インドネシア国鉄
スマトラ島とジャワ島における路線網
路線範囲
ジャワ島 , スマトラ島 (アチェ州 、北スマトラ州 、西スマトラ州 、南スマトラ州 、ランプン州 ), スラウェシ島 (南スラウェシ州 ) 運行
1945年–現在 軌間
1,067 mm (3 ft 6 in ) 狭軌 (大部分の路線)1,435 mm (4 ft 8+ 1 ⁄2 in ) 標準軌 (Aceh, スラウェシ鉄道 , ジャボデベクLRT , インドネシア高速鉄道 ) 過去の軌間
750 mm (2 ft 5+ 1 ⁄2 in ) (Aceh tramway gauge)[ 2] 600 mm (1 ft 11+ 5 ⁄8 in ) (tramway gauge)[ 2] 電化
直流 1,500V 架空電車線 方式( KAIコミューター )直流 750V 第三軌条方式 ( パレンバンLRT 、ジャボデベックLRT )[ 3] 全長
5,042キロメートル (3,133 mi) 本社
インドネシア バンドン (インドネシア) テンプレートを表示
クレタ・アピ・インドネシア (P.T. Kereta Api Indonesia)、通称PT KAI (KAI )とは、インドネシア の国有鉄道 オペレーター[ 4] 。国有企業 であり、国に線路使用料を支払って運行を行う。2019年、KAIは4億2900万人の旅客と4720万トンの貨物を輸送した[ 5] 。
日本では、インドネシア鉄道会社、インドネシア国鉄とも表記される。
歴史
インドネシアにおいて鉄道は、オランダ植民地時代の1867年6月17日に初めて運行開始した[ 4] 。オランダ東インド会社 の許可を得たNederlandsch-Indische Spoorweg Maatschappij (オランダ・インド鉄道、NIS) がインドネシア初の鉄道会社であった。鉄道建設の最初の起工式は、ケミジェン村でルドルフ・アン・ヤン・ヴィルト男爵によって行われた。
1873年には中部ジャワ の3都市、スマラン 、ソロ(スラカルタ )、ジョグジャカルタ が鉄道で結ばれた。1869年には、バタビアの Bataviasche Tramweg Maatschappij (BTM) によって馬車鉄道が開業した。インドネシア初の路面鉄道で軌間幅は1,188mmであった。オランダ領東インド 政府が実施した自由主義政策により、活発に民間会社(以下私鉄)が鉄道建設が行われるようになった。後にジャワ島 に設立された私鉄には、サマラン・ジョアナ鉄道(SJS)、スマラン・チェリボン鉄道(SCS)、セラジョエダル鉄道(SDS)、オースト・ジャワ鉄道(OJS)、パソエロアン鉄道(PsSM)、クディリ鉄道(KSM)、プロボリンゴ鉄道(PbSM)、モジョケルト鉄道(MSM)、マラン鉄道(MS)、マドエラ鉄道(MdrSM)などである。
これらの私鉄は政府からの財政援助を前提に経営されており、オランダ領東インドに大きな利益をもたらさなかった。そのため、植民地政府はボゴール (バイテンゾルフ)からスラバヤ までの鉄道を建設するためにStaatsspoorwegen (オランダ領東インド政府国鉄)を設立した。最初の路線は、1878年5月16日にスラバヤにて開通した。1894年にブイテンゾルグとスラバヤは、ようやく鉄道で結ばれた。
ジャワ島以外にも、アチェ州 でもバンダ・アチェ と港を結ぶ軌道幅1,067mm(狭軌)の鉄道建設が行われ、軍事目的で使用された。線路が南側に延伸されると750mmへ改軌 された。その後、アチェ州で比較的平和が保たれた後、1916年1月1日にこの路線の所有権は陸軍省から植民地省に移管された。スマトラ島 西海岸(1891~1894年に建設)や南スマトラ州 (1914~1932年に建設)にも鉄道路線が敷設されたが、石炭鉱山から港まで輸送するための鉱山鉄道として使われた。
北スマトラ州 のデリ地区では、主にゴムとタバコを輸送するDeli Spoorweg Maatschappij (Deli Railway Company、デリ鉄道)が開業している。1922年7月から1930年にかけて、大規模なプロジェクトとしてボルネオ島 とスラウェシ島 と南スラウェシ島 での鉄道の建設が計画され、スマトラ島 での路線の延伸による接続、ジャワ島の主要路線の電化が行われた。しかし、世界恐慌 により中止された。未完で終わったが、カリマンタン 、バリ 、ロンボク の鉄道路線の敷設調査は完了した。1928年末までに、オランダ領東インド の鉄道と路面鉄道の路線の長さは7,464キロメートルに達し、そのうち4,089キロメートルは政府によって運営されていた。
日本によるインドネシア占領下
1942年3月9日以降の大日本帝国軍による占領下 では、すべての鉄道路線が1つの組織として統合された。その一方、スマトラ島の鉄道路線は、大日本帝国軍の別の部隊によって管理されている。占領下では、インドネシアの鉄道は主に戦争遂行を支援するために運営され、新たに建設された路線には、石炭輸送を円滑に行うためにサケティ・バヤ線とムアロ・ペカンバル線が含まれている。
しかし、大日本帝国軍は既存の鉄道路線の資材は回収しビルマ に鉄道を敷設するために473キロメートルのレールが転用された。オランダ領東インドにおける2つの軌間幅によって引き起こされる問題を解決するために、ジャワ島の軌間を1,435 mm(以下、標準軌 )から1,067 mm(以下、狭軌 )に改軌されたが、1940年には多くの標準軌の路線には狭軌の車両が通れるように三線軌条 となっていたため、軌間幅の違いによる問題はそれほど大きくなかった。
インドネシア独立後
1945年8月17日にインドネシア独立宣言 が発布された後、インドネシア独立労働者組合(AMKA)に所属する鉄道労働者が日本から鉄道の運営権を引き継いだ。1945年9月28日、イスマンギルと他のAMKAメンバー数名による意見声明の朗読により、その日から鉄道運営権はインドネシア国民の手中にあり、日本にはもはやインドネシアの鉄道問題に干渉する権利がないことが確認された。それ以降、1945年9月28日を「鉄道の日」と定めている。当時のインドネシア共和国領土における鉄道事業者としてDjawatan Kereta Api Republik Indonesia (インドネシア共和国鉄道部, DKARI, Railways Service of the Republic of Indonesia)を設立した経緯となった。一方、オランダ政府も国営鉄道会社と私鉄による事業共同体を結成し、Staatsspoorwegen/Verenigde Spoorwegbedjrif (SS/VS)という名称で運営した。
1949年12月31日まで、DKARIとSS/VSはインドネシアでの鉄道事業者として事業を行っていたが、オランダ・インドネシア円卓会議 の結果、インドネシア政府はSS/VSを含むオランダ領東インド政府の資産を正式に引継ぎ、1950年1月1日にDKARIとSS/VSを合併して鉄道部(DKA )を設立した。その後、鉄道事業者はデリ鉄道を除き、DKAに統合された。さらに1963年5月25日にはデリ鉄道を含めて国有化され Perusahaan Negara Kereta Api (PNKA, 国立鉄道会社)が発足した[ 6] [ 7] 。1971年9月15日、PNKAはPerusahaan Jawatan Kereta Api (PJKA, 鉄道サービス会社)に改組された[ 8] 。
1991年1月2日、PJKAは Perusahaan Umum Kereta Api (Perumka, the Railways Public Corporation)に改組され[ 9] 、 1999年6月1日には株式会社形態の PT Kereta Api (Persero) (PT KA, インドネシア鉄道株式会社)となった[ 10] 。 2010年5月には現在の PT Kereta Api Indonesia (Persero) (PT KAI)となっている[ 11] 。
PT KAI再編後
2012年に営業列車のH-90チケット予約と駅での乗車券システムの導入を促進した。1年後、同社はKRL向けの電子チケットシステムを導入した。2014年、大統領のスシロ・バンバン・ユドヨノ はインドネシア初の空港連絡鉄道 を北スマトラ島 のクアラナム国際空港 に開業した。2014年にKAI Accessアプリケーションをリリースし、2015年3月には自動券売機を導入した。同社は2015年12月、1回の運行で14本の旅客列車を運ぶクルタジャヤ列車の運行を開始し、RailClinicと呼ばれる健康サービスを提供できる特別列車を運行した。2015年には鉄道の乗客数は3億2594万人に達した。
2017年末、スカルノ・ハッタ空港鉄道 の走行試験を開始し、2018年5月にミナンカバウ エクスプレスの運行を開始した。同社は2018年6月に寝台列車の運行を開始した。同年8月にパレンバンLRT の運行を開始した。2019年4月に主要駅にコワーキングスペースを開設したほか、車両へのエアコン設置も開始した。2019年5月にジョグ・ジャカルタ国際空港線 の運行を、同社12月にアディスマルモ国際空港線 が開業した。
2020年5月8日にディディエック・ハルタンティヨが、前職のエディ・スクモロの後任として同社の社長に任命された。同年6月、ジャカルタ特別州政府 およびジャカルタMRT との協力により、タナ・アバン駅、スディルマン駅、パサール・スネン駅、ジュアンダ駅の4つの統合駅を開業し、バンドン駅に歩道橋も開通させた。 同年11月に国家経済回復(PEN)の一環として政府から総額3.5兆ルピアの投資を受けた最初の国営企業となった。
同社は2021年9月に都市間列車である、アルゴ・ブロモ・アングレック号、アルゴ・ウィリス号、アルゴ・ラウ号、アルゴ・ドゥイパンガ号、タクサカ号の所要時間を短縮し、最高速度を120km/hに引き上げた。また、アルゴ・ブロモ・アングレック号、アルゴ・ラウ号、アルゴ・ドゥイパンガ号、アルゴ・ウィリス号、タクサカ号、アルゴ・パラヒャンガン号で無料Wi-Fiサービスを開始した。
子会社
KAIは複数の子会社を運営する。
最も大きなものはPT Kereta Commuter Indonesia (KCI; 通称KAI Commuter)であり、ジャカルタ都市圏(ジャボデタベック )において通勤電車サービスを運営する[ 12] 。かつてはPT KAI Commuter Jabodetabek(KCJ)との名称であった。
KAIサービス
KAIバンダラ
KAIワイサータ
KAIロジスティクス
KAIプロパティ
KAIサービス(Reska)
Reskaは、列車の整備・洗浄や車内の清掃、車内や駅ナカのレストランやカフェの運営や、快適性のサポートなど、サービスの提供に重点を置いている[ 13] 。駅近くに店舗を多く持つ、鉄道をテーマにしたレストランチェーンであるLoco Cafeの商標の所有者でもある。
KAIバンダラ(Railink)
駅 と空港 の間を結ぶ空港連絡鉄道 の運営を担当[ 14] 。下記の路線を運営している。
KAIコミューター(Kereta Commuter Indonesia)
インドネシア 全域での通勤列車 の運営を担当し、ジャカルタ首都圏(ジャボデタベック) だけでなく他の地域の通勤列車も運営する[ 15] 。
KAIワイサータ
2009年9月8日に設立された観光旅行用の列車サービスを管理・提供する子会社である[ 16] 。設立当初は「Indorailtour」として改造された観光列車を3種類運行しておりそれぞれ「ヌサンタラ」「バリ」「トラジャ」と名付けられた。 2014年に「バライ・ヤサ・マンガライ」と名付けられた観光列車の運行を開始した。ガンビル駅の構内に併設されたカプセルホテル「レールトランジットスイート 」の運営もしている。2017年には、ジョグジャカルタ駅 内の「アングレック・エグゼクティブ・ラウンジ」の運営も開始した。2018年には「ラワンセウ」と「アンバラワ鉄道博物館」の運営をKAIから委託されることとなった。2022年に観光列車「パノラミック 」の運行を開始した。
KAIロジスティクス(KaLog)
鉄道を利用した物流および貨物 輸送[ 17] 。
KAIプロパティ
PT KAIの所有する不動産の管理と開発、鉄道関連資産活用を担当[ 18] 。
ジャボデベックLRT
パレンバンLRT
列車
PT KAIがジャワ島とスマトラ島で展開する旅客列車の座席等級の割合は、エグゼクティブ(30%)、ビジネス (22%)、エコノミー (59%) となっており、1日あたり106,638席の輸送力を持つ。一座席辺りの移動距離に結びつけると、乗車人数は1日1kmあたり41,528,450席となり、エグゼクティブ(39%)、ビジネス(25%)、エコノミー(58%)となる。
PT KAIの都市間列車では主にエコノミー、ビジネス、エグゼクティブ、ラグジュアリー、コンパートメントスイートのサービスが存在する。
都市間列車
1車両あたり72〜106席を備えており最も座席数が多い等級である。座席数が一番多く、106席・80席・72席、及び身体障がい者、高齢者などのバリアフリーに対応した64席の3種類で構成されている。最新のエコノミー客車は、エコノミーとプレミアムエコノミー(第3世代エコノミー客車改良型)である。エコノミー客車には、エアコン(AC)・電源コンセント、ソフトシートおよびリクライニングシート(プレミアムエコノミーとエコノミーのみ)、テレビ(プレミアムエコノミーとエコノミーのみ)が装備されている。枕のレンタルも可能となっている。
エアコンと電源コンセントを備えているところは、エコノミークラスと同様である。設備面で違いがあり、リクライニングシートではないが座席の位置を向きに変更することができる。 2009年以降は、ビジネスクラス客車は徐々に減少し始めており、消滅の危機に瀕している。一部の客車はエグゼクティブ客車、観光客車、気動車に改造され、一部は廃車となっている。
エグゼクティブクラスには、必要に応じて調整できる柔らかい座席、広い足元スペース、電源コンセント、毛布、テレビ、ダイニングテーブル、トイレ、エアコンなどがあり、一部の客車ではWi-Fiも利用ができる。停車駅が少ないため迅速に移動ができる。エグゼクティブクラス客車の定員は50人である。
PT KAIの都市間列車において2番目に高い座席等級である。2018年に導入され、定員は初代客車が18席、2019年に導入された2代目客車が26席となっている。設備としては、仕切り付きの初代が170度、2代目が140度までリクライニングソフトシート、車内エンターテインメント、引き出し収納、読書灯、電源コンセント、ヘッドホンなど がある。 KAI では、スナックとドリンクを含む無料の車内食も提供している。ジャワ島の都市間列車に採用され、 北ジャワルートではアルゴ・ブロモ・アングレック号と センブラニ号・ガジャヤナ号が含まれ、南ルートではアルゴ・ラウ号、アルゴ・ドゥイパンガ号、タクサカ号が含まれる。
2023年10月10日から11日まで、インドネシア鉄道会社(PT KAI)の都市間列車の1番目に高い座席等級として登場した。ベッドとしても機能するように最大180度までリクライニング座席があり、さらに座席自体を回転できるので、進行方向に合わせて調整が可能となっている。フットレストも付いており、リラックスして乗車できるようになっている。また、旅行中の自由時間を過ごすために車内エンターテイメントも提供されている。プライバシーを最大限に確保するように設計されており、16室の個室で構成されている。電動で開閉できる引き戸が設置されており、照明には温かみのある柔らかな色調となっている。よりくつろいだ気分になれるような快適な効果を出すように演出されており、トイレを備えている。この座席等級は、アルゴ・スメル号、ビマ号でのみ利用可能である。
アルゴ・ブロモ・アングレック号を運用するCC206形ディーゼル機関車
スリ・タンジュン号を牽引しているCC 206形ディーゼル機関車
バトゥラデンエクスプレスを牽引するCC 203形ディーゼル機関車
アンバラワエクスプレスを牽引するCC 201形ディーゼル機関車
コンパートメントスイートクラスに使われる客車
路線
PT KAIの鉄道路線は完全に国が所有し、インドネシア共和国運輸省を通してPT KAIが旅客列車や貨物列車を運行管理する上下分離方式 を採っている。路線の総延長の約90%はオランダ領東インド 時代に作られたものであり、残り10%は空港連絡鉄道 などの新線となっている。 線路使用料を通じPT KAIは、鉄道部門の非課税国庫収入の最大の納税会社であり、インドネシア共和国運輸省からインフラの保守および運営資金も受け取っている[ 19] 。
PT KAI 路線一覧(ジャワ島)
路線名
区間
開業日
路線開業時の鉄道会社
運営者
地域
アニェール・キドゥル・カンポン・バンダン 線
(西ジャワ本線 )
タナ・アバン – ランカスビトゥン
1899年10月1日
オランダ領東インド政府国鉄西部線
KAIコミューター
ジャワ島
ランカスビトゥン – セラン
1900年7月1日
セラン – クレンチェン
(アニェル・キドゥル 方面への分岐)
1900年12月20日
KAIロジスティクス
チレゴン – メラク
1914年12月1日
KAIコミューター
ジャカルタ・コタ – カンポン・バンダン – インテン シティ – アンケ – ドゥリ
1899年1月2日
タンゲラン・ドゥリ線
タンゲラン – ドゥリ
1899年1月2日
バトゥ・チェペル - スカルノハッタ国際空港
2017年12月26日
KAIコミューター
ラジャワリ ・チカンペック線 (北ジャワ本線)
ジャカルタ・コタ – パサール・セネン – ジャティネガラ – ブカシ – カワラン
1887 年
バタヴィア・イースタン鉄道
ジャカルタ 地域事業部
カワラン – チカンペック – パダララン
1902年12月27日
オランダ領東インド政府国鉄西部線
バンドン地域事業部
ジャカルタ・ボゴール線
ジャカルタ・コタ – ボゴール
1873年1月31日[ 20]
オランダ東インド鉄道
ジャカルタ地域事業部
(ジャカルタ・コタ - マンガライ )
KAIコミューター
( マンガライ – ボゴール )
ボゴール・パダララン・カスギハン 線
(南ジャワ本線)
ボゴール – チクルグ
1881年10月5日
オランダ領東インド政府国鉄西部線
ジャカルタ地域事業部
チクルグ - スカブミ
1882年3月21日
スカブミ – チアンジュール
1883年5月20日
バンドン地域事業部
チアンジュール - パダララン
1884年5月17日
パダララン – バンドン
バンドン – チカレンカ
1884年9月10日
バンドン地域事業部
チカレンカ - チバトゥ
1889年8月14日
チバトゥ – タシクマラヤ
1893年9月16日
タシクマラヤ – バンジャール
1894年11月1日
バンジャール - カスギハン
プルウォクルト地域事業部
チカンペック・チルボン・クロヤ 線
(北ジャワ本線)
チカンペック – チルボン
1912年6月3日
チルボン地域事業部
チルボン・プルジャカン – プルプク
1916年7月1日
チルボン地域事業部
プルウォクルト地域事業部
プルフク - パトゥグラン
1917年1月1日
プルウォクルト地域事業部
パトゥグラン – クロヤ
1916年7月1日
チルボン ・スマラン線
(北ジャワ本線)
チルボン ・プルジャカン - テガル
1899年2月1日
スマラン・シェリボン蒸気 鉄道
チルボン地域事業部
テガル – スマラン ・タワン
スマラン地域事業部
スマラン・フォルステンランデン 線
(南ジャワ本線)
スマラン ・タワン – ブルムブン
1867年8月10日
オランダ領東インド政府国鉄西部線
ブルムブン - グンディ
1867 年-1870年[ 21]
グンディ - ソロ・バラパン
1870年2月10日[ 21]
ジョグジャカルタ地域事業部
ソロ・バラパン - ジョグジャカルタ
1871 年 - 1872年[ 21]
カディピロ - アディ・スマルモ
2019年12月29日
インドネシア共和国運輸省
ブルムブン・ガンブリンガン線
ブルムブン - ガンブリンガン
1924年1月3日
オランダ東インド鉄道
スマラン地域事業部
グンディ・スラバヤ・パサルトゥリ線
グンディ - ガンブリンガン
ギャンブル – セプ
セプ - スラバヤ・パサルトゥリ
スラバヤ地域事業部
チラチャップ ・ジョグジャカルタ線
(南ジャワ本線 )
チラチャップ港 – クロヤ
1887年7月20日
オランダ領東インド政府国鉄西部線
プルウォクルト地域事業部
クロヤ - クトアルジョ
クトアルジョ - プルウォレジョ
クトアルジョ - ジョグジャカルタ
ジョグジャカルタ地域事業部
グミリル – カランタルン
KAIロジスティクス
ケドゥンダン - ジョグジャカルタ国際空港
2021年8月27日
インドネシア共和国運輸省
KAIバンダラ
ソロ・バラパン - ウォノクロモ 線
(南ジャワ本線 )
ソロ・バラパン - アディスマルモ国際空港
2021年9月17日
ジョグジャカルタ地域事業部
ソロ・バラパン – スラゲン
1884年5月24日
オランダ領東インド政府国鉄東部線
スラゲン - ンガウィ
1884年3月1日
マディウン地域事業部
ンガウィ - マディウン
1883年7月2日
マディウン -ンガンジュク
1882年7月1日
ンガンジュク - ケルトソノ
1881年10月1日
ケルトソノ - センブン
1881年6月25日
センブン - モジョケルト
1881年2月27日
スラバヤ地域事業部
モジョケルト – タリク
1880年10月16日
タリク – セパンジャン
1897年7月1日
セパンジャン - ウォノクロモ
シドアルジョ への分岐線
1880年10月16日
ケルトソノ・バンギル 線
(南ジャワ本線)
ケルトソノ- ケディリ
1882年8月13日
マディウン地域事業部
クディリ – トゥルンガグン
1882年8月13日
トゥルンガグン - ブリタール
1884年6月10日
ブリタール - ウリンギ
1896年1月10日
スラバヤ地域事業部
ヴリンギ・ ケパンイェン
1897年1月30日
ケパンジェン – マラン
1896年1月5日
マラン - ラワン
1879年7月20日
ラワン - センゴン
1879年5月1日
センゴン - バンギル
1879年11月1日
スラバヤ・バンギル・カリサット線
スラバヤ ・コタ – ウォノクロモ
1878年5月16日
ウォノクロモ – バンギル
バンギル - パスルアン
ジュンブル地域事業部
パスルアン – プロボリンゴ
1884年5月3日
プロボリンゴ - クラカ
1895年7月1日
クラカ - ジェンベル
1897年6月1日
ジェンベル - カリサット
1897年10月1日
カリサト・バニュワンギ 線
カリサット – ムラワン
1902年9月10日
ムラワン - カバット
1903年2月2日
カバット - ケタパン
1985
鉄道郵便会社
ジャカルタ横断鉄道支線
タンジュンプリオク – アンチョール – ジャカルタ・コタ
1885年11月2日
オランダ領東インド政府国鉄西部線
KAIコミューター
タナ・アバン - マンガライ
1922年8月1日
チバトゥ・チカジャン支線
チバトゥ - ガルト
1889年8月14日
バンドン地域事業部
テガル・プルプク線
テガル - プルプク
1885年延伸
1916年7月1日
スマラン・シェリボン蒸気鉄道
プルウォクルト地域事業部
スラバヤ横断鉄道
シドトポ経由ベンテン (プリンス・ヘンドリック)への支線
1905年
オランダ領東インド政府国鉄東部線
KAIロジスティクス
スラバヤ・コタ – カリマス
1886年1月1日
スラバヤ・パサルトゥリ - カリマス
1912年
オランダ東インド鉄道
スラバヤ・パサルトゥリ – グベン
(短絡線)
2011年5月19日
インドネシア共和国運輸省
スラバヤ地域事業部
プルウォサリ・ウォノギリ・バトゥレトノ線
ソロ・コタ駅に向かう区間
1892年 - 1899年
ソロ・トラムウェイ・カンパニー
ジョグジャカルタ地域事業部
ウォノギリ駅に向かう区間
1922年4月1日
オランダ東インド鉄道
スマリ・グレシック・カンダンガン線
カンダンガン - インドロ
1914年 - 1916年
KAIコミューター
PT KAI 路線一覧(スマトラ島)
路線記号
鉄道路線
区間
開業日
路線開業時の鉄道会社
運営者
地域
–
クタブラン - ムアラサトゥ線 ※軌道幅 1.435 mm
Kr. Mane – Kr. Geukueh dengan stasiun baru
2013年12月1日
インドネシア共和国運輸省鉄道総局
インドネシア鉄道会社
北スマトラ地域事業部
スマトラ島
DSM
ベラワン・メダン線
Belawan–Labuan
1888年2月16日
デリ鉄道
Labuan–Medan
1886年7月25日
ベスタン・メダン線
Kuala Bingei-Binjai–Medan
1887年5月1日
メダン - テビンティンギ 線
Medan–Serdang
1889年7月1日
Serdang–Perbaungan
1890年2月7日
Perbaungan–Bamban
1902年
Bamban–Tebing Tinggi
1903年3月3日
Percabangan menuju Bandara Internasional Kualanamu
2013年7月25日
インドネシア共和国運輸省鉄道総局
DSM
テビンティンギ - キサラン線
Tebing Tinggi–Kisaran
1915年
デリ鉄道
Percabangan Bandar Tinggi–Kuala Tanjung
インドネシア共和国運輸省鉄道総局
DSM
テビンティンギ - シアンタル線
1916年5月5日
キサラン - タンジュンバライ線
1915年
キサラン・ランタウ・プラパット・コタピナン線
Kisaran–Rantau Prapat
1937年
SSS 1
プラウ・アイエ-パダン・パンジャン線
Teluk Bayur–Padang (hanya langsir)
1892年10月1日
スマトラ島西海岸国鉄
西スマトラ地域事業部
Padang–Lubuk Alung
1891年7月1日
パダン・パンジャン・サワルント 線
Lubuk Alung–Kayu Tanam
SSS 2
ルブク・アルン・ナラス・スンガイ・リマウ線
Lubuk Alung–Pariaman
1908年12月9日
Pariaman–Naras
1911年1月1日
ブキット・プトゥス - インダルン線
1979年11月16日
PJKA
ミナンカバウ空港分岐線
2018年5月21日
インドネシア共和国運輸省鉄道総局
ZSS 2
ルブクリンガウ・プラブムリ線
Lubuklinggau–Muara Enim
1920年 - 1933年
南スマトラ州鉄道
パレンバン地域事業部
Muara Enim–Gunung Megang
1916年12月1日
Gunung Megang–Prabumulih
1916年12月1日
ZSS 1
プラブムリ・クレタパティ線
1915年11月1日
LRT
パレンバンLRT
2018年8月1日
インドネシア共和国運輸省鉄道総局
ZSS 1
プラブムリ・パンジャン線
Prabumulih–Peninjawan
1922年9月15日
南スマトラ州鉄道
タンジュンカラン地域事業部
Peninjawan–Baturaja
1923年7月1日
Baturaja–Martapura
1925年11月16日
Martapura–Negararatu
1927年3月21日
Negararatu–Cempaka
1926年5月1日
Cempaka–Kotabumi
1923年6月1日
Kotabumi–Blambangan Pagar
1921年1月2日
Blambangan Pagar–Haji Pemanggilan
1918年2月1日
Haji Pemanggilan–Tegineneng
1917年2月1日
Tegineneng–Labuanratu
1915年11月1日
Labuanratu–Tanjungkarang
1915年3月1日
Tanjungkarang–Pidada
1914年8月3日
Jalur menuju Tarahan
車両
2023年、PT KAI は以下の車両を保有する[ 22] [ 23] 。PT KAI の電気式ディーゼル機関車は主にアメリカ・インドネシア・カナダで製造された車両が使われ、液体式ディーゼル機関車は主にドイツで製造された車両が使われている。電車では日本で運行されていた中古車両が主力車両である。ディーゼル気動車はほとんどが国産のインダストリ・クレタ・アピ (PT INKA)の車両が採用されている。客車や貨車は、PT INKA製のものが使われている。
機関車 , 464両
電車 , 1064両
気動車 , 85両
客車, 1,729両
貨車, 7,272両
ライトレール車両, 186両
機関車
電気機関車
液体式ディーゼル機関車
CC300形ディーゼル機関車 C300形 (LKM Babelsberg 製, LKM V30C)
C301形 (NCM Holland製, GM-8V71 NGO)
D300形 (Krupp 製, M350D1)
D301形 (Krupp製, M350D2)
DD55形 12号機 (元 日本国有鉄道DD13形ディーゼル機関車 )
BB300形 (Krupp製, M700BB)
BB301形 (Krupp製, M1500BB)
BB302形 (Henschel 製, DHG 600 BB)
BB303形 (Henschel製, DHG 1000 BB)
BB304形 (Krupp製, M1500BB)
BB305形 (日本車両製造 製・Jenbacher Werke製, Ldh1500BB・CFD製, BB1500HV)
BB306形 (Henschel製, DHG 800 BB)
CC300形 (PT INKA 製, CC300)
電気式ディーゼル機関車
CC201形ディーゼル機関車
BB200形 (EMD 製, G8A1A)
BB201形 (EMD製, G12U6)
BB202形 (EMD製, G18U6)
BB203形 (GE 製, U18A1A)
BB204形 (SLM 製, HGm4/6)
CC200形 (Alco-GE 製, UM 106T)
CC201形 (GE製, U18C)
CC202形 (EMD 製, G26MC-2U)
CC203形 (GE製, U20C)
CC204形 (GE製, C18MMi dan・GE製, C20EMP)
CC205形 (EMD 製, GT38ACe)
CC206形 (GE製, CM20EMP)
CC207形 (中国国鉄東風4型ディーゼル機関車 )
客車
CL 9200形客車 SS 9000形(ベイネス製)
CL 8500形(ベイネス製)
ABL 9000形(ロレーヌ=ディートリッヒ製、カレル・フーシェ製、ブリソノー・エ・ロッツ製)
CFL/CDL/DL 9000形(ソシエテ・フランコ・ベルジュ製)
CL 9100形(ソシエテ・フランコ・ベルジュ製)
CL 9200形(ベイネス製)
CL/AC 9000形(ソシエテ・フランコ・ベルジュ製)
CR/CDR 7000形(日本車輌製造 製)
ABL/FL 9600形(ベイネス製)
CL/DL 9600/9700形(ジンメリング=グラーツ=パウカー製)
CR 300形(日本車輌製造製)
CW/CFW9000形客車 CW/CFW 9000形(ジンメリング=グラーツ=パウカー製)
DW 9000形(日本車輌製造製)
CW 9100形(日本車輌製造製)
BW/FW 9000形(エスリンゲン機械工場製・MAN 製)
CW 9300形(ラバ製)
CW/BW 9000形客車 CW/BW 9000形(ワゴンバウ・ゲルリッツ製)
K1 1967年形(ワゴンバウ・ゲルリッツ製)
K2 1978年形(日本車輌製造製)
K2/K3 1978年形(ゴーシャFOM製)
K2 1980/1982年形(日本車輌製造製)
K1 1984年形(アストラアラド製)
K2 1985年形(INKA 製)
K3 1985/1986年形(INKA製)
K2 1986年形(INKA製)K1 1964年形客車
K1 1964年形(INKA製)
K1 JS-950形・JB-250形(INKA製)
K1 JSO-751形(INKA製)
K2 1996年形(INKA製)
K1 JS-852形(INKA製)
K1 1998年形(INKA製)
K1 1999年形(INKA製)
K1 2001年形(INKA製)
K1 2002年形(INKA製)
K3 2006年形(INKA製)
K1 2008年形(INKA製)
K3 2008/2009年形 Nutrisari客(INKA製)K1 2016年形客車
K3 2008年形 Divre 2客車(INKA製)
K3 Mini形客車(INKA製)
K1 2009/2010年形 Airliner客車(INKA製)
K3 AC形 Kemenhub客車(INKA製)
K1 2016年形(INKA製)
K3 2016年形(INKA製)
K3 2017年形 プレミアム客車(INKA製)K1/K3 ステンレス客車(二世代)
K1/K3 2018年形 ステンレス 客車(一世代・INKA 製)
K1 スリーパー ラグジュアリー客車(INKA製)
K1 パノラマ客車(INKA製)
T1 コンパートメント スイート客車(INKA製)
K1/K3 ステンレス客車(二世代・INKA製)
K1 ラグジュアリー ニュージェネレーション客車(INKA製)
気動車
ME204形気動車
電車
(KAIコミューター ・インドネシア高速鉄道 ・ジャボデベックLRT ・パレンバンLRT 所属車も含む)
KAIコミューター
Rheostatik電車
EA207系電車
インドネシア高速鉄道
ジャボデベックLRT
パレンバンLRT
脚注
^ a b c d “Annual Report ”. Indonesia Railway Company. 2018年7月31日閲覧。
^ a b “Pembangunan Rel KA Langkat-Banda Aceh Terbengkalai ” (インドネシア語). Liputan6.com (2003年6月28日). 2020年6月10日閲覧。
^ Putra, Aji YK (2018年4月12日). “Ini Perbedaan LRT di Palembang dan Jakarta” (インドネシア語). KOMPAS . https://regional.kompas.com/read/2018/04/12/18332121/ini-perbedaan-lrt-di-palembang-dan-jakarta 2018年8月14日閲覧。
^ a b 『インドネシアの投資環境 』(レポート)株式会社国際協力銀行、2023年2月、第20章 物流・インフラ。https://www.jbic.go.jp/ja/information/investment/inv-indonesia202302.html 。
^ “KAI: 2019, Jumlah Penumpang Kereta Naik 4 Juta” (インドネシア語). Tempo . (2020年2月10日). https://bisnis.tempo.co/read/1305758/kai-2019-jumlah-penumpang-kereta-naik-4-juta/full&view=ok 2021年12月17日閲覧。
^ 1963 Indonesian Government's Regulation No. 22
^ Harinowo, C.; Purwita, T.; Wibowo; Wiko, G.; Primiana, I.; Sutaryono, P.; Augusta, F. (2019). Kebangkitan BUMN Sektor Perhubungan (SC) . Jakarta: Gramedia Pustaka Utama. p. 9. ISBN 9786020633664 . https://books.google.com/books?id=YGC8DwAAQBAJ&q=pnka&pg=PA9
^ 1971 Indonesian Government's Regulation No. 61, dated 15 September 1971
^ 1990 Indonesian Government's Regulation No. 57
^ “Situs Resmi Keterbukaan Informasi Publik | PT Kereta Api Indonesia (Persero) ” (インドネシア語). kip.kai.id . 2018年3月27日閲覧。 “KAI didirikan sesuai dengan akta tanggal 1 Juni 1999 No. 2 yang dibuat dihadapan Imas Fatimah, S.H., Sp.N., Notaris di Jakarta, dan kemudian diperbaiki kembali sesuai dengan akta tanggal 13 September 1999 No. 14. ("KAI was incorporated by a deed of 1 June 1999 Nr. 2 executed before Imas Fatimah, LLB, Specialist of Notaries, Civil Law Notary in Jakarta, which is then amended by a deed dated 13 September 1999 Nr. 14.")” [リンク切れ ]
^ 2010 The Indonesian Railways Directors' Decree No. 16/OT.203/KA 2010
^ “State-run commuter line operator PT KCJ transforms into PT KCI” (英語). https://www.thejakartapost.com/news/2017/09/20/state-run-commuter-line-operator-pt-kcj-transforms-into-pt-kci.html 2020年9月28日閲覧。
^ “RMU - Home ”. www.reska.id . 2024年2月12日閲覧。
^ “Railink Corporate Web ” (インドネシア語). Railink Corporate Web . 2024年2月12日閲覧。
^ “KAI Commuter ”. commuterline.id . 2024年2月12日閲覧。
^ “KAI Wisata - Beranda ”. kaiwisata.id . 2024年2月12日閲覧。
^ “KALOG ”. kalogistics.co.id . 2024年2月12日閲覧。
^ “KAI Properti - Beranda ”. www.kaiproperti.id . 2024年2月12日閲覧。
^ “KAI Minta TAC Diberlakukan Setelah Dapat IMO ”. 2025年3月26日閲覧。
^ Hendarti, L. (2007). Menepis Kabut Halimun: Rangkaian Bunga Rampai Pengelolaan Sumberdaya Alam di Halimun . Jakarta: Obor. p. 21. ISBN 9786024331313
^ a b c BOW (1898). Statistiek van het vervoer op de spoorwegen en tramwegen met machinale beweegkracht in Nederlandsch-Indië . Batavia: Landsdrukkerij
^ “Integrated Report KAI 2023_1 - annual_report_2023.pdf ”. 2025年3月28日閲覧。
^ “BeritaSatu.com – Informasi Kelas Satu ”. m.beritasatu.com . 2018年4月14日閲覧。 [リンク切れ ]
関連項目
外部リンク