1963年アメリカグランプリ
1963年アメリカグランプリ (1963 United States Grand Prix) は、1963年のF1世界選手権第8戦として、1963年10月6日にワトキンズ・グレン・グランプリ・サーキットで開催された。 レースは110周で行われ、BRMのグラハム・ヒルがポール・トゥ・ウィンを飾り、チームメイトのリッチー・ギンサーが2位、ロータスのジム・クラークが3位となった。 レース概要初めてワトキンズ・グレンに来たフェラーリを含むチームがアメリカに来たとき、ジム・クラークは7戦5勝で既にチャンピオンを獲得していた。しかし、グレンで行われた本レースは、グラハム・ヒルとBRMのものとなり、チームメイトのアメリカ人リッチー・ギンサーに30秒以上の差を付けて優勝した。クラークはダミーグリッド(F1で初めて使用)上でバッテリーが上がってしまい、1周以上取り残された後に猛追の末に3位[1]。フェラーリのジョン・サーティースは残り30周で首位走行中にエンジンが壊れ、ヒルがトップに立った。 金曜日の予選初日に、クラークのロータスは前年の予選タイム(1分15秒8)よりも速い1分15秒0のラップタイムを記録した。ヒルとサーティースがクラークに続き、3人がすぐに1分14秒台に突入した。ヒルのBRMはバックストレートでコースアウトしてしまい、森の木にヒットしてしまったが、セッションの終わりに1分13秒4の最速タイムを出した。ジャック・ブラバムは、グレンから20マイル(約32km)離れたエルマイラの空港でレンタカーやタクシーを見つけることができず、トラックをヒッチハイクしてサーキットへ来ることができた。 土曜日、ピーター・ブローカーのステブロ(搭載されたフォードの直列4気筒エンジンは、クライマックスとBRMのV8エンジンが約200馬力 (150 kW)だったのに対し、110馬力 (82 kW)しかなかった。シャシーも記録上は史上初のカナダ製F1マシンであったが、実際はカナダのスピードショップが作った無名のフォーミュラ・ジュニア[2]用である[3]。)がコース上にオイルを撒き散らした。セッションは30分中断したが、金曜日よりコースコンディションが悪かったため、グラハム・ヒル、クラーク、サーティース、ギンサー、そしてジャック・ブラバムとダン・ガーニーのブラバム勢がトップ6に入った。ギンサーとガーニーに加えて、グリッドには5人のアメリカ人ドライバー(マステン・グレゴリー、フィル・ヒル、ジム・ホール、ハップ・シャープ、ロジャー・ワード)がいた。そしてF1で最も活躍したメキシコ人ドライバーであるペドロ・ロドリゲスがF1デビューを果たした。
サーティースはまずギンサーに仕掛け、BRM勢を分断して2位に浮上し、7周目にはヒルを抜いてトップに立った。ガーニーもヒルに追いつき、2位に浮上する。15周目までにクラークは14位まで順位を戻したが、エンジンの調子はまだ良いとは言えなかった。 ヒルは30周目にサーティースに迫り、サーティースを2回追い抜くも抜き返され、その後はサーティースの後方を走行し続ける。43周目、3位を走行中のガーニーが燃料切れとシャシーのトラブルで急減速してリタイアし、クラークは7位まで順位を戻す。
ヒルはチームメイトのギンサーに34秒差を付けて優勝し、開幕戦モナコGP以来のシーズン2勝目をようやく挙げた[4]。新チャンピオンのクラークは、エンジンがミスファイアしていたブラバムに追いつき、3位表彰台を獲得した。ヒルは初めてアメリカGPを制したが、彼は1964年と1965年の同GPも制することになる。 エントリーリスト
結果予選
決勝
第8戦終了時点のランキング
脚注
参照文献
外部リンク
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