アジアにおける宇宙開発アジアにおける宇宙開発(アジアにおけるうちゅうかいはつ)では、アジア地域で行われている宇宙開発について説明する。アジア諸国による宇宙飛行が成功するのはソビエト連邦やアメリカ合衆国をはじめとした欧米諸国よりも遅い1970年代からであった(各国初の人工衛星の年表を参照)。 概要2022年現在で、アジアにおける主要な宇宙開発推進国は中国・日本・インドの3か国である。 たとえば2007年9月14日には日本の月探査機かぐやが、同年10月24日には中国の月探査機嫦娥1号、翌年10月22日にはインドの月探査機チャンドラヤーン1号が打ち上げられている。 また、2009年2月2日にはイランのオミード、2012年12月12日には北朝鮮の光明星3号2号機、2013年1月30日には韓国のSTSAT-2Cがそれぞれ打上げに成功している。 2010年代に入ってからは経済発展に伴い中国の存在感が強くなり、独自の宇宙ステーションの建設や火星探査を行っているほか[1][2]、ロケットの打ち上げ数でアメリカを超えるなど[3]、アメリカと並ぶ宇宙大国として台頭した[4]。 日本、インド、韓国等もはやぶさ2やヌリ号ロケットに代表される積極的な宇宙開発を行っており、民間企業による宇宙開発も活発化している[5][6]。 詳細日本では世界的な宇宙探査の気運の高まりを受け2009年に宇宙基本法が制定された。これは従来国土交通省や文部科学省など複数の省庁により実行されていた日本の宇宙開発を新たに設置する内閣府宇宙局(仮称)に一元化し、国家戦略として宇宙開発を実行することを目指すものとなっていた。宇宙局の設置は実現しなかったが、2012年に設置された内閣府宇宙戦略室と内閣府宇宙政策委員会がその機能を担う形になっている。 インドは1980年に初めて自力で人工衛星を軌道に載せた。インド宇宙研究機関の月探査機チャンドラヤーン2号は2019年7月に打ち上げられて月周回軌道に入ったが、着陸船の軟着陸には失敗した[7]。これに続く月探査機は「チャンドラヤーン2号」の再チャレンジとして「チャンドラヤーン3号」の名称で、2020年時点では2021年頃の打ち上げになると報じられている[8]。またインド独自の有人宇宙飛行は2015年の時点では関係者から2021年になると発言があったが[9]、その後スケジュールは遅延し、2024年11月時点では2026年の予定とされている[10]。 韓国は2000年から羅老宇宙センターを建設している。ロシアの企業と共同開発した衛星打ち上げロケット羅老は、2009年8月のSTSAT-2A、2010年6月のSTSAT-2Bの2度の打ち上げ失敗ののち、2013年1月30日にSTSAT-2Cを衛星軌道に投入することに成功した。 中国の有人宇宙飛行は特に注目を集めたアジアの業績だった。その先進的な技術は、多くの関連技術の経験を積み重ねた結果である。中国の宇宙における業績は実用的であり、また2007年の衛星破壊実験のように、しばしば軍事に関連する技術である。初期の中国の衛星である返回式衛星シリーズは多くの大気圏再突入試験を行った。日本をはじめとする他の諸国では、核兵器に関連した技術なので大気圏再突入は避けられていた。再突入経験の少なさは今でも有人宇宙飛行への障害となっている。1990年代、中国はまた商業打ち上げでも成功した。それは多くの打ち上げ経験と、1990年代後半以降の高い成功率をもたらした。これらの業績が2003年の有人宇宙飛行に繋がった。中国は、21世紀初頭では惑星探査をはじめとする科学的な業績も視野に入れている。日本とヨーロッパがハレー艦隊で月軌道以遠の探査を開始した1980年代、中国は不況下にあり、当時は惑星探査は見送られた。2011年11月、成功すればアジア初となる火星周回機蛍火1号が(当初予定から2年の順延ののちに)ロシアのロケットを使って打ち上げられたが、軌道投入できずに失敗した。 日本は多くの宇宙の業績を特に科学の分野で得てきた。そこにはいくつかの複雑な事情があった。日本初の衛星軌道打ち上げは大学の研究機関によって、国の宇宙機関よりも先に達成された。そのため初期の日本の衛星は多くが科学探査用であり、多くの科学的な業績を生んだ。一方で国の宇宙機関は早急にその大学に追い付く必要があった。そのため静止軌道打ち上げや気象/通信衛星といったアメリカの技術が早くから導入されたのである。その後、円高とスーパー301条によって日本のロケットの商業的競争力は不利なものになった。日本は打ち上げの機会を失い、経験の無さは1990年代後半以降の成功率の悪化を招いた。そのため政府の衛星を除いて日本国内での打ち上げは技術試験衛星と科学衛星に限られており、それらは世界的な業績を狙わざるをえない。 インドは商業打ち上げで成功しつつあり、宇宙技術で急成長している。1回の打ち上げでは最多数となる10機の同時打ち上げが2008年に達成され、同年にはアジアで初めての月面衝突機として設計された探査機を打ち上げた。また、2014年9月には、(日本と中国が失敗した)火星周回軌道への探査機投入にアジアで初めて成功した。2014年に弾道飛行に成功(軌道飛行は2016年の予定)したGSLV-IIIは低コストな大型打ち上げロケットなので商業的な競争力が期待されている。インドはそのロケットでアジア2番目の有人宇宙飛行を目指している。 アジア初の国の年表→「§ 基本技術の比較」も参照
基本技術の比較各国で初となる業績の試み(もしくは予定)を、特に断りの無い限り時系列順に記す。
? : 日付が確定しておらず、推測に過ぎない 太陽系探査太陽系探査は有人宇宙飛行と同様に一般の注目を集める宇宙技術である。アジア初の惑星間探査機さきがけが1985年に打ち上げられて以降、日本はアジアの太陽系探査を長い間先導してきた。しかし21世紀に入ってから、他の国が日本に追い付こうとしている。 月探査競争月の探査月探査機かぐやは任務を無事終え、2009年6月11日に月に制御落下させられた。 月探査機嫦娥1号は任務を終え、2009年3月1日に月面に制御落下させられた。2010年10月1日には嫦娥2号が打ち上げられた。 月探査機チャンドラヤーン1号は2009年8月29日に通信が途絶し運用終了となった。 月面着陸→詳細は「月面着陸」を参照
確認できるアジア最初の月面着陸は1993年のひてんの追加ミッションだった。それは観測の最後の制御落下(硬着陸)であり、衝突まで何枚かの月面写真が撮られた[37]。しかしひてんは月着陸するように計画されたものではなく、月探査の科学機器もほとんど搭載していなかった。観測終了後の衝突破壊を除けば、日本の次の月着陸計画は1992年に開始されたLUNAR-Aだった。LUNAR-A周回機の中止決定後、その着陸機(ペネトレーター)がロシアの「ルナグローブ」探査機 (Luna-Glob) に搭載される可能性[38] もあったが、ペネトレータの試験結果が2010年10月に確認されて開発が終了した時点ではスケジュール的に搭載は間に合わなくなっていた[39]。ペネトレーターは「どちらかといえば」硬着陸機である[40] が、軟着陸機と同様に月面着陸時に破壊されない。 月面着陸に特化された最初のアジア製探査機は、2008年にチャンドラヤーン1号から放出されたインドの月衝突機 (MIP) である。ガリレオのエントリープローブと同様、MIPは着陸で破壊される硬着陸機に過ぎないが、その搭載機器は衝突まで25分間にわたり月面観測を行った。またその降下試験は2019年に打ち上げられたチャンドラヤーン2号(軟着陸は失敗)のような将来の軟着陸に応用される。 中国の嫦娥1号もまた2009年に観測終了後の制御落下を達成し、月面に到達した6番目の国となった。硬着陸の目的の1つはMIPと同様に将来の軟着陸の事前テストである。中国は2013年12月14日、嫦娥3号で月軟着陸に成功し、アジアで初、世界では3番目に軟着陸を果たした国となった。搭載された自走式の月面車「玉兎号」も稼働させた[41] が、これも世界で3か国目の事例である。さらに2020年には嫦娥5号で世界3か国目のサンプルリターンを成功させている[42]。 日本のSLIMは、2024年1月20日に月面着陸に成功したと発表された[43]。 主な惑星の探査探査機を使った日本の主な科学的成果はさきがけ・すいせいによる彗星や、はやぶさによる小惑星といった小天体に限られる。日本で初めての惑星探査は1998年に打ち上げられた火星探査機のぞみによるものだが、火星に到達する前に通信が途絶してしまった。2010年には金星探査機あかつきを打ち上げ、2010年12月に金星上空に到達したものの周回軌道への投入には失敗。その後金星に近い公転軌道を5年飛行したのち、2015年12月におこなわれた再度の周回軌道投入に成功して、日本はアジア初、世界でも4番目の「金星周回機」所持国・機関となった。2018年に欧州宇宙機関と共同で水星探査機ベピ・コロンボを打ち上げ、成功(到達予定は2025年)すればアジア初、世界でも2/3番目の「水星周回機」所持国・機関となる。のぞみに次ぐ火星探査計画MELOSも検討中である。また、日本はイオンエンジンを搭載したはやぶさや、あかつきと同時に打ち上げた小型ソーラー電力セイル実証機IKAROSによって、化学燃料ロケットによるものとはまったく異なる惑星間航行技術を習得しつつあり、はやぶさは世界初の月以遠の天体との往復航行、IKAROSは世界初のソーラーセイルによる惑星間航行を達成している。将来的にはソーラー電力セイルとイオンエンジンの両方を利用した木星・トロヤ群探査も構想されている。 インドが2013年11月に打ち上げた火星周回機マーズ・オービター・ミッション(通称マンガルヤーン)は、2014年9月24日に火星周回軌道に乗り、アジアで初めて探査機を火星に到達させることに成功した[44]。インドはアジア初で世界でも4番目の「火星周回機」所持国・機関となった。 ある中国の科学者は2009年当時、中国独自の惑星探査機を打ち上げるには今から20年かかると予想していた[45]。中国の蛍火1号はロシアのフォボス・グルントに搭載される形で火星周回軌道への投入が計画され、2011年11月(当初の予定は2009年10月[46][47])に打ち上げられたが、前記の通り失敗した。それから約9年後に打ち上げられた天問1号は、2021年5月に周回軌道船と着陸機、それに探査車を稼働させ、中国はアジアで初めて火星軟着陸に成功した[48]。中国科学院では2050年に中国の有人火星探査を計画している。 一方、フォボス・グルントと一緒に打ち上げられる蛍火1号と同様に、あかつきやIKAROSとともに民間宇宙機しんえんが金星へ向かう軌道に投入された。世界初の民間惑星間航行がアジアで実現されるかもしれなかったが、2010年5月22日にシグナルを受信して以来、しんえんの追跡には成功していない[49]。なお、IKAROSは光圧による航行技術の試験、しんえんは宇宙環境におけるコンピュータの耐久試験が主目的であり、金星をフライバイするが観測機器はあまり搭載していない。 アジア各国の有人宇宙飛行計画1980年7月23日にベトナムのファム・トゥアンがソユーズ37号でアジア人として初めて宇宙飛行した。1981年3月22日年にジェクテルデミット・グラグチャが1985年にはサウジアラビアのスルタン・ビン・アブドゥルアズィーズ・アル・サウードがスペースシャトルSTS-51-Gで宇宙飛行した。1990年12月2日には日本の秋山豊寛がソユーズTM-11で宇宙飛行した。1992年9月20日に日本の毛利衛がスペースシャトルSTS-47で宇宙飛行した。 近年、アジア各国では独自の有人宇宙飛行計画が策定されており、2003年10月15日に中国では神舟5号で楊利偉が宇宙飛行した。(中国有人宇宙飛行計画) インドでも独自の有人宇宙飛行計画を進めている(インドの有人宇宙飛行計画)。 イランでも独自の有人宇宙飛行計画が2010年代までは報じられていた。 アジアの宇宙機関
脚注
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