2011年ノルディックスキー世界選手権
2011年ノルディックスキー世界選手権大会は2011年2月23日から3月6日までの12日間、ノルウェーのオスロで開催されたノルディックスキーの世界選手権。同地では1930年、1952年(兼オスロオリンピック)、1966年、1982年に次いで5回目の開催。49カ国から636人が参加、21種目が行われた。 トピックスハイライト
誘致活動、開催地決定2002年、オスロ市とノルウェースキー振興協会は2009年のノルディックスキー世界選手権誘致に向けて始動した[3]。 オスロ市議会は同大会の会場となるホルメンコーレン競技場の改築整備に5,280万ノルウェークローネを投じる決定をした[4]。 2004年6月4日に国際スキー連盟(FIS)総会(於アメリカ合衆国、フロリダ州マイアミ)で投票が行われ、リベレツ(チェコ)11票、オスロ(ノルウェー)4票の大差で決定した。 誘致に失敗したノルウェースキー連盟はすぐに2011年大会の誘致に乗り出した[5]。 ノルウェースキー振興協会はヴィケルスンのフライング台拡張の代わりにホルメンコーレンの北側、オスロウインターパークそばにあるRødkleivaに新しいジャンプ台を建設することを望んだ。 ホルメンコーレンジャンプ競技場は2011年の世界選手権までラージヒルとして使用し、その後はノーマルヒルに改修することとした[6]。 2005年5月、ノルウェースキー連盟の総会で、2011年の世界選手権までにRødkleivaに新しいフライング台とノーマルヒルの台を建設することが評決された[7]。 続いて、2008年に開催が決定されるヴィケルスンで行われる予定の2012年スキーフライング世界選手権について、ノルウェースキー連盟の総会でRødkleivaの計画を2008年までに決定すると決めた[8]。 2005年9月22日、国際スキー連盟(FIS)はオスロが世界選手権とワールドカップ開催するならホルメンコーレンジャンプ競技場の改築が必要であることを明言した。ドイツ、オーベルストドルフのシャッテンベルクシャンツェやオーストリア、インスブルックのベルクイーゼルシャンツェも同様に改築された[9]。 2005年12月、ノルウェー文化遺産総局はランドマーク性と建築としての品質を維持することを条件にスタート塔の解体を許可した[10]。保存にふさわしいのは構造体ではなく活動そのものであると述べた[10]。 ジャンプ台の改築には3億1000万ノルウェークローネかかると見積もられ、政府はそのうち7000万クローネを出資するとした[11]。 2006年5月25日、FISの第45回総会(ポルトガル、ヴィラモウラ)で投票が行われ、イタリアのヴァル・ディ・フィエンメ、ポーランドのザコパネと競った結果オスロ12票、ヴァル・ディ・フィエンメ4票、ザコパネ0票でオスロでの2011年ノルディックスキー世界選手権開催が決定した[12]。 市は新ジャンプ台設計コンペで104件の案からデンマークのJDS/JULIEN DE SMEDT ARCHITECTSによる"Nye Holmenkollen Fyr"を選んだ[13]。この新しい国立競技場の建設費は6億5300万ノルウェークローネと見積もられた[4]。 解体工事は2008年10月16日に始まり、同年12月に完了した[14]。改築工事中のスキージャンプ・ワールドカップはヴィケルスンで代替開催された。 2007年12月12日に市議会で承認された時6億5300万ノルウェークローネと見積もられた予算は、2008年には1億2000万クローネ増加、2008年7月18日に詳細計画がオスロ市議会で承認された時には更に1億8000万クローネ増え、9億クローネを超えた。 コストの圧縮が検討され、ラージヒルの建設費に7億1500万クローネ、ノーマルヒルのミッツトゥンジャンプ競技場、クロスカントリースキースタジアム、インフラの整備を含めた総予算は24億2600万ノルウェークローネとなった[15]。 ![]() ![]() ![]() 会場
組織委員会2006年9月6日版のFISニュースで、2006年9月4日にオスロで2011年ノルディックスキー世界選手権大会組織委員会の第1回委員会が開かれた。FIS、ノルウェースキー連盟、大会組織員会、ノルウェー国営放送(NRK)、欧州放送連合の代表者が出席した。主な議題はイベントのマーケティング、競技場の整備計画と改修された競技場で2010年にプレ大会を実施することなどであった。 2007年7月2日の週にÅsne Havnelidが組織委員長に選出され、同9月1日よりその業務を開始した[16]。 2007年11月13日にHavnelid組織委員長は業務部長Adelheid Sætherと財政部長Stein Opsalを招集した。議論の一つはホルメンコーレンジャンプ競技場の改築計画を纏めてFISに示すことであった。 オスロ市議会とオスロ評議会にはジャンプ第改築計画の詳細、建設費がいまだ示されず、工事は始っていなかった[17]。 2008年8月にHavnelid組織委員長はインタビューで大会の観客動員目標を40万人としていることを明らかにした[18]。 2009年4月20日にオスロで、2009年大会組織委員会から大会運営の教訓を学ぶ会合が持たれた。会合では2009年大会の成功点と失敗点について詳細な分析結果が示され、2011年組織委員会と2013年ヴァル・ディ・フィエンメ大会組織委員会は成功のカギを学んだ。 会合には2009年大会、2011年大会、2013年大会の各組織委員会のほか、国際スキー連盟、ノルウェースキー連盟、欧州放送連合、APFマーケティングパートナーズが出席した[19]。 2009年9月3日-4日のグループ調整会議で、ホルメンコーレンジャンプ競技場、ミッツトゥンジャンプ競技場、クロスカントリースキースタジアム及び周回コースの建設工事進捗状況が示された[20]。 組織委員会は2010年3月にこれらの会場でプレ大会を実施出来ると述べた[20]。 2009年9月付けで組織委員会は20人を雇用し、ホスト局となるNRKは2011年大会のために完全なカメラアングル3D-モデリング技術を研究した[20]。 2009年12月23日、組織委員会は次の大会スポンサー企業を発表した:スタトイルハイドロ(スタヴァンゲルに本拠を置くエネルギー企業)、アケル・ソリューションズ(オスロに本拠を置く大手エンジニアリング企業)、インタースポートスキーレンタルショップ(スイス、ベルンに本拠を置くスポーツ用品販売企業)、クラフト(スウェーデンに本拠を置くスポーツ用衣料品企業) ホルメンコーレン地区でのプレ大会は2010年3月12日から14日にジャンプ、複合、クロスカントリー計7種目が行われた。この競技の前に組織委員会は日産自動車のディーラーから車両33台の提供を受けた[21]。 13日に行われたノルディック複合の団体戦ではペッテル・タンデ、ミッコ・コクスリエン、ヤン・シュミド、マグヌス・モーアンのノルウェーチームが優勝[22]、翌日の個人戦ではフランスのジャゾン・ラミー=シャプイが優勝した[23]。 14日のスキージャンプでは直前のバンクーバーオリンピックで2冠となったスイスのシモン・アマンが優勝[24]、 クロスカントリースキー女子では地元ノルウェーのマリット・ビョルゲンがスプリントと30kmで優勝した[25][26]。 男子スプリントではノルウェーのアンデシュ・グロールセン[27]、50kmで同じくノルウェーのペッテル・ノールトゥグ[28]がそれぞれ優勝した。 2010年4月15日から16日に放送会議が行われ[29]、前の月に行われたプレ大会の成功点と問題点について話し合われた。オスロ市は管理体制を評価された。 組織員会にはバンクーバーオリンピックのノルディックスキー会場のディレクターだったJohn Aalbergがスポーツディレクターとして紹介された。 マーケティング計画は引き続き進められ、2010年6月のFISの理事会で最終日程が決められた[29]。 公式ソング2011年1月4日に2011年ノルディックスキー世界選手権の公式テーマソング、マリア・ミテット(Maria Mittet)の"Glorious" が発表された[30]。2月23日の開会式を始め大会期間中の各イベント等で披露される。 各イベントでショーをする予定の音楽グループPolka Bjørn & Kleine Heineがノルウェーのトランペット奏者Ole Edvard Antonsenをフィーチャーした非公式テーマソング "I like to ski"をリリースした[31][32]。 マスコット![]() 大会マスコットは雪だるまをモチーフにした活発な女の子のFnuggとおおらかで心やさしい男の子のUll[33]。会場で観客たちと交流した。また、大会中は2つのジャンプ台の中間に位置する教会「ホルメンコーレン・カペル(Holmenkollen Kapell)」前を通る距離コースの脇にこの2者をモチーフにした雪だるまが置かれ、レースで選手が通る度にカメラがアップで数秒間映し続けることが恒例となっていた。 テレビ中継
参加国49か国が参加[34] アルジェリア, ルクセンブルク、ペルーも参加する予定だったが、後に撤回した。()内は選手数。
競技日程プログラム参照[35]
競技結果クロスカントリースキー男子個人スプリント(フリー走法)2011年2月24日
男子30kmパシュート(15kmクラシカル+15kmフリー)2011年2月27日
男子15km(クラシカル走法)2011年3月1日
男子チームスプリント(クラシカル走法)2011年3月02日
男子リレー2011年3月04日
男子50km(フリー走法)2011年3月06日
女子個人スプリント(フリー走法)2011年2月24日
女子15kmパシュート(7.5kmクラシカル+7.5kmフリー)2011年2月26日
女子10km(クラシカル走法)2011年2月28日
女子チームスプリント(クラシカル走法)2011年3月02日
女子4x5kmリレー2011年3月03日
女子30km(フリー走法)2011年3月05日
ノルディック複合個人ノーマルヒル (HS106/10km)2011年2月26日
団体ノーマルヒル (HS106/4×5km)2011年2月28日
個人ラージヒル (HS134/10km)2011年3月02日
団体ラージヒル (HS134/4×5km)2011年3月04日
スキージャンプ女子個人ノーマルヒルHS1062011年2月25日
男子個人ノーマルヒルHS1062011年2月26日
男子団体ノーマルヒルHS1062011年2月27日
男子個人ラージヒルHS1342011年3月03日
男子団体ラージヒルHS1342011年3月05日
国別獲得メダル数
出典
外部リンク |
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