アリエル・プリエト
アリエル・プリエト(Ariel Prieto , 1969年10月22日 - )は、キューバ共和国・ハバナ出身の元プロ野球選手(投手)。現在はMLB・アリゾナ・ダイヤモンドバックスでコーチ兼通訳を務めている。 経歴現役時代キューバのファハード大学を卒業後、プエルトリコへ渡りウィンターリーグでプレー。カリビアンシリーズにも出場した。 その後、セリエ・ナシオナル・デ・ベイスボルに戻った後もMLBでプレーしたいという希望はあったが、才能の流出を恐れたキューバ政府によりビザは発行されなかった。 その為、プリエトは1994-95の国内リーグでわざと酷い投球を続け仮病を訴え、周囲の評価を落とすことに努めた[1]。 それが功を奏しビザが発行され、夫婦で共に米国へ渡り、独立リーグのパームスプリング・サンズで数試合プレーした後に1995年MLBドラフトでオークランド・アスレチックスから1巡目(全体5位)で指名され、入団。入団当初は28歳と発表され、後から実は24歳だったと訂正。暫くしてまた28歳と言われ、地元サンフランシスコの新聞では「キューバでは時と場合によって年齢が変わるらしい。猫の目のようにね。果たしてプリエトは何歳なのか。我々は正しい記事を書くのに困っている。真実を知っていたら誰か教えて欲しい」と皮肉混じりに書かれている[2]。 1995年7月2日のカリフォルニア・エンゼルス戦でメジャーデビューし、1997年には開幕投手を務めた。2001年にはトレードでタンパベイ・デビルレイズへ移籍した。 2005年までマイナーでプレーしたが、2001年以来のメジャー昇格は果たせず、海外リーグを経て2008年に現役引退。 コーチ時代2009年から2011年までアスレチックス傘下のマイナー組織で投手コーチを務める[3]。 2012年からはチームに新しく加わったヨエニス・セスペデスの通訳としてアスレチックスのコーチに就任[4]。 2015年からはアリゾナ・ダイヤモンドバックスのコーチ兼通訳に就任している。 キューバ代表1990年から1994年までキューバの代表チームに所属していた。 1990年のニカラグア戦ではキューバの代表記録となる一試合20奪三振を記録し、国際試合では11勝0敗と無類の勝負強さを発揮した[5]。 人物フロリダ州のマイアミに自宅があり、妻との間に二人の娘がいる。 詳細情報年度別投手成績
背番号
脚注
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