芝山努
芝山 努(しばやま つとむ、1941年3月9日[1] - )は、日本の男性アニメーター、アニメーション演出家、アニメーション監督。亜細亜堂コンテンツ代表取締役。東京都台東区出身。 来歴浅草で4代続いた三味線の部品売り屋の次男として生まれ、少年時代は三味線、長唄、小唄、落語といった東京の下町文化に馴染んで過ごす。 埼玉県立春日部高等学校、明治大学文学部演劇学科を卒業後、演出家を志望して、東映本社のCMの企画・演出の募集に応募するも不合格。そこで「アニメーションは演出の勉強になるから」と紹介された東映動画(現: 東映アニメーション)の採用試験を受けたのがアニメ業界入りのきっかけだった。 1963年に東映動画に契約社員として入社、長編アニメ映画『わんわん忠臣蔵』で動画デビュー。『狼少年ケン』の動画担当時に林静一に師事し、絵柄等で多大な影響を受ける。 1966年にAプロダクション(1976年よりシンエイ動画に改組)へ移籍。東映動画が長編アニメーションの制作を縮小したのと、先に移籍していた楠部大吉郎や東映動画の同期生・小林治に誘いを受けたのが理由だった。Aプロ〜シンエイ動画では『ムーミン』『天才バカボン』『ど根性ガエル』『元祖天才バカボン』など数々の名作の作画監督、演出を手がける。 1978年、シンエイ動画を退社し小林治・山田みちしろらと亜細亜堂を設立する。 1979年、『がんばれ!!タブチくん!!』で初めて劇場用作品の監督を務める。『ドラえもん』の映画版大長編では、1983年の第4作から2004年の第25作までの22作で監督を務め第53回(1998年度)毎日映画コンクールアニメーション映画賞を『ドラえもん のび太の南海大冒険』で受賞。その後自らも、第60回(2005年度)毎日映画コンクールアニメーション映画賞の選考委員を務めた。 2000年代からは亜細亜堂の関連会社である亜細亜堂コンテンツの代表取締役を務める。2007年には『まじめにふまじめ かいけつゾロリ』の総監督を務めた。 2012年、平成24年度文化庁映画賞を受賞(映画功労部門)[2]。 人物・作風・影響見やすく、アニメーターが絵を描くことに力が軽減でき、キャラクターの演技をさせやすいカメラアングル・変化のあるカメラワークで魅せるアクション[3]・綿密な時間計算・細かい絵など、繊細な絵コンテで知られる。『ドラえもん のび太とロボット王国』『ドラえもん のび太とふしぎ風使い』は書籍化もされた[4][5]。『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』や『カラフル』などの監督である原恵一は彼の絵コンテに絶大な影響を受けていると発言するなど、その精緻な絵コンテは数多くのアニメーター・演出家に影響を与えている。 本郷みつるは芝山について「とにかく圧倒的な仕事の質と量です。現場から引退されてしばらく経ちましたが、後世に残した影響は計り知れません。」とコメントしている[6]。 大塚康生は『ムーミン』で「芝山努さんと小林治さんに作監の手伝いをやってもらったのも、新鮮な驚きでした。芝山さんの小味のきいた演技と、ちょっとトボけてあたたかい小林さんの演技も『ムーミン』の完成度に大きく貢献しています。」とコメントしている[7]。 吉川惣司は『ルパン三世 ルパンVS複製人間』でレイアウトを務めた芝山の手腕を絶賛している[8]。 大武正枝は『ルパン三世 ルパンVS複製人間』の芝山によるレイアウトについて「鳥肌ものっていうか、プロはこういうものなのか!こうやれないとプロにはなれないのか......と思いました。」とコメントしている[6]。 眠田直は「『ルパン三世 ルパンVS複製人間』のレイアウトも芝山努の仕事。ビスタの横長画面を存分に使いきった構図の腕はお見事というほか無い。絵描きはみんなここから勉強するといいよ。[9]」「芝山努氏の凄みは『ルパン三世 ルパンVS複製人間』を1本観るだけでわかる。この映画ではレイアウトを担当しておられるが、いまだに16:9画面で、芝山氏の構図を越えるアニメが無い。[10]」とツイートしている。 かつては、「ドラえもんの芝山さん」「芝山さんのアニメは安心して見られる」との評価が不満で、「僕は人間のドロドロした内面も描きたい」と語っていた。 東映動画の同期入社には宮崎駿、林静一がいる。宮崎とは同い年(1941年の早生まれ)である。 参加作品テレビアニメ
劇場アニメ
OVA
実写ドラマ
その他
脚注注釈
出典
外部リンク |
Portal di Ensiklopedia Dunia