2006年バスケットボール世界選手権
![]() 2006年FIBAバスケットボール世界選手権(FIBA World Championship 2006)は2006年(平成18年)8月19日から9月3日にかけて日本で開催された第15回バスケットボール世界選手権。通称「2006世界バスケ」。アジアでの開催は1978年フィリピン大会以来。大会のマスコットキャラクターは「バッドばつ丸」。 なお、この大会で優勝したスペインは、2008年に開かれる北京オリンピックへの出場権を獲得した。 開催までの経緯「さいたまスーパーアリーナ」の着工が決定したのに伴い、1997年1月に日本バスケットボール協会から同アリーナをメイン会場として2002年世界選手権招致への要請を受け、当時の埼玉県知事であった土屋義彦が中心となり招致活動を展開した。同年11月、2002年の開催は米国に敗れたものの、2006年の開催を決めた。なお、土屋氏は後に日本協会会長就任が決まっていたが、2003年に起きた長女の不祥事により県知事職を引責辞任しており、協会内外から非難を浴び辞退している。 2000年のこけら落としではスーパードリームゲーム2000、2001年にはヤングメン世界選手権(現・U-21世界選手権)が行われた。 2004年6月3日、全開催地が決定した。 本大会開催を1年後に控えた2005年、大会運営による財政難が指摘され、協会登録者から協力金を徴収する方針を決めたが、反発に遭い断念した。 同年11月にすべての出場国が決定し、2006年1月15日、組み合わせ抽選会が行われた。 開催地グループゲームラウンド (2006年8月19日~24日)
ファイナルラウンド (2006年8月26日~9月3日)
出場国世界選手権の出場枠は予選(大陸選手権)を勝ち抜いた18カ国とアテネオリンピック優勝のアルゼンチン、ワイルドカード4カ国、そして、開催国日本の24カ国で行われた。参加国数は1986年大会と並んで最多タイとなっている。 アフリカ大陸(アフリカ選手権)オセアニア大陸(オセアニア選手権)アメリカ大陸(アメリカ選手権)アジア大陸(アジア選手権)ヨーロッパ大陸(欧州選手権)特別招待枠(ワイルドカード)
これらの国より当該大陸の予選で成績が優秀だった国もあったが、人気その他様々な要素が考慮されて 招待国が決定された。 試合形式グループゲームラウンド
ファイナルラウンド
Group A(仙台)
Group B(広島)
Group C(浜松)
Group D(札幌)
決勝
順位決定戦
最終結果
![]() 表彰選手
得点上位者
大会スポンサー
FIBAスポンサーテレビ中継衛星放送スカイパーフェクト・コミュニケーションズ(現・スカパーJSAT)が国内独占放映権を獲得。
地上波日本戦及び決勝戦はTBSで録画中継された。
スペシャルサポーター
イメージソング
開催後今大会は当初さいたまでの集中開催を予定していたが、諸般の事情によりグループゲームラウンドは分散開催となり経費が膨れ上がり、日本協会へのテレビ放映権などの取り分は少ない契約となっていたなどから、大会運営は13億円もの赤字となった。 日本協会は赤字の半分を負担する補正予算を提出したが、都道府県協会に6億5000万円を負担させる内容だったため、評議員会では地方協会役員が多い評議員の反対に遭い否決。その後も評議員に学識経験者を加えるなどして評議員会を招集したが、流会が続いた。予算自体は2007年11月の評議員会で採決されたものの、執行部に対する一部評議員の不信感はなお残り、日本オリンピック委員会(JOC)からの資格停止、その後の執行部刷新に至った。 当選手権以前は、日本協会側がかつてJBLだったチームが脱退し発足したbjリーグに対し、一部名門大学でbjリーグのトライアウトを受けた選手に除籍処分を下す方針を打ち出すなど選手との接触をタブーとするなど徹底した対立をしていたが、先述の問題における責任の所在を巡る日本協会の執行部派と反執行部派の内紛により、JBL自体のイメージダウンに繋がってしまった。皮肉な事に、その他の事情から新規参戦希望チームなしと言う事態に陥り、反bjリーグ派の役員の多くが退陣するに至り、2010年には日本協会側がbjリーグを承認、JBLとの歩み寄りを見せる等進展している。この脱退劇は、当選手権開催を巡る対立が発端であるとされ、歩み寄りの経緯に関しては、上記の内紛が最大の理由と言われている。 関連項目外部リンク |
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