン・サーティース、デニス・ハルムがエイモンを追ったが、2周目にサーティースがリードを奪った。グラハム・ヒル、リチャード・アトウッド、ジャック・ブラバム、ヨッヘン・リントがマシントラブルに巻き込まれ、相次いでリタイアした[5]。 ブライアン・レッドマンは7周目にサスペンションが壊れ、コンクリートウォールを超えて駐車されていた車に激突したためリタイアし、そのままサーキットを離れた。マシンは炎上したが、レッドマン自身は右腕の骨折といくつかの軽度の火傷で済んだ[5]。 その後まもなく、エイモンはサーティースが撒き散らした小石がオイルラジエーターに当たり、そこからオイルが漏れてリアタイヤが滑り、コースアウトを喫してリタイアとなり[13]、首位のサーティースも12周目に左リアサスペンションのロアアームがモノコックから剥離してしまい、姿を消した[14]。これでハルムがリードを奪ったが、すぐにジャッキー・スチュワートに追い越され[5]、ハルムのドライブシャフトが破損して減速するまで[15]2人は目まぐるしく首位の座を入れ替えた[5]。これでスチュワートはブルース・マクラーレンに30秒の差を付けてリードしたが[5]、残り2周で燃料を使い果たしてピットインしてしまい、マクラーレンが首位に立ってそのままチェッカーフラッグを受けた[15]。ペドロ・ロドリゲスが2位、イクスは3位でフィニッシュした[5]。 ブルース・マクラーレンは1962年モナコグランプリ以来6年ぶりに通算4勝目を挙げ、ジャック・ブラバムに次ぐ自らの名を冠したマシンでF1世界選手権レースを制した2人目(オーナー兼ドライバーを含めると、前年のベルギーグランプリでイーグルのダン・ガーニーが勝って以来3人目)のドライバーとなった[16]。また、マクラーレンチームにとっても記念すべきF1世界選手権における初勝利であった[17][注 2]。 結果
達成された記録
第4戦終了時点のランキング
脚注注釈
出典
参照文献
外部リンク
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