マルコス・ゴメス・デ・アラウージョ
マルキーニョス(MARQUINHOS)ことマルコス・ゴメス・デ・アラウージョ(Marcos Gomes de Araujo、1976年3月23日 - )は、ブラジル・マットグロッソ・ド・スル州リオブリリャンテ出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはフォワード。 現役引退後は、総面積1700ヘクタール(東京ドーム363個分)の牧場で2000頭の牛を飼育する牧場主となる[1]。 Jリーグ外国籍選手最多得点記録保持者。 現在はブラジルでフッチボレーの選手としてプレーしている[2]。 経歴2001年シーズン中盤、J2降格の危機に瀕していた東京ヴェルディ1969に加入するために来日し、チームのJ1残留に貢献した。 2003年には横浜F・マリノスで久保竜彦と2トップを組みリーグ優勝に貢献したが、安貞桓獲得に伴い構想外となり、2004年にはジェフユナイテッド市原でプレー。9月26日の柏レイソル戦で左アキレス腱を断裂という重傷を負い[3][4]、この年はそれ以降プレーの機会が無く退団して帰国した。 2005年8月、清水エスパルスに途中加入し、14試合9ゴールの成績を挙げてJ1残留に貢献した。 2007年から2010年まで鹿島アントラーズでプレーした。2008年は、来日8年目にして初の得点王に輝き、リーグ連覇を経験した。リーグ戦以外でも、3月12日のACLのクルン・タイ・バンクFC戦では来日初のハットトリックを達成。8月6日のナビスコカップ・清水エスパルス戦では来日公式戦100得点目を達成した。 2010年は3月6日のリーグ開幕戦浦和レッドダイヤモンズ戦で、来日通算10シーズン連続得点を達成したほか、4月24日の横浜FMとのリーグ戦で、史上5人目のJ1通算100得点を達成[5]。9月18日の大宮アルディージャとのリーグ戦では、自身のリーグ初ハットトリックを達成した。チームの若返り方針に伴いこの年限りで退団。 2011年、ベガルタ仙台に完全移籍したが、東日本大震災の影響による精神的ショックを理由に4月9日に退団[6][7]。ブラジルのアトレチコ・ミネイロに移籍した。 2012年、横浜F・マリノスに移籍。3月23日には第1子となる長男が誕生した。開幕前に腰痛で離脱したこともあり、GWまでリーグ戦では出場機会がなかったが、5月3日の浦和レッズ戦で後半27分より途中出場し、後半43分に決勝ゴールを挙げた。11月7日のヴィッセル神戸戦でシーズン二桁ゴールを達成。 2013年リーグ2節清水エスパルス戦でハットトリックを達成[8]。その後もシーズン途中に6試合連続得点をあげる[9] など、ベテランの多いチームで輝きを放った。シーズン終了後、契約満了となり横浜FMを退団した[10]。 2014年、ヴィッセル神戸へ移籍[11]。序盤から順調に得点を重ね、同年4月19日の対鹿島アントラーズ戦であげた得点が、2001年の来日以来J1通算140得点目となり、三浦知良の記録を抜いてJ1通算得点歴代二位となった[12]。同年J1第16節横浜F・マリノス戦にて、外国籍選手初のJ1リーグ戦300試合出場を達成した。 ところが、翌2015年に確執のあったネルシーニョが神戸の監督に就任したことでキャリアが一変する。鹿島在籍時、当時柏レイソルを率いていたネルシーニョは試合がエキサイトする中で「マルキーニョスを削れ」と柏の選手に指示し、これを聞いたマルキーニョスが憤慨してネルシーニョに詰め寄る事態があった[1]。それ以来両者の間には感情的なしこりが残っており、ネルシーニョは監督就任に際しマルキーニョスの退団を求めたという。それが叶わぬままシーズンが開幕すると、指揮官はわざと守備的なポジションで起用したり、突然試合の出場メンバーから外したりすることでマルキーニョスをいびり始めた。そんな中でも5月6日、J1リーグ1stステージ10節湘南ベルマーレ戦でリーグ通算150得点目を記録している。 2ndステージ5節サンフレッチェ広島戦は前半で3点リードされる展開であったが、ネルシーニョは交代枠を使い切ることなく結果0-4で大敗。ベンチ入りしていながら起用されなかったマルキーニョスが不信感を強める中、直後の中断期間に練習態度を巡り指揮官と衝突[13](但し、マルキーニョスは『監督の説明がそのままメディアに伝わったから。僕がいつも真面目に練習することは、誰でも知っている。監督と対立したのは事実だけど、それは彼がきっかけを作ったから。僕の退団を望み、無理となったらあからさまな嫌がらせを続けたからなんだ』と、あくまで半年に渡り公然と嫌がらせを講じてきたネルシーニョに非があるとする立場をとっている[1])。再開後全ての試合でメンバーから外れ、シーズンが終わる前の11月22日に帰国[14]。帰国時は「神戸を退団し国内他クラブへ移籍か」と報道され、実際に神戸との契約は2015年限りで満了となった[15]が、ネルシーニョとの衝突で『気持ちが折れてしまった』マルキーニョスは国内外いずれのクラブとも契約を結ぶことなく、現役を引退した[1]。 2019年3月に発売された『月刊サッカーマガジン』のインタビューで、現在はフッチボレー(ビーチバレーのサッカー版)選手としてプレーしている事を明かしている[2]。 個人成績
その他の公式戦
タイトル
脚注
関連項目
外部リンク
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