ジャーマンウイングス9525便墜落事故
ジャーマンウイングス9525便墜落事故(ジャーマンウイングス9525びんついらくじこ、ドイツ語: Germanwings-Flug 9525)は、2015年3月24日にスペイン・バルセロナからドイツ・デュッセルドルフに向けて飛行していたドイツの格安航空会社(LCC)・ジャーマンウイングスの定期便が、精神が不安定な副操縦士が意図的に機首を下げ続けたことにより、フランス南東部のアルプ=ド=オート=プロヴァンス県に墜落した航空事故である。 機体![]() 事故当該機はエアバスA320-211(機体記号:D-AIPX、1990年製造、製造番号:147、定員:168名)で、1991年にエアバス社からジャーマンウイングスの親会社であるルフトハンザドイツ航空へ新造機として引き渡された後、2003年にジャーマンウイングスへ移籍。その後2004年にルフトハンザへ戻り、 2014年1月31日に再びルフトハンザからジャーマンウイングスに移籍した中古機[3]であった。 事故時点での機齢は24.3年[3][4]で、これまでの飛行時間は58,300時間である[5]。重整備は2013年夏、最後の整備は事故前日の2015年3月23日に行われていた[5]。当該機はこれまでに重大事故に遭遇した記録はない。 エアバスA320とその派生型は、1987年の初飛行以来、シリーズ全体で6,400機以上が生産された、エアバスのベストセラー機で、格安航空会社に限らず、各国のフラッグ・キャリアでも採用されている。 乗員と乗客事故機には乗客144名と乗員6名が搭乗していたが、全員死亡した。事故機の乗客の中には交換留学先から帰国するドイツのヨーゼフ・ケーニッヒ高校(Joseph-König-Gymnasium, ドイツ語版)の生徒16名および教員2名が含まれていた。また、搭乗者名簿に日本人男性2名が含まれていることも確認されており[6]、日本国政府により安否確認の調査が行われた[5]。同時に、日本企業の社員である現地人も名簿に含まれており、関係各社が安否確認を行った[7]。全員の国籍は以下の表のとおり。
事故の経過![]() ![]() ![]() ジャーマンウイングス9525便(4U9525便)は、同社の定期運航便としてスペインのバルセロナ=エル・プラット空港を定刻から26分遅れとなる10時1分(中央ヨーロッパ時間)に出発、デュッセルドルフ空港に向けて飛行していた[27]。 バルセロナを離陸した後、地中海上空を高度38,000フィート(約11,600メートル)で飛行していたところ、午前10時30分頃にフランスのヴァール県上空において急に降下を開始し[28]、10時53分に高度6,000フィート(約1,800メートル)付近で管制レーダーから機影が消失し[29]、アルプ=ド=オート=プロヴァンス県プラド=オート=ブレオーヌのアルプス山中に墜落した[30]。墜落した現場はフランス南東部のニースから北西およそ100キロメートルにあるアルプス山脈の標高2,000メートル付近で、ディーニュ=レ=バンとバルスロネットの中間付近である[31]。 機体および積み荷や遺体は、標高2,000メートル付近の岩肌と低木の入り交ざる斜面に約2キロメートルに渡り散乱しており衝撃の激しさを示している[32]。アルプスの急斜面への激しい衝突で乗客はおろか、機体は木っ端微塵となった。機体の破片が散り散りになるほどであったため、遺体の身元特定は困難を要し、最終的にはDNA解析で判別された。 墜落までの間に、緊急事態宣言など一切の交信がなかった[33][34]。フランス当局は回収したボイスレコーダーの解析を行った。破損しにくいはずのボイスレコーダーも衝突によって大きく破損したが、機体後方にあった事も幸いして音声解析に支障はなかった[35][36][37][38]。 事故原因2016年3月14日に発表されたBEAの最終報告書によると、事故の原因は、操縦士が故意に墜落させたことである。事故機の操縦士は2名であったが、機長が離席した隙に、副操縦士によって犯行が行われた。機長は機体の異変に気付いていたが、副操縦士が、ハイジャック対策のために強化された操縦室のセキュリティを悪用したため、機長は操縦室に入ることができなかった。 事故直後は、様々な推測が報道された。
しかし、事故2日後にはボイスレコーダーの解析が進み、墜落は副操縦士による自殺行為であった可能性が高まった。これは、墜落に至るまで操縦席と管制との交信が一切なかったこと、全く減速せずに山へ突っ込んだことなどの、墜落直前の状況と矛盾しない。 以下に、2015年時点での旅客機の一般的な操縦室扉開錠の仕組みを示す[41][42]。
事故直前、急降下前に機長が離席し室外に出て、戻ったところ暗証番号ではドアが開かず、何度ドアを叩いてもインターフォンで呼びかけても操縦席から反応がなく、しまいにはドアを斧で破壊しようとしていた痕跡があり、その音声記録はドア施錠後から墜落に至るまで、会話や発声が一切なかった[43][38]。 この日の現地時間13:00過ぎ、事故の捜査を進めているフランスのマルセイユ検察が行った記者会見で、そうした事実が公式に発表された。また副操縦士は、最後まで正常な意識がある状態であり、飛行機を破壊したいと考えていた可能性が高い、としたが、テロではなく、自殺だという認識を示した[44][45]。 これを受けて、容疑者の母国であるドイツの検察当局は26日に、事故現場であるフランスの検察当局の要請もあり、容疑者宅を殺人容疑を視野に家宅捜索し、親族や知人にも事情聴取した。聴取および取材に対し知人の1人は、本人が訓練中に休養した時期の様子について「燃え尽き症候群のようで相当落ち込んでいた」と証言している。また今回の事故を受けて航空各社は再発防止策として、操縦室には常に2名以上を配置することなどを発表した[46]。 こうした操縦士の暴挙による墜落事故は以前から、各国の旅客機運航で何度か発生している(「関連項目」も参照)が、これについて日本の専門家は、航空会社の経営危機やLCC普及に伴う、賃金削減や就業時間の増加、リストラの横行が背景にあると指摘している[47]。一方で、事故を機に「LCCは危ない」といったマスメディアの決めつけに警鐘を鳴らす専門家の声もある[48]。 27日のドイツ検察の発表によると、容疑者は医師の診察を受けて「乗務禁止」を幾度も診断されながらもこれを隠していたことが明らかになり、それが明記された事故当日の診断書も見つかった[49]。またドイツ現地紙はこの日、容疑者が失恋に悩んでいたことも報じている[50]。この現地紙が28日に掲載した恋人へのインタビューでは、薄給の割に仕事へのプレッシャーが多いことへの不満を漏らし、精神科の診察を受けていることを告白され、実際に精神不安定な面があったと言い、「そのために機長への夢を絶たれたと悲観したのではないか」と告白している。またフランスの大手無料紙によると、容疑者は幾度も墜落現場の近隣、ディーニュから北西20キロメートルにあるシストロンにレジャーで訪れていたと言い、レジャークラブの職員は、わざわざこちらへ墜落しにきたのではないかと記者に語った[51]。またドイツ紙によると、網膜剥離の視力低下により治療していたことも判明し、これも職務続行困難の要因となり、犯行動機となった可能性があるという[52]。 その後の現地調査の進行により、フライトレコーダーが回収され、操縦の詳しい経緯も判明した。副操縦士は機体が降下姿勢に移ったあとも幾度も加速を繰り返しており、激突後に山の斜面に遺体や瓦礫が深く食い込んで細かく砕け散っていた理由を裏付けている[53]。また、機長がトイレにいくよう仕向けるために飲み物に薬物を混入した可能性が捜査によって浮上している[54]。 2016年3月14日にBEAが最終報告書を発表。副操縦士による故意の墜落と断定された。また、操縦士の精神疾患の際、医師の守秘義務解除に関してルールを明確化するように提言された[55][56]。更に、操縦席のドアの開閉にも改善が行われて、以前より出入りが容易になるようにされた。 航空会社・関係機関・各国の反応![]()
この事故を扱った番組
脚注
関連項目
パイロットの意図的な操作による航空事故未遂・断定不能、また犯人が操縦士ではないが自殺目的で機体を破壊した事例も含む。 →「Category:パイロットの故意による航空事故」も参照
外部リンク
|
Portal di Ensiklopedia Dunia