『ABC殺人事件 』(エービーシーさつじんじけん、原題:The ABC Murders )は、1936年 に発表されたアガサ・クリスティ の長編推理小説 である。クリスティ18作目の長編で、エルキュール・ポアロ シリーズの長編第11作にあたる。ミッシング・リンクをテーマとしたミステリ作品の中で最高峰と評される作品で[ 1] 、知名度・評価ともに高い著者の代表作の一つである(後述、#作品の評価 を参照)。
日本語初訳は『ABC殺人事件』(日本公論社 刊、伴大矩 訳、1935年 [ 2] )。
あらすじ
ロンドン に新しくアパートを構えたポアロの元に、「6月21日、アンドーヴァー を警戒せよ」と文末に「ABC」と署名された挑戦状が届いた。そして挑戦状の通り、Aで始まるアンドーヴァー(A ndover)の町で、イニシャルがAのタバコ屋の老女アリス・アッシャー(Alice A scher)の死体が発見され、傍らには『ABC鉄道案内 』[ 注 1] が添えられていた。
警察は当初、彼女が夫と不仲であったため、夫を疑う。間もなくABC氏からポアロの元に第2・第3の犯行を予告する手紙が届き、Bで始まるベクスヒル (B exhill)でイニシャルがBの女性、「C」で始まるチャーストン(C hurston)でイニシャルがCの富豪が殺害され、やはり死体のそばには『ABC鉄道案内』が置かれていた。犯人は、地名とイニシャルが一致する人物をアルファベット順 に選び殺害していると推測されたが、被害者達それぞれに動機がある者はいても、被害者たちにABC以外の関連性はなく、犯人の正体と動機はわからない。
やがてセントレジャー競馬 が行われる日に犯行を予告する手紙が届く。ポアロらは第4の殺人を防止すべく、競馬 の開催地ドンカスター (D oncaster)へ向かうが、町の映画館で殺害されたのはイニシャルがDの人物ではなくEの理髪師の男であった。ポアロも警察も首をひねるが、近くにイニシャルがDの男性が座っていたため犯人に間違えられたものと思われた。
アルファベット順に選んだ対象を無作為に殺害していく愉快犯の仕業と警察が捜査方針を固める中、てんかん 持ちのアレクサンダー・ボナパート・カスト(Alexander Bonaparte Cust , A. B. Cust)は新聞報道を読んで自分が犯人なのではないかと思い悩み自首してくる。彼の家からは『ABC鉄道案内』が多数発見され、事件は解決したかと思われた。だが、ポアロは真犯人が別にいると推理する。彼はいかに理性を失したように見える人間の犯行であっても、そこには犯人なりの論理性や理由があるはずであり、何の理由もないのにアルファベット順に人を殺害していくというのは殺害動機としてあり得ないと考えていた。
ポアロは一連の事件の被害者を調べ上げ、一連の犯行予告や連続殺人事件は警察を攪乱するためのもので、真犯人は明確な目的をもって殺害した一件の殺人を、明確な殺害理由のない連続殺人事件の中に紛れ込ませようとしていたことを見抜く。
ポアロの推理どおり、A・B・C・Dの一連の殺人事件のすべてはイニシャル「C」ことカーマイケル・クラーク卿の弟であるフランクリン・クラークの犯行であった。兄のカーマイケルを殺害し、その妻であるシャーロットは存命とはいえ病気で余命いくばくもない状態であることから、財産を独り占めしようと画策しての犯行だった。「C」の人物以外の殺害はあくまでも「C」に到達するためだけのものであり、またイニシャル「D」まで殺害したのは「C」がラストではあまりにも露骨に映ることを避けるためであった[ 注 2] 。
登場人物
エルキュール・ポアロ
私立探偵。
アーサー・ヘイスティングズ
ポアロの協力者。
アリス・アッシャー
Alice Ascher
1人目の犠牲者。
アンドーヴァーで小さな商店を切盛りしていた老女。
フランツ・アッシャー
Franz Ascher
アリスの夫。
大酒飲みで、たびたび妻のアリスに金をせびっていた。ドイツ系で、第一次大戦 中は差別と偏見に苦しんでいたらしい。
メアリ・ドローワー
Mary Drower
アリスの姪。
アンドーヴァー近郊のある屋敷でメイドとして働いている。
エリザベス(ベティ)・バーナード
Elizabeth (Betty) Barnard
2人目の犠牲者。
ファーストネームはエリザベス(Elizabeth)だが、周囲からはベティ(Betty)と呼ばれていた。
ベクスヒルのとあるカフェでウェイトレスとして働いていた。異性関係が少々だらしなく、彼女の父親に言わせると「いまどきの娘」らしい。
ドナルド・フレーザー
Donald Fraser
ベティの婚約者。
不動産関係の仕事をしている。激しやすく、ベティの異性関係でたびたび彼女と言い争いをしていた。
ミーガン・バーナード
Megan Barnard
ベティの姉。
ロンドンでタイピストとして働いている。ドナルドとの喧嘩についてベティから相談を受けていた。
カーマイケル・クラーク卿
Sir Carmichael Clarke
3人目の犠牲者。
かつて医師として成功した富豪。
引退後は保養地の近くのチャーストンにある屋敷に住み、趣味の骨董品収拾に熱中していた。
フランクリン・クラーク
Franklin Clarke
カーマイケル卿の弟。
兄の右腕として世界中を飛び回って骨董品を買い集めている。
シャーロット・クラーク
Charlotte Clarke
カーマイケル卿の妻。
末期ガンを患っており、先が長くない。夫のカーマイケルと秘書のグレイの関係を疑っている。
ソーラ・グレイ
Thora Grey
カーマイケル卿の秘書。
彼女は事件当日に怪しい人物を見かけていないと証言しているが、当日玄関先の階段で見知らぬ男と話している姿をシャーロットに目撃されている。
ジョージ・アールスフィールド
George Earlsfield
4人目の犠牲者なのだが、姓名ともにイニシャル「D」ではない理髪師の男性。
ロジャー・ダウンズ
Roger Downes
ドンカスターでの殺人の第一発見者であり、被害者の近くに座っていた教師。
姓のイニシャルが「D」なので、警察は背格好の似ていた彼とアールスフィールドが間違えられたのだと考える。
アレグザンダー・ボナパート・カスト
Alexander Bonaparte Cust
ストッキングのセールスマン。
自身の名前が2人の偉大な英雄(アレクサンダー大王 とナポレオン・ボナパルト )に由来することに対してコンプレックスを感じている。
原作での途中の数章はヘイスティングズ大尉ではなく彼の視点から描かれている。第一次大戦に従軍したことがあり、復員後はその後遺症に悩まされている。
真犯人の策略によって、一連の事件の犯人であるという濡れ衣を着せられる。
最終的にポアロから警察への助言もあり、無罪として釈放される。
ジェームス・ジャップ
ロンドン警視庁 首席警部。
作品の評価
日本語訳版
翻案作品
映画
TV作品
名探偵ポワロ 「The ABC Murders(邦題 ABC殺人事件)」(イギリス 1992年 )
アガサ・クリスティーの名探偵ポワロとマープル 「ABC殺人事件」(日本 2004年 )
名探偵赤冨士鷹 「ABC殺人事件」(日本 2005年)
本作は、NHK総合テレビで2005年12月29日 ・12月30日 に放送された『名探偵 赤富士鷹』のうちの第一夜(12月29日)の作品である。
舞台は原作出版年の昭和11年(1936年 )の日本で、ポアロに相当する赤冨士鷹は東京 ・芝 で古書店を営む素人探偵という設定。
アガサ・クリスティーのフレンチ・ミステリー「Les Meurtres ABC(邦題 ABC殺人事件)」(フランス 2009年 )
本作は、『アガサ・クリスティーのフレンチ・ミステリー』の第1話としてフランス2 で2009年1月9日 に放送された作品である。
ポワロは登場せず、ラロジエール警視とランピオン刑事のコンビが代わって事件を解決するという設定。
ABC殺人事件(イギリスBBC 2018年 )
ラジオドラマ
2008年 、BBC Radio 7 で放送されている。
漫画
『ABC殺人事件 名探偵・英玖保嘉門の推理手帖』(星野泰視 、『ビッグコミックオリジナル 』2014年24号から2016年10号まで連載、単行本全4巻)
舞台を昭和 11年(1936年 、原作出版当時)の日本に移し、英玖保嘉門(=ポアロ)以下、登場人物のほとんどを日本人にしている。また、"ABC殺人事件"に先立つ事件として、最初の3話に『厩舎街の殺人 』を原作としたエピソードを置いている。
登場人物 ※右は原作で該当する人物
英玖保嘉門(えいくぼかもん):エルキュール・ポアロ
朝倉平助(あさくらへいすけ):アーサー・ヘイスティングス
日之元(ひのもと)警部:ジェイムズ・ジャップ警部
芦屋安(あしややす):アリス・アッシャー
芦屋留三(あしやとめぞう):フランツ・アッシャー
土浦まり子(つちうらまりこ):メアリ・ドローワー
板東美代(ばんどうみよ):ベティ・バーナード
鳴戸降三(なるとこうぞう):ドナルド・フレイザー
板東たま(ばんどうたま):ミーガン・バーナード
千代田千寿郎(ちよだせんじゅろう):カーマイケル・クラーク卿
千代田祐司郎(ちよだゆうじろう):フランクリン・クラーク
ソーラ・グレコワ:ソーラ・グレイ
有野穣二(ありのじょうじ):ジョージ・アールスフィールド
阿部力(あべちから):アレキサンダー・ボナパルト・カスト
黒武(くろたけ)警部補:クローム警部
阿部定 (あべさだ):(実在人物)
石田吉蔵 (いしだきちぞう):(実在人物)
※『南京街の殺人』
バーバラ・アレン:バーバラ・アレン
ミス・ブレンダーリース:ジェ―ン・プレンダーリース
ユースタス:ユースタス少佐
西喜一郎(にしきいちろう):レイヴァートン・ウエスト
加藤(かとう)警部:ジェイムスン警部
馬老大人(マー・ラオターレン)
星野泰視、アガサ・クリスティー(原作)『ABC殺人事件』、小学館 (ビッグコミックス )、全4巻
2015年9月30日発売 ISBN 978-4-09-187289-0
2015年10月30日発売 ISBN 978-4-09-187386-6
2016年4月28日発売 ISBN 978-4-09-187677-5
2016年5月30日発売 ISBN 978-4-09-187695-9
ゲーム
2009年 12月12日 、カナダのゲーム会社DreamCatcher Interactive (英語版 ) より、ニンテンドーDS 向けアドベンチャーゲーム 『Agatha Christie: The ABC Murders (英語版 ) 』が発売された(日本では未発売)。プレイヤーはヘイスティングズ大尉を操作し、犯罪現場を調査し、被疑者への聞き込みを行って事件を解決する。原作をよく知っているユーザーのために、原作とは異なる犯人でプレイできるオプションも用意されており、ゲームを通して異なる手掛かりや証言が得られる[ 9] 。このゲームは平凡なレビューを受けたが、原作の素材を忠実に再現したことは評価された[ 9] [ 10] 。
2016年 、フランス のゲーム会社Microïds (英語版 ) より『Agatha Christie: The ABC Murders』が発売された(2009年発売の同名作品とは別)。プレイヤーはエルキュール・ポアロとなり、人物観察、尋問、考察を進め、事件を解決に導く。日本語字幕に対応したものとして、クロスファンクション より『アガサ・クリスティ - ABC殺人事件 (英語版 ) 』のタイトルでPlayStation 4 版が2017年 4月28日 に[ 11] 、Microïdsより『アガサ・クリスティ作 『ABC殺人事件』』のタイトルでNintendo Switch 版が2020年 12月17日 に発売されている。
脚注
注釈
^ 1853年 から2007年 までイギリスで刊行されていた鉄道時刻案内書。伝統的な鉄道時刻表 に見られる路線別ではなく、その名のとおり駅名のアルファベット順(ABC順)に各地の駅を紹介し、ロンドン とイギリス 各地との間の列車乗り継ぎスケジュールを個別に提示する形式をとる。主要都市との往来用途に限れば、専門的で難解な通常時刻表に比べて格段に使いやすかったため、イギリスの鉄道全盛期には一般旅行者に好んで利用された。
^ 最後の犠牲者のイニシャルはDではないが、近くに一人はDの人物がいるだろうから、そちらと人違いで殺されたと思われるのも計算のうえ、適当な人物を殺害したものとされている。
^ 1985年版 では本作品はノーランクだった。
^ 作者作品では他に、1位に『そして誰もいなくなった』、5位に『アクロイド殺し』、34位に『オリエント急行の殺人』、99位に『ナイルに死す 』が選出されている。
^ 他の4作には『エンド・ハウスの怪事件 』『晩餐会の13人 』『謎のエヴァンス 』『そして誰もいなくなった』が挙げられている[ 5] 。
^ BSプレミアムの放送はPAL を基盤とした毎秒25コマの映像を日本の方式に適合させる際、方式変換に高度な動き補間技術 を用いてプログレッシブ60フレーム(放送は30i)化しており、人物が横切ると背景が揺らぎ合成のように見える場面、補間の効いていない場面もあるが、概ねスロー再生でも精細さを損なわず変換で生じる半フレームずつの重なりもない、スムーズな動きを達成している。動き補間を使わない(従来通りの変換方法による)本編映像は番宣スポットで見ることが出来た。
出典
関連項目
外部リンク
長編推理小説
短編集 その他書籍 戯曲 登場人物 映像化作品
関連項目