J.D.デービス
ジョナサン・グレゴリー・デービス(Jonathan Gregory Davis、1993年4月27日 - )は、 アメリカ合衆国カリフォルニア州エルクグローブ出身のプロ野球選手(内野手、外野手)。右投右打。埼玉西武ライオンズ所属。 日本プロ野球での登録表記は、イニシャルをそのまま音写したジェーディー・デービス[1]。 経歴プロ入り前2011年のMLBドラフト5巡目(全体180位)でタンパベイ・レイズから指名されたが、契約せずにカリフォルニア州立大学フラトン校へ進学した。 プロ入りとアストロズ時代![]() (2018年9月29日) 2014年のMLBドラフト3巡目(全体75位)でヒューストン・アストロズから指名されプロ入り[2]。契約後、傘下のA-級トリシティ・バレーキャッツでプロデビュー。A級クァッドシティ・リバーバンディッツでもプレーし、2チーム合計で73試合に出場して打率.293、13本塁打、52打点、5盗塁を記録した。 2015年はA+級ランカスター・ジェットホークスでプレーし、120試合に出場して打率.289、26本塁打、101打点、5盗塁を記録した。オフにはアリゾナ・フォールリーグに参加し、グレンデール・デザートドッグスに所属した。 2016年はAA級コーパスクリスティ・フックスでプレーし、126試合に出場して打率.268、23本塁打、81打点、1盗塁を記録した。 2017年は開幕をAA級コーパスクリスティで迎え、AAA級フレズノ・グリズリーズに昇格した。8月5日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした[3]。メジャーデビューとなった同日のトロント・ブルージェイズ戦にて「8番・三塁手」で先発出場すると、5回裏にマルコ・エストラーダからメジャー初安打を放った[4]。この年メジャーでは24試合に出場して打率.226、4本塁打、7打点、1盗塁を記録した。また、投手としても2試合に登板しており、いずれも無失点だった。 2018年7月23日のロサンゼルス・エンゼルス戦において13-5と大量ビハインドの8回裏にこの年の初登板(この試合は三塁手として先発出場していた)。先頭打者にいきなり本塁打を打たれるも後続を断ち、1イニングを1安打、1失点、1三振に抑えた。この年は42試合に出場して打率.175、1本塁打、5打点を記録した[5]。 メッツ時代2019年1月6日にロス・アドルフ、ルイス・サンタナ、スコット・マネアとのトレードで、コディ・ボハネックと共にニューヨーク・メッツへ移籍した[6]。この年はキャリアハイとなる140試合に出場して打率.307、22本塁打、57打点を記録した。 2020年は全60試合中56試合に出場し、打率.247、6本塁打、17打点を記録した。 2021年は故障と不振のため73試合の出場にとどまり、マイナー落ちも経験した[5]。 ジャイアンツ時代2022年8月2日にダリン・ラフとの1対4のトレードで、トーマス・ズパッキ、カーソン・セイモアー、ニック・ズワックと共にサンフランシスコ・ジャイアンツへ移籍した[7]。この年は2チーム合計で115試合に出場して打率.248、12本塁打、35打点、1盗塁を記録した。 2023年は144試合に出場して打率.248、18本塁打、69打点、1盗塁を記録した。翌シーズンの年俸について球団側は655万ドル、デービスは690万ドルを主張し、調停でデービス側の訴えが認められ690万ドルで契約したが、同じポジションのマット・チャップマンとの契約が成立したため2024年3月11日に自由契約となり[8]、デービスは契約解除料として110万ドルを受け取っただけに終わってしまった[9]。 アスレチックス時代2024年3月16日にオークランド・アスレチックスと250万ドルの1年契約を結んだ[10]。オプションとして最大100万ドルの出来高が含まれる。6月17日にDFAとなった[11]。 ヤンキース時代2024年6月23日にジョーダン・グロシャンズとのトレードで、ニューヨーク・ヤンキースへ移籍し[12]、2日後にアクティブ・ロースター入りした。しかし、故障に悩まされてヤンキースでは僅か7試合の出場に終わった。7月28日にジャズ・チザム・ジュニアを獲得したことに伴ってDFAとなり[13]、8月2日に自由契約となった[14]。 オリオールズ傘下時代同年8月7日にボルチモア・オリオールズとマイナー契約を結び、同日中にAAA級ノーフォーク・タイズに配属された[15]。メジャー昇格の機会がないまま、オフの11月4日にFAとなった[5]。 エンゼルス傘下時代2025年1月24日にロサンゼルス・エンゼルスとマイナー契約を結び、同年のスプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[16]。4月にメジャー昇格したが、5試合に出場したのみでマイナーに降格となり、6月に解雇された[17]。 西武時代2025年7月11日に埼玉西武ライオンズが獲得を発表し[18]、同16日付けで支配下選手登録された。背番号は10[19]。 選手としての特徴長打力が魅力の強打者[20]。守備では三塁を中心に、一塁と左翼もこなせるユーティリティープレーヤー[21]。 詳細情報年度別打撃成績
年度別投手成績
年度別守備成績
記録NPB初記録
背番号
脚注
関連項目外部リンク
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