1974年の南海ホークスでは、1974年の南海ホークスの動向をまとめる。
この年の南海ホークスは、野村克也選手兼任監督の5年目のシーズンである。
概要
前年川上哲治監督率いる巨人相手に日本シリーズに1勝4敗で敗退し巨人のV9を許したものの、野村監督は「今年も優勝する」と宣言。しかし、前期は投手陣の好投を打線が見殺しにする試合が目立ち4位で終了。後期はロッテに次ぐ2位に付けたものの、総合成績では59勝55敗16分の3位に転落し連覇はならなかった。前期65試合のうち、引き分けが10試合もあったことから接戦の弱さがモロに出る形となった。投手陣では移籍2年目の山内新一や江本孟紀がローテーションを守ったが、前年優勝の立役者となった西岡三四郎が右肩痛に襲われ勝ち星が半減したが防御率は3.06でリーグ1位となった。打撃陣は島野育夫・桜井輝秀の1・2番コンビは健在だったが、兼任監督の野村が12本塁打に終わった。この頃から江本や西岡などの主力選手が野村監督の愛人だった沙知代夫人(前年には長男・克則が生まれていた)の現場介入に反感を抱き、これが原因で他球団へ放出されることになる。
チーム成績
レギュラーシーズン
1974年パシフィック・リーグ順位変動
前期
順位
|
4月終了時
|
5月終了時
|
前期成績
|
1位
|
ロッテ |
--
|
阪急 |
--
|
阪急 |
--
|
2位
|
阪急 |
1.0
|
太平洋 |
2.5
|
ロッテ |
4.5
|
3位
|
太平洋 |
4.0
|
ロッテ |
4.0
|
太平洋 |
6.5
|
4位
|
日本ハム |
4.5
|
近鉄 |
7.0
|
南海 |
7.0
|
5位
|
近鉄 |
5.5
|
日本ハム |
8.0
|
近鉄 |
9.0
|
6位
|
南海 |
6.0
|
南海 |
8.5
|
日本ハム |
12.0
|
|
後期
順位
|
7月終了時
|
8月終了時
|
後期成績
|
1位
|
ロッテ |
--
|
ロッテ |
--
|
ロッテ |
--
|
2位
|
南海
|
南海 |
2.5
|
南海 |
5.0
|
3位
|
日本ハム |
2.5
|
阪急 |
4.5
|
阪急 |
5.0
|
4位
|
太平洋 |
3.5
|
太平洋 |
7.5
|
太平洋 |
10.0
|
5位
|
近鉄 |
4.0
|
近鉄 |
9.5
|
近鉄
|
6位
|
阪急 |
5.0
|
日本ハム |
12.0
|
日本ハム |
15.0
|
|
*優勝はプレーオフで決定。2位以下はプレーオフの結果に関係なく勝率順で決定
オールスターゲーム1974
できごと
選手・スタッフ
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監督 | |
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一軍コーチ | |
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二軍監督・コーチ | |
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投手 | |
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捕手 | |
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内野手 | |
---|
外野手 | |
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[2]
表彰選手
ドラフト
脚注
注釈
出典
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1930年代 | |
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1940年代 | |
---|
1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
---|
1980年代 | |
---|
1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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1945年は戦況悪化のため、公式戦を休止。合同チームによる非公式戦のみ開催。 |