マット・ガーザ
マット・ガーザ(Matt Garza、本名:マシュー・スコット・ガーザ(Matthew Scott "Matt" Garza, 1983年11月26日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州セルマ出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。現在はフリーエージェント。愛称はザ・カウント[1]。 経歴ツインズ時代![]() (2006年9月24日) 2005年のMLBドラフト1巡目(全体25位)でミネソタ・ツインズから指名され入団。 2006年にマイナーリーグの3つの階級で14勝4敗・防御率1.99を記録し、USAトゥデイ・マイナーリーグ年間最優秀選手賞を受賞。8月11日にメジャーデビューを果たし、メジャ―1年目は10試合に登板し、5勝6敗・防御率5.76の成績で終えた。 ベースボール・アメリカ誌の有望株ランキング2007年版ではツインズ球団内で1位[2]、メジャー全体で21位にランクされ[3]、2007年は開幕から先発ローテーション入りが有力視された[4]。しかし、2007年は開幕をAAA級ロチェスター・レッドウイングスで迎え、メジャー初登板は7月2日。7月の月間防御率は1.37だったが、8月・9月は4点台を上回った。この年は16試合に登板し、うち15試合で先発として投げた。成績は、防御率3.69・5勝7敗・WHIP1.54だった。 レイズ時代![]() (2010年2月21日) 2007年11月28日にデルモン・ヤング、ブレンダン・ハリスら3対3のトレードでジェイソン・バートレットらとともにタンパベイ・レイズへ移籍[5]。 2008年はレギュラーシーズンで11勝9敗・防御率3.70を記録。ボストン・レッドソックスとのアメリカンリーグチャンピオンシップシリーズでは2勝を挙げ、MVPに選出された。 2009年も、フルシーズン先発ローテーションに入って32試合に登板。リーグ平均値以上の防御率 (3.95) を記録したが、得点力やリリーフ陣の実力に差がある同地区の強豪球団、ヤンキース (対戦防御率2.08) やレッドソックス (同2.72) 相手に多く登板した事もあり、好投しながら8勝12敗と負け越した[6]。なお、189奪三振はチームトップ[7]、リーグ9位の好成績だった。 2010年7月26日のデトロイト・タイガース戦ではレイズ史上初のノーヒットノーランを達成。この年は防御率3.91・15勝10敗という成績を記録、実力に見合う勝ち星を挙げてデービッド・プライスと共に、レイズの先発ローテーションを支えた。また、メジャー初セーブも記録している。一方で課題もあり、リーグワースト4位の28本塁打を浴びた。 カブス時代![]() (2011年7月7日) 2011年1月8日にトレードでシカゴ・カブスへ移籍した[8]。この年は31試合に先発登板。打線の援護に恵まれない中[9]、2年連続2ケタ勝利となる10勝10敗を記録。防御率3.32・197奪三振 (リーグ9位) は共に自己ベストであり、キャリアを通じて最高級の成績を残した。 2012年、先発ローテーションで例年通りのピッチングを見せていたが、7月21日の試合で肘に違和感を発症し、3.0イニング投げたところで降板した[10]。炎症が発生していた為、そのままDL入りしてシーズンを終えた[10]。その為、最終成績は18試合の先発登板で防御率3.91・5勝7敗・32四球・96奪三振という内容だった。離脱時点で負け越していたのは、前年と同様に打線の援護が乏しかったという原因がある[10]。ちなみに肘の炎症は安静にした事で解消し、11月には投球練習を開始した[10]。 2013年は、広背筋を痛めて開幕DL入りスタートとなり、5月下旬に復帰した[11]。復帰後は快調なピッチングを見せ、11試合の先発登板で防御率3.17・6勝1敗・WHIP1.14という好成績をマークしていた。 レンジャーズ時代2013年7月22日にトレードでテキサス・レンジャーズへ移籍した[12]。8月3日の対アスレティックス戦では、エリック・ソガードにスクイズを含む2つのバントを決められた事で激昂[11][13]。試合中に「女々しい」とソガードを侮辱、試合後には、Twitterでソガードのプレーを褒めたソガードの妻に対しても「女が男のゲームに口を出すな」という旨の暴言を返した[11][13]。移籍後は13試合に登板したが、防御率4.38・4勝5敗・WHIP1.32という成績に終わり、本来の実力通りではなかった。なお、2チーム計では24試合に先発登板し、防御率3.82・2年ぶりの2ケタ勝利となる10勝6敗という成績だった。オフの10月31日にFAとなった。 ブルワーズ時代2014年1月26日にミルウォーキー・ブルワーズと総額5000万ドル+出来高(2018年のオプション付き)の4年契約に合意した[14][15]。移籍1年目のこの年は、27試合に先発登板し、3シーズンぶりに規定投球回をクリア。勝ち運に恵まれず、8勝8敗の勝率.500止まりだったが、4年ぶりの完封勝利を挙げたほか、防御率3.64・WHIP1.18という好成績を記録。投球内容としては往年の実力を取り戻し、大型パッケージ契約の期待に応えた。 2015年は、5シーズンぶりのリリーフ登板 (1試合のみ) を含む26試合に投げたが、またしても規定投球回に未達だった上、防御率5.63・WHIP1.57と炎上。勝ち星が6勝止まりであるのに対し、リーグワースト5位タイの14敗を喫した[16]。 2016年4月、広背筋の故障で離脱した[17]。この離脱の影響もあって19試合の先発登板に留まり、防御率4.51・6勝8敗・WHIP1.51と2年連続で振るわなかった[16]。 詳細情報年度別投手成績
主な記録
背番号
脚注
関連項目外部リンク
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