ミルジョージ
ミルジョージ(Mill George、1975年4月12日 - 2007年10月19日) はアメリカ生まれの競走馬、種牡馬。 デビュー前にキーンランドセールで日本の中村和夫が購入、アメリカでの競走馬時代は怪我に泣き活躍できなかったが、引退後に日本で種牡馬として成功を収めた。 経歴競走馬時代デビューから3戦目で未勝利戦を勝ち上がった。続くアローワンスでは9ハロンを1分50秒8という好タイムで優勝し、将来を嘱望されたがその後骨折が判明、引退することになった。引退後は日本へ種牡馬として輸出された。 種牡馬時代初年度産駒のロッキータイガーが地方競馬で活躍し、ジャパンカップではシンボリルドルフの2着に健闘した。その後も続々と活躍馬を輩出し続け、1989年にはノーザンテーストから全国リーディングサイアー[注 1]の座を奪い取った(但し中央競馬限定ではノーザンテーストが1位だった)。 本馬の種牡馬としての活躍が呼び水となり、その後ミルリーフ系の種牡馬が数多く輸入された。 1999年に種牡馬を引退[注 2]したあとは、新ひだか町の中村畜産で余生を過ごした。その後、2007年10月19日、老衰のため死亡[1]。32歳の大往生であった。 イナリワンやオサイチジョージなどは後継種牡馬となり、地方競馬を中心に重賞勝ち馬を輩出したが、孫世代で種牡馬入りした馬はいなかった。そのため、2013年現在サラブレッド系競走馬のサイアーラインとしては途絶えてしまっている。 ただしアラブ系においては、産駒のミスタージヨージが種牡馬リーディングで上位に入り、産駒が多くの重賞を勝つなど多大な活躍を見せた。アラブ系競走馬の生産が下火になってしまい、ごくわずかの後継種牡馬しか残せなかったが、それでも水準以上の成績であった。 産駒の傾向芝やダート、重馬場などあらゆる馬場で力を発揮できる点が最大の特徴。とくにほぼすべてのレースがダートコースで行われる地方競馬では、一時期ミルジョージ産駒が圧倒的ともいえる一大勢力を築いていた。産駒の多くは豊富なスタミナを持ち、中距離以上のレースで活躍した馬が多い。その反面スピードは見劣りするところがあり、短距離ではJRAGIII止まりであった。やや晩成の傾向があり、産駒の多くは古馬になってから本格化する。 血統構成としてはナスルーラの3×4というインブリードを持っているのが特徴で、自身と同様、産駒は気性が激しくムラッ気の強い馬が多かった。イナリワンやロジータがその代表例として挙げられるように、気性の強さや闘争心の激しさがレースで良い方向に出れば高い能力を発揮することがあるため、一概に気性難血統というだけでは見限れない産駒を輩出していたのも特徴であった。イナリワンを始め、数多くの産駒に乗った柴田政人は「産駒には天才と狂気が同居した様な馬が多い」とコメントしている。 主な産駒太字は勝利したGⅠ級競走。
ブルードメアサイアーとしての主な産駒
血統表
祖母マタティナは1971年にえりも農場に輸入され、阪神3歳ステークスなどを制したサニーシプレーを輩出している[3]。 脚注注釈出典
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