カーリー・サイモン
カーリー・エリザベス・サイモン(英語: Carly Elisabeth Simon、1943年6月25日 - )は、アメリカ合衆国出身の女性シンガーソングライター、ミュージシャン。フォークソング出身で、1970年代からソロに転向し、開花。1980年代にはアカデミー賞を受賞するなど、米国の代表的アーティストとして知られる。 第14回グラミー賞受賞。1988年度アカデミー歌曲賞受賞。1994年にソングライターの殿堂入りを果たした[3]。 「ビルボードの選ぶ歴史上最も偉大なHot 100女性アーティスト」において50位[4]。 略歴ニューヨーク・ブロンクスの非常に裕福な家庭の子女として育った。父親は米国の大手出版社サイモン&シュスター創業者のリチャード・L・サイモン。1964年に姉のルーシーとフォーク・デュオのサイモン・シスターズを結成する。 1971年2月、アルバム『Carly Simon』でソロ・デビューを果たす。「幸福のノクターン」「アンティシペイション」がヒットした。第14回グラミー賞(1972年3月開催)で最優秀新人賞を受賞[5]。 1972年に、ミック・ジャガーがバックボーカルで参加した曲「うつろな愛 (You're So Vain) 」及びアルバム『ノー・シークレッツ』(プロデュースはリチャード・ペリー)をリリースし、翌1973年にはシングル、アルバム共に全米1位の大ヒットとなる[5]。同年11月にはジェームス・テイラーと結婚し、後に2児をもうけた。テイラーとは1983年に離婚。余談だが、竹内まりやはこの時の憔悴し切ったカーリーを見て『元気を出して』を制作している[6]。1974年にはテイラーとのデュエットによるカバー曲「愛のモッキンバード」及びアルバム『ホットケーキ』がヒットした。 カーリーは1970年代前半のシンガーソングライター・ブームの一翼を担った。当時の音楽シーンで内省的なアーティストが多かった中で、明るく活動的なイメージを持ち、女性アーティストとしてはキャロル・キングやジョニ・ミッチェルと並ぶ人気を誇った。 1977年には映画「007 私を愛したスパイ」の主題歌「私を愛したスパイ (Nobody Does It Better) 」が全米2位のヒットとなる[5]。さらに1978年にはマイケル・マクドナルドと共作した「ユー・ビロング・トゥ・ミー」が全米6位を記録し、収録アルバム『男の子のように』はBillboard 200で10位に達した[5]。1981年には自身初のスタンダード集『トーチ』を発表した[3]。 1989年には映画「ワーキング・ガール(Working Girl)」の主題歌「Let the River Run」(邦題 ステップ・バイ・ステップ)でアカデミー歌曲賞を受賞している[7]。 この曲は後にTBS系ドラマHOTELの主題歌として1990年に白鳥英美子、1992年に島田歌穂によってカバーされ、1994年にはドラマの挿入歌として使用された。 2005年にスタンダードのカバー集『ムーンライト・セレナーデ』が全米7位を記録し、27年ぶりの全米トップ10アルバムとなった[5]。 2022年5月4日、米Rock & Roll Hall of Fame Foundationのロックの殿堂にて、パフォーマンス賞を受賞[8]。
ディスコグラフィスタジオ・アルバム
ライブ・アルバム
サウンドトラック
その他のアルバム
脚注
外部リンク |
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