1990年サンマリノグランプリ
1990年サンマリノグランプリ(伊: 1990 Gran Premio di San Marino)は、1990年F1世界選手権の第3戦として、1990年5月13日にイモラ・サーキットで決勝レースが開催された。 概要ヨーロッパラウンド開幕戦サンマリノGPでは、ドライバー交代やニューマシン投入などの変更が行われた。
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予選予備予選結果
予選結果
※ピエルルイジ・マルティニは予選2回目走行中アクアミネラーリでクラッシュし、左脚を骨折。決勝出走を断念した。 決勝スターティンググリッドはマクラーレン、ウィリアムズ、フェラーリ、ベネトンという今期序盤の戦力分布を示しているが、ティレルの新鋭アレジがベネトン勢より前の7番手に割り込んだ。スタートでは2番グリッドのベルガーが先行するも、ポールシッターのセナとブーツェンに抜かれて3番手へ後退。アレジはトサコーナーへの飛び込みでフェラーリ勢をかわして5番手に浮上する。後方集団では接触事故が起こり、中嶋のニューマシンが全損してしまった。 4周目、先頭のセナがリバッツァコーナーで突然コースアウト、ホイール破損によりリタイアとなった。これで首位に立ったブーツェンも17周目にルノーエンジンが息絶え、上位はベルガー、パトレーゼ、マンセル、プロストの順で周回を重ねる。 レース中盤になるとマンセルがペースを上げ、パトレーゼをかわしてベルガーに肉薄。タンブレロの立ち上がりでベルガーに並びかけるが、コースをはみ出してグリーン上で高速360度スピン。素早く立て直してティフォシたちから喝采を浴びたが、ほどなくエンジンから白煙を上げリタイアとなった。今後はパトレーゼがベルガーに迫る。残り10周、バリアンテ・アルタへの進入でベルガーをかわし、パトレーゼが開幕3戦目で3人目のウィナーとなった。2位ベルガーに続き、プロストの追い上げをしのいだナニーニが3位表彰台を獲得した。プロストは硬めのBタイヤでスタートし、途中ピットインしてCタイヤに交換したが、精彩を欠く週末となった。 4月に36歳の誕生日を迎えたパトレーゼの優勝は、ブラバムに在籍していた1983年南アフリカGP以来。99戦の「最もインターバルがあいた優勝記録」として記憶された。2018年アメリカGPでキミ・ライコネン(フェラーリ)が113戦ぶりに優勝し、パトレーゼの記録を更新したが[2]、経過日数でいえばパトレーゼは6年7カ月、ライコネンは5年7カ月と、まだパトレーゼの方が最長期間となっている[3]。 決勝結果
レース後の選手権ランキング
脚注
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