さいたま市大宮公園サッカー場
さいたま市大宮公園サッカー場(さいたましおおみやこうえんサッカーじょう)は、埼玉県さいたま市大宮区の大宮公園内にあるサッカー専用スタジアム。施設はさいたま市が所有し、2024年3月まではさいたま市の外郭団体である財団法人さいたま市公園緑地協会が運営管理を行っていたが、同4月よりNTTグループ・オリエンタルコンサルタンツ大宮公園サッカー場マネジメント共同事業体(代表:NTTファシリティーズ)が5年契約で指定管理者となった[2]。 なお、さいたま市大宮区に本社を置く民放FM局の株式会社エフエムナックファイブが命名権を取得しており、2007年5月14日から「NACK5スタジアム大宮」(ナックファイブスタジアムおおみや、略称「NACK(ナック)」)の呼称を用いている(後述)。 歴史1960年4月9日、当時の大宮市に埼玉県営大宮公園サッカー場(さいたまけんえいおおみやこうえんサッカーじょう)として開場。日本初のサッカー専用球技場で、現存するものとしては日本最古である。 開場当初は、葦原の湿地に大量の土砂を入れた簡素なものだったため、ボールが場外へ飛び出してしまうと湿地へ取りに行ったという。転機が訪れたのは、1962年の11月に1964年東京オリンピックサッカー競技の会場の一つとして使用されることが決定したことだった。これに伴い、総工費1億9500万円(当時)を投じてスタンドを設置した。また1967年の埼玉国体のサッカー競技の会場にもなった。当初の改修目的はこの2つの大会に供することであった。 1965年、1971年に日本で開催されたアジアユースの会場の一つとして使用されている。1971年には、鉄塔式の夜間照明施設が設置された。 1970年に始まった全国中学校サッカー大会のメイン会場として、1981年の第12回大会まで使用された。 ![]() 1979年のワールドユース日本大会の会場の一つとして使用されることに伴って、アウェイ側のゴール裏のスコアボードを電光式(電球形式で、チーム名と得点掲示のみ。のちにこの躯体を生かし、2色磁気反転<黒・黄色>に改修)に改修した。ディエゴ・マラドーナ(アルゼンチン)が国際舞台にデビューを果たしたスタジアムとしても知られている。 1992年から1995年までは日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)・浦和レッドダイヤモンズの準ホームスタジアムとして使用された(特に1992年のナビスコカップと1994年2ndステージ、1995年1stステージは、ホームスタジアムの浦和市駒場競技場(現さいたま市駒場スタジアム)が改修中だったため、浦和レッズのホームゲームの大半がここで開催された。この時は、座席増築などの改修は行わず、1995年に芝生と夜間照明の照度をJリーグ基準に合わせる改修を行った)。 1996年以降は同じくJリーグ(1996年から1998年までは旧JFL)の大宮アルディージャ(旧NTT関東サッカー部)のメインスタジアムとなっている。また、全国高校サッカー選手権大会や天皇杯全日本サッカー選手権大会の開催会場ともなっている[注 1]。 2002年の2002 FIFAワールドカップでは、駒場スタジアムと共に埼玉スタジアム2002で試合を行う際の練習用グラウンドとして使用され、ブラジル代表が準決勝の前にここで練習をして、ロッカールームの壁にロナウジーニョをはじめとしたブラジル代表メンバーのサインが書き残されている。 1990年代に入ると、施設の老朽化が顕著となり、埼玉県営大宮公園野球場の新築移転予定地だった大宮第二公園南側の用地に大宮公園サッカー場の新築移転案が持ち上がったが、程なく埼玉スタジアム2002の建設へと舵を切った。なお、この用地はその後、大宮第三公園として整備された。 2000年秋、埼玉県は埼玉スタジアム2002の竣工によって同サッカー場の代替施設が確保できたとして、2004年の彩の国まごころ国体開催後に大宮公園サッカー場を撤去・解体する方針を一旦決定、大宮アルディージャは浦和と共に埼玉スタジアムを使用する方針であった。しかし、大宮地区からサッカーの競技施設がなくなる上、アルディージャが本来のホームスタジアムを失う恐れが生じたことから(大宮のクラブが浦和の施設を間借りすることに対し、サポーターの間では相当な抵抗感があった)、サポーターが大宮公園サッカー場の大宮市への移管を求めて署名活動を行った。 幸い、大宮市は改修の上で引き続き市民施設として供用する意思があったため、2001年4月1日から施設の管理権を県から大宮市に移管。同年5月1日に大宮市が浦和市、与野市と新設合併して「さいたま市」となったのに伴い、さいたま市へ自動的に引き継がれた。2003年4月1日にさいたま市が政令指定都市への移行を記念して、同サッカー場の所有権も埼玉県からさいたま市に完全移管された事に伴い、現名称に改称した。 2006年春から2007年10月まで、全面的な改修工事が施されるため使用できなかった。(後述) 2011年と2014年にJリーグベストピッチ賞を受賞。 2012年12月24日、第26回大会から天皇杯決勝の前座試合として行なわれてきた全日本女子サッカー選手権大会決勝を独立し、皇后杯下賜後初の大会となった第34回大会の決勝が本スタジアムで行われた。翌2013年の第35回大会も決勝が行われた。2019年の第41回大会は6年ぶりに本スタジアムで決勝が開催された[3]。 2019年にはJリーグに所属するFC東京が、本拠地の味の素スタジアムのラグビーワールドカップ日本大会開催に伴う改装工事の関係で平日の試合を主催できないことから、ルヴァンカップのグループリーグのホームゲーム1試合を本スタジアムで開催[4]、その後FC東京はルヴァンカップのプライムステージ(決勝トーナメント)に進出したため、準々決勝のホームゲームも本スタジアムで開催された[5]。 施設概要改修後![]()
参考・改修前
横断幕設置場所(アルディージャ主管試合)
アクセス
その他、サッカー場すぐそばを走る産業道路に国際興業バス、東武バスウエストの2社の路線バスが走っており「大宮サッカー場前」(国際興業バス)「サッカー場前」(東武バスウエスト)停留所もあるが、本数が非常に少ない[7][8]。 周辺施設
改修改修前は公式に発表されていた収容可能人数は概要にある通り1万2,500人であるが、実際には立見席や消防条例などの関係もあり満員でも1万人前後だった。なお、旧大宮公園サッカー場時代の観客動員記録は、2005年11月23日の大宮アルディージャ対ガンバ大阪戦の1万623人であった。加えて現在のサッカー場は1964年の東京オリンピックの開催に合わせて整備されたため、部分的な改修工事は随時実施していたが、施設の老朽化も著しかった。 また、J1のホームスタジアムとして利用する場合、芝生席を除いて1万5,000人以上収容するスタンドを設置することが義務付けられている。改修前はこの規定も満たしていなかったため、大宮アルディージャと施設を管理するさいたま市では当面の対応として以下の対策を採った。
施設の一部老朽化のため、2021年秋~2022年春にかけて、照明塔を従来の水銀灯から発光ダイオード(LED)へ交換した[9]。照明塔の工事費の一部はふるさと納税による市民からの寄付金を取り入れている[10]。また2022年夏には大型映像装置の更新工事を計画した[11]。そして、2023年12月15日に、2024年1月上旬から2024年3月末日まで大型映像装置の更新工事を行うことになった[12]。 大宮公園グランドデザインに基づくスタジアムの将来像大宮公園は1885年に開設以来、延べ130年以上の歴史がある公園であり、この公園の歴史的な価値、また日本的風景の継承と、次の100年先を見据えた公園整備のための基本プラン「大宮公園グランドデザイン」を2018年から2019年にかけて有識者による検討委員会構築し、このサッカー場についても検討対象に入っている。 それによると、現在大宮公園内にある当サッカー場、県営大宮球場、大宮競輪場(双輪場兼陸上競技場)のある付近を「レクリエーションスポーツ広場」として、誰もが気軽に楽しめるスポーツゾーンを形成し、その東側の大宮第二・三公園や大和田公園(現在の市営大宮球場<レジデンシャルスタジアム大宮>のある付近)に、スポーツを通しての賑わいを作るための「スポーツ広場」としての整備を計画している。[13] そしてさらに、上記のサッカー場、県営球場、競輪場のある付近の「レクリェーションスポーツ広場」となる箇所を、「試合のある日もない日も楽しめる公園」をコンセプトとした「大宮スーパーボールパーク構想」に沿って、3つの整備案が検討されている。
これらを総合的に踏まえて、公民連携による、スポーツ施設のほか、カフェ・飲食店、物販などの民間施設の導入などを検討していくとしており、当サッカー場は、土地所有者のさいたま市と、ここを本拠地とするアルディージャとも連携を取りながら、整備の方向性について検討するとしている[14]。 なおアルディージャは2018年に市民からのパブリックコメント募集の際、「現サッカー場の取り壊しがあるのか?」「第2公園に多機能スタジアムを建設する構想」「時代のニーズに合ったスポーツ施設の建設」との表現に関してといった問い合わせが寄せられたため「クラブの将来を考えるとJリーグクラブライセンス制度に基づいた客席の屋根の敷設基準や、収容人数(現在は実数で約13000人程度で運用)などの問題もあり、クラブの成長のために、大規模な改修や新設が将来必要として、サポーターや地域に理解を示してもらうように協力してきたが、今後も『試合のある日もない日も楽しめる公園』のコンセプトに沿った、多くの市民が利用できる施設や地域の課題解決につながるスタジアムを現在地付近に建設できるように強く願っておりますし、今後も建設に向けた活動を継続してまいります」と回答している[15]。 また、2020年に埼玉県が募集した大宮第二・三公園の指定管理者に、当スタジアムを本拠とするアルディージャの運営会社「NTTスポーツコミュニティ株式会社」が構成員となっている「大宮第二公園及び第三公園マネジメントネットワーク」が認定されている[16]。 観客動員記録大宮公園のキャパシティについての参考として、以下に観客動員記録を挙げる。 ただし、大宮アルディージャ主催試合については、2007年11月11日以降、全てのホームゲームにおいてゲート通過入場者数の数値に相当数の上乗せを行って公式入場者数としていたことが後に判明(08年のべ25,809人、09年同48,610人、10年同32,628人)、2007年以前については記録紛失を主張しているため、現状では正確な数値とは言えないものである点に留意する必要がある。 大宮アルディージャホームゲーム
浦和レッズホームゲーム浦和レッズは、1995年頃から、他クラブが観客動員を減らしていくのとは対照的に観客動員が大幅に増大していった。
エピソード命名権![]() さいたま市は今回の全面建て替え改修を行うにあたり、大宮という地名をスタジアム名称に入れることや売却額5千万以上を条件とし、命名権を募集した。 その結果、4社から応募があり、2007年5月14日に地元埼玉県のFM局であるエフエムナックファイブ(FM NACK5)に決定した[注 2]。契約期間は2008年度から2013年度の6年間、売却金額は1億8000万円(1年当たり3000万円)で[17]、命名権による名称はナックファイブスタジアム大宮(通称:NACK5スタジアム大宮。なお新聞やプログラムなどでは「NACK」と略される)となる。 なお、NACK5では大宮アルディージャの応援番組を毎週放送、また年数試合大宮ホームゲームを中継しているが、こけら落としとなった同年11月11日の大分トリニータとのJ1第31節(1-2で大分に敗れる)では8時-18:10まで試合中継を含め、10時間にわたる記念特別番組を行った。 その後、2012年3月にさいたま市は同年度からの命名権契約料をこれまでの年3000万円から2000万円に引き下げるとともに[17]、命名権の契約期間を2015年度まで2年間延長(合計8年間)することになった[17]。これはNACK5側からの申し入れを受けて協議したもので、さいたま市も「震災などもあり、厳しい経済事情や命名権の販売を巡る厳しい環境を考えて契約金を減額した」としている[17]。さらに契約切れ直後の2016年3月3日、2月29日にさかのぼって2021年2月28日までの新たな5年契約を更新した。この時の契約額は合計9000万円(年1800万円)[18]。 また2013年からスタジアムそのものの命名権とは別で、ホームゴール裏のコーナーシートをアルディージャ主催試合に限りセブン-イレブン・ジャパンと命名権スポンサーを結び、メインスタンド側は「セブン-イレブン テーブルシート」、バックスタンド側は「セブン-イレブン カウンターシート」とそれぞれ命名されている[19]。1試合当たり「テーブルシート」は1組4名×2セット、カウンターシートは1組2名×6セットの限定で、基本的にセブン-イレブンの全国店頭のマルチコピー機(プレイガイド機能付き)のみでの発売となっている。 なお、命名権採用後は、基本的に上記の名称を使うことになっているが、クリーンスタジアム規定が適用される国際サッカー連盟及びアジアサッカー連盟主催の国際試合・大会(AFCチャンピオンズリーグなど)では、例外として正式名称を使用する。 桜の木改修前の大宮公園サッカー場のホームゴール裏スタンド裏側には、11本の桜の樹木、またバックスタンド席中にも1本の桜が植えられていた。このため春季は満開の桜が開花してサッカーファンを和ませてくれていた。改修に当ってそれが撤去され別の場所に移植されたが、スペースの都合上全部を移設するわけには行かなかった。そこで残った桜の木は2007年の改修完成を記念して、11月11日の大分トリニータとのこけら落とし戦と12月1日の川崎フロンターレ戦で、改修前最後の2005年11月23日ガンバ大阪戦を観戦したファンに配られた「改修前観戦証明書」を持参し、なおかつ上述2試合のチケットをそれぞれ購入・持参したファンに対する記念品として「移植できなかった大宮公園の桜の木で作成したオリジナルストラップ」を製作しプレゼントした。 フィクションでの設定なお、高橋陽一原作の漫画『キャプテン翼』でも当スタジアムが全国中学生サッカー大会のメイン会場(前述のように実際の大会でも1971年から1981年までの間当所を主会場とした)として実名で描かれており、決勝戦などが開催されている。 作中での観客数は3万人となっているが、先述の通り当時も現在も収容人数は1万数千人であり、誇張されている。 なお、サブ会場としてスタンドなどが描かれているのは駒場スタジアムと大宮公園陸上競技場兼双輪場(大宮競輪場)で、こちらも実名である。 また、2007年の改修が完成したことを受け、高橋のメッセージがさいたま市に寄せられ、さいたま市の市報に掲載された。 トラブル・その他
脚注注釈出典
外部リンク命名権による名称 |
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