1963年イタリアグランプリ
1963年イタリアグランプリ (1963 Italian Grand Prix) は、1963年のF1世界選手権第7戦として、1963年9月8日にモンツァ・サーキットで開催された。 本レースを制したジム・クラークが、初めてのドライバーズチャンピオンを決めた。また、スクーデリア・フェラーリが100戦目の出走[1]を達成したレースでもある。 レース概要![]() レース主催者は当初、1961年まで使用していたオーバルとの複合コースで開催する予定だったが、金曜日の午後に従来のロードコースのみで開催することを決めた[2]。なお、F1世界選手権でレース距離が300マイル(約482.803km)を超えたのは本レースが最後である。 ホームグランプリとなるフェラーリは、セミモノコック仕様の156 Aero(通称:アエロ)を投入し、エースのジョン・サーティースに与えた。開発中だったV8エンジンも本レースからデビューさせる予定だったが間に合わず、従来のV6エンジンを使用するも、サーティースがポールポジションを獲得した[3]。サーティースのチームメイトは前戦ドイツGPの事故で負傷したウィリー・メレスに代わり、前年に解雇したロレンツォ・バンディーニを呼び戻した[4]。ロータスも非選手権レースのメディトレニアンGPで負傷したトレバー・テイラーに代わって、マイク・スペンスを起用した[5][2]。 サーティースはレース序盤、グラハム・ヒルに先行されるが4周目に首位の座を取り戻した。しかし、17周目にエンジントラブルでリタイアに終わった。以後、ジム・クラーク、グラハム・ヒル、ダン・ガーニーの三つ巴の戦いがレース中盤まで続く。この中からまずグラハム・ヒルがクラッチに問題を抱えて後退し、続いてガーニーも燃料供給に問題を抱えてマシンを止めた。これでクラークはペースを緩めていき、最終的に2位のリッチー・ギンサーに1分半の差を付けて優勝した[2]。クラークはシーズン5勝目を挙げ、3戦を残して初のドライバーズチャンピオンを決めるとともに、ロータスに初のコンストラクターズチャンピオンをもたらした。最終ラップでジャック・ブラバム、ヨアキム・ボニエ、イネス・アイルランドが相次いでマシントラブルに見舞われた中、ブルース・マクラーレンが3位表彰台を獲得した[2]。 エントリーリスト
結果予選
決勝
第7戦終了時点のランキング
脚注
参照文献
外部リンク
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