イスラエル Israel Israël
加盟放送局
IBA (1973 - 2017)KAN (2018以降) 国内選考大会
内部選考
1973 - 1977
1988(アーティスト)
1990
1998 - 2000
2002 - 2004(アーティスト)
2007 - 2010(アーティスト)
2012
2014(アーティスト)
2015(曲のみ)
2017 - 2019(曲のみ)
2021(アーティスト)
2023
2024 - 2025(曲のみ)
1981 - 1983
1985 - 1987
1988(曲のみ)
1989
1991 - 1993
1995 - 1996
2001
2002 - 2004(曲のみ)
2005 - 2006
2007 - 2010(曲のみ)
2011
2013
2014(曲のみ)
2015(アーティスト)
2016
2017 - 2020(アーティスト)
2024 - 2025(アーティスト)
HaShir Shelanu L'Eurovizion
主催大会
1979 エルサレム 1999 エルサレム 2019 テルアビブ 出場 出場回数
47(決勝=40) 初出場
1973 最新の出場
2025 優勝
1978 、1979 、1998 、2018 最低順位
24位: 1993 準決勝敗退
2004 、2007 、2011 、2012 、2013 、2014 、2022 予選敗退
1996 無得点
2019審査員票 外部リンク
IBA page
Eurovision.tvのページ
Hovi Star 、ストックホルム での2016年大会 にて。
ネッタ・バルジライ 、リスボン での2018年大会 にて
イスラエルのユーロビジョン・ソング・コンテスト では、イスラエル におけるユーロビジョン・ソング・コンテスト について述べる。イスラエルは地理的にはヨーロッパ ではないものの、イスラエルの放送局が欧州放送連合 (EBU)に加盟していることからユーロビジョン・ソング・コンテストに参加する権利を持っており、1973年大会 で初めて大会に参加した。
歴史
優勝
2008年までに、イスラエルは3回の優勝を経験している。Izhar Cohen とAlphabeta はパリ で行われた1978年大会 では、アップテンポの楽曲「A-Ba-Ni-Bi 」で優勝を果たした。翌年の大会はエルサレム で行われ、Gali Atari とMilk and Honey の「Hallelujah 」でイスラエルは再度の優勝を果たした。イスラエルが3度目の優勝を果たしたのは、バーミンガム で行われた1998年大会 のことであり、トランスセクシャル の歌手ダナ・インターナショナル が「Diva」を歌って優勝を勝ち取った。これは、イスラエル国内の保守派からは激しい反発を生んだ。
その他
初期のころ、イスラエルでの国内選考はイスラエル放送局 の内部で行われていた。Ilanit が2度にわたってイスラエル代表に選出されたことに対する批判から、ヘブライ歌唱合唱フェスティバルでの優勝者がイスラエル代表となる方式に改められた。1978年大会、1979年大会ではこの方法に従ってイスラエル代表が選出された。
しかし1980年には、フェスティバルの優勝者であったHa'akhim ve ha'akhiyotというバンドの「Pizmon Chozer」は、大会に参加することができなかった。1978年に続く1979年の2年連続での優勝の後、イスラエル放送局は短期間の間に2度の大会主催は不可能であった。イスラエルは大会の主催を諦め、主催権をオランダに譲り渡した。既に多くの時間が費やされた後であり、大会主催者はソング・コンテストの適切な日取りを選ぶことは難しくなっていた。最終的に大会の開催日とされた日は、イスラエルでは戦没将兵記念日であったため、イスラエルは大会に参加することはできなくなった。これは、2008年までの時点で、優勝の翌年に大会に参加しなかった唯一の例である。
優勝以外では、イスラエル代表に対する大会での反応はさまざまであった。(1982年大会 のAvi Toledano 、1983年大会 のオフラ・ハザ は多くの国々から高得点を得た一方、このひたすら歌い踊るイスラエルのスタイルの人気は1986年ごろまでには衰えていった。異なるスタイルへの挑戦として、Rita Kleinstein は1990年大会で繊細なバラッド を歌い、2000年大会 ではPing-Pong のディスコ風の楽曲を歌ったものの、大きく失敗におわった。しかしPing-Pongは、その楽天的な歌詞と中東 の平和を願うメッセージで注目を集めた。彼らは大会での演技の最後にシリア の旗を振り、多くのイスラエル人の怒りを買った。
2004 年、David D'Or は「Leha'amin 」(להאמין )で11位となり、過去5年で最も高い順位となった。キエフ での2005年大会 では、シリ・マイモン は4位に輝き、久々のベスト5復活を果たし、2006年大会 の無条件での決勝進出を決めた。2006年大会ではイスラエルはEddie Butler の楽曲「Together We Are One」で大会に挑んだが、わずかに4得点を得て23位に終わった。イスラエル放送局 のユーロビジョン委員会がイスラエル代表に選出したバンドのティーパックス (Teapacks )は、ヘルシンキ で行われた2007年大会 では準決勝で28組中の24位という結果となり、決勝進出を逃した。2008年大会では準決勝を通過し、決勝に進むことができた。
モスクワ で行われる2009年大会 では、大会で初めてアラブ系イスラエル市民 の歌手としてミーラー・アワド (Mira Awad )が、アヒノーム・ニニ (Achinoam Nini )と共にイスラエル代表として参加する。
イスラエルの参加に対するアラブ世界の反応
1978年大会では、イスラエルの演技のときヨルダン の放送局JRTV は中継を中断し、代わりに花の画像を映し出した。イスラエルが大会で優勝する見通しとなったとき、JRTVは突然放送を打ち切った[ 1] 。その後、ヨルダンのニュース・メディアはイスラエルが優勝した事実を報じることを拒み、優勝者はベルギーであると報じた(実際にはベルギーは2位であった)[ 2] 。
イスラエルのユーロビジョン・ソング・コンテスト 参加によって、参加の権利のある多くのアラブ の国々が大会に参加しないことを決めている。チュニジア 、モロッコ 、レバノン がこれに当たる。チュニジア は参加を試みたものの、最終的に不参加を決定している。レバノン は2005年大会 の参加直前まで言ったものの、レバノンの法律はイスラエルの存在を認めることを禁止しており、レバノンのテレビはあらゆるイスラエルの映像を放映できず、これが欧州放送連合 の定めた大会の規定に触れるため[ 3] 、参加できなかった。モロッコ は大会に実際に参加した経験のあるただ一つのアラブの国であり、イスラエルが参加しなかった1980年大会 に参加している。
参加者
表示
1
優勝
2
2位
3
3位
◁
最下位
X
出場曲を決定したが不参加
投票履歴
イスラエルから得点が送られた国々
イスラエルに得点を送った国々
得点早見表(得点は決勝のときのもののみであり、準決勝のものは含まない。2016年以降は上段が審査員票、下段が視聴者票を示す。12点は太字で表示)
国/年
合計
その他の国
リンク
1973
97
7
5
7
6
6
6
4
7
5
6
5
6
5
7
7
8
[ 8]
1974
11
1
2
3
2
1
2
[ 9]
1975
40
1
1
2
10
2
6
1
6
5
3
1
1
1
[ 10]
1976
77
4
6
10
6
2
7
1
3
7
8
5
2
1
8
7
[ 11]
1977
49
7
3
5
10
3
6
5
2
1
7
[ 12]
1978
157
8
5
8
8
12
5
12
6
6
12
12
8
10
8
12
10
3
12
[ 13]
1979
125
12
12
8
1
4
5
12
10
6
12
12
1
2
12
8
8
[ 14]
1981
56
7
4
8
7
4
3
8
6
5
4
[ 15]
1982
100
1
7
8
2
10
10
6
1
12
1
12
7
10
3
10
[ 16]
1983
136
10
3
12
12
3
7
5
6
7
10
6
7
8
10
10
10
10
[ 17]
1985
93
8
5
5
7
5
2
7
2
8
4
7
10
12
5
6
[ 18]
1986
7
5
1
1
[ 19]
1987
73
5
5
4
1
3
8
4
8
2
7
10
6
10
[ 20]
1988
85
6
1
4
3
2
3
3
10
6
5
6
10
10
10
1
5
[ 21]
1989
50
5
7
2
1
3
7
5
5
3
5
7
[ 22]
1990
16
4
2
4
5
1
[ 23]
1991
139
10
8
10
5
5
8
6
12
10
12
7
6
3
8
4
8
12
5
[ 24]
1992
85
7
1
3
4
4
4
10
2
4
2
2
8
7
7
12
8
[ 25]
1993
4
1
3
[ 26]
1995
81
12
6
8
4
2
10
10
5
4
7
5
8
[ 27]
1998
172
6
5
7
6
8
10
10
10
5
10
7
7
5
3
10
12
10
10
12
12
7
[ 28]
1999
93
1
4
1
4
10
8
3
8
1
2
7
3
2
10
3
10
2
8
6
[ 29]
2000
7
1
6
[ 30]
2001
25
2
7
10
6
[ 31]
2002
37
5
1
1
5
5
10
2
3
5
[ 32]
2003
17
3
1
8
5
[ 33]
2005
154
6
3
8
7
7
1
1
7
1
1
6
5
5
3
5
8
5
10
8
6
5
8
12
6
2
3
7
8
[ 35]
2006
4
4
[ 36]
2008
124
7
4
6
5
3
2
1
2
10
3
1
3
7
3
3
3
8
6
2
4
5
5
5
6
5
3
6
6
[ 38]
2009
53
7
1
5
1
5
4
10
8
8
4
[ 39]
2010
71
5
4
3
3
10
2
4
8
6
5
10
1
8
1
1
[ 40]
2015
97
5
7
5
5
8
2
2
5
6
2
1
3
4
1
6
5
4
3
2
4
7
5
3
1
1
[ 45]
2016
124
4
3
3
3
8
6
10
7
5
5
7
3
8
1
2
7
2
12
3
7
2
7
1
2
6
[ 46]
11
6
3
2
2017
34
4
1
5
6
8
1
7
2
[ 47]
5
1
1
3
2018
212
8
7
1
5
8
10
2
10
6
12
5
1
4
10
12
3
1
7
10
1
2
12
3
1
6
12
12
4
6
1
6
10
6
8
[ 48]
317
7
6
12
1
10
7
7
12
12
7
10
3
10
6
6
12
12
5
10
12
7
10
10
7
10
7
12
10
8
10
10
1
8
12
1
8
1
8
10
2019
0
[ 49]
35
5
1
4
3
12
7
3
2021
73
6
4
7
4
8
5
4
3
1
2
1
8
5
3
6
1
5
[ 50]
20
12
2
5
1
2023
177
7
12
6
12
4
12
1
4
2
7
8
8
7
1
5
8
10
3
12
10
12
7
5
10
4
[ 52]
185
1
12
5
12
3
5
1
5
1
6
12
7
4
10
6
3
7
7
8
3
10
5
5
5
6
10
5
3
6
12
2024
52
5
8
3
8
8
3
5
3
3
2
4
[ 53]
323
8
10
7
10
1
12
12
6
12
10
12
10
7
12
8
12
12
12
10
3
10
8
12
5
12
12
12
5
12
5
10
7
3
12
12
2025
60
7
12
5
2
5
5
1
6
1
3
3
2
7
1
[ 54]
297
4
10
12
7
12
8
1
2
12
7
12
10
7
10
7
12
12
12
6
2
10
8
12
10
10
12
12
12
5
7
7
3
12
12
主催
脚注
注釈
出典
概要 各年の大会
1950年代 1960年代 1970年代 1980年代 1990年代 2000年代 2010年代 2020年代
参加国
活動中※は「BIG 5」 休止中 資格停止中 現存しない国
予選 国内選考
特別番組 ジュニア
関連作品
1970年代 1980年代 1990年代 2000年代 2010年代 2020年代
カテゴリ