ホセ・デレオン (1992年生の投手)
ホセ・エウヘニオ・デレオン・ドメネク(José Eugenio De León Domenech, 1992年8月7日 - )は、プエルトリコのイサベラ出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。MLBのボストン・レッドソックス傘下所属。 経歴プロ入りとドジャース時代2013年のMLBドラフト24巡目(全体724位)でロサンゼルス・ドジャースから指名され、プロ入り[1]。契約後、傘下のルーキー級アリゾナリーグ・ドジャースでプロデビュー。パイオニアリーグのルーキー級オグデン・ラプターズでもプレーし、この年は2球団合計で14試合(先発13試合)に登板して3勝5敗、防御率6.96、53奪三振を記録した。 2014年はルーキー級オグデンとA級グレートレイクス・ルーンズでプレーし、2球団合計で14試合(先発12試合)に登板して7勝0敗、防御率2.22、119奪三振を記録した。 2015年はA+級ランチョクカモンガ・クエークスとAA級タルサ・ドリラーズでプレーし、2球団合計で23試合に先発登板して6勝7敗、防御率2.99、163奪三振を記録した。 2016年は開幕をAAA級オクラホマシティ・ドジャースで迎え、16試合に先発登板して7勝1敗、防御率2.61、111奪三振を記録した。9月4日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした。同日のサンディエゴ・パドレス戦で先発してメジャー初登板すると、6回1失点、9奪三振の投球でメジャー初勝利を挙げた[2]。最終的には4試合に先発登板し、勝ち運を味方に付けて2勝を挙げたものの、17回で被本塁打5、防御率6.35、FIP6.97・WHIP1.53と大炎上した。 レイズ時代2017年1月23日にローガン・フォーサイスとのトレードで、タンパベイ・レイズへ移籍した[1][3]。開幕前の2月8日に指名投手枠で第4回WBCのプエルトリコ代表に選出された[4]。 2018年はシーズン開幕前にトミー・ジョン手術を受けており[5]、全休した。 レッズ時代2019年11月20日に後日発表選手とのトレードで、シンシナティ・レッズへ移籍した[6]。 2021年7月19日にDFAとなり[7]、23日に自由契約となった[8]。 ブルージェイズ傘下時代2021年11月29日にトロント・ブルージェイズとマイナー契約を結んで、2022年のスプリング・トレーニングに招待選手として参加した。ここではメジャーに昇格する機会は無く、同年11月10日にFAとなった。 ツインズ時代2022年12月13日にミネソタ・ツインズとマイナー契約を結んだ[9]。 2023年3月開催の第5回ワールド・ベースボール・クラシックのプエルトリコ代表に選出。13日、プールDの対イスラエル戦で先発登板し、5回2/3を無安打、無四球、10奪三振(WBC史上最多タイ記録[10])の快投を見せると、後続の3投手も完全投球を見せ、コールド勝ちの8回参考記録ながらワールド・ベースボール・クラシック初の完全試合を達成した[11]。 2023年5月16日にメジャー契約を結んで、アクティブ・ロースター入りした[12]。6月15日に右の屈筋を痛めた為、15日間の故障者リスト入りとなり[13]、翌26日に2度目のトミー・ジョン手術を受けることを発表した[14]。オフの10月23日にジョーダン・ルプロウらと共にFAとなった[15]。同年は故障などに悩まされたこともあり、最終成績は12試合(先発1試合)に登板して勝ち星なしの1敗、防御率4.67、17奪三振という成績に留まった[1]。 2024年は前年に受けた手術の影響でシーズンを全休した。オフの11月7日にはクリオージョス・デ・カグアスと契約を結び、自身の母国であるプエルトリコのウィンターリーグ、LBPRCに参加した[1]。 レッドソックス傘下時代2025年1〜2月、カリブ海沿岸諸国のウィンターリーグ王者が集う国際大会・第67回カリビアンシリーズに、プエルトリコ代表インディオス・デ・マヤグエスの一員として出場した[1]。シーズンでは3月4日にボストン・レッドソックスとマイナー契約を結んだ[16]。 投球スタイルワインドアップのスリークォーターから、最速95.1mph(約153km/h)・平均92mph(148km/h)のフォーシームを中心に、平均82mph(約132km/h)のチェンジアップ、平均82mph(約132km/h)のスライダー、平均77mph(約124km/h)のスラーブを使用する[17]。 メジャー昇格前2年間(2014年、2015年)の奪三振率は13.26とドクターKぶりを誇った[18]。 詳細情報年度別投手成績
WBCでの投手成績
年度別守備成績
背番号
代表歴脚注
関連項目外部リンク
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