不二家歌謡ベストテン
不二家歌謡ベストテン(ふじやかようベストテン)は、1966年12月4日から1987年9月にかけてニッポン放送で、日曜日の朝に放送されたラジオ番組である。冠スポンサーは不二家だった。 概要放送は、時報のあと不二家のCMが1本流れ、その直後、パーソナリティが「不二家 歌謡ベストテン!!」と叫んでオープニングテーマへと続いていた。 挨拶は「おはようございます。楽しい日曜日の朝いかがお過ごしでしょうか(年始の放送は「皆さん明けましておめでとうございます。楽しいお正月いかがお過ごしでしょうか」)。新しいヒット曲で綴る不二家歌謡ベストテン。ご案内の○○です」といったあと、下記の集計方法を説明し「あなたの葉書が曲を選び順位を決めます。どうぞどしどしリクエストをお寄せください!!」といっていた。番組内では「この番組は不二家の提供でお送り致します」などの提供アナウンスの読み上げは一切無かった。 チャートの集計方法は、 を加味したものだった[1]。 リクエストには通常の官製はがき、私製はがきのほか、バーコードがまだ広まっていない時代であったので、キットカット(当時は不二家が発売元だった[注 1])やLOOKチョコレートの空箱にリクエスト曲を記入して、さらにそれを封書に同封する方法(歌手のサイン入り色紙がもらえるなど、官製はがきでの応募より懸賞の商品がやや豪華だった)もあった。さらに実際にリクエストして運がよかったリスナーには、官製はがき、通常の私製はがきで応募した場合、賞金1万円と不二家製品が、封書で応募した場合は番組特製のトレーナーが贈られた。トレーナーは青色で右胸の部分に小さく「不二家歌謡ベストテン」と書かれていた。 最初の週の第1位は、荒木一郎の「今夜は踊ろう」、番組開始後10年間の通算1位は、千昌夫の「星影のワルツ」、最長1位保持曲は、子門真人の「およげ!たいやきくん」だった。 また、毎週リスナーに翌週の第1位から第3位までの曲にはどんな曲がランクインされるのかをズバリ当ててもらおうという「ベスト3予想クイズ」(当初の呼び名は「順位ファン予想投票」)のコーナーもあり、予想がズバリ当たれば正解者の中から抽選で毎週5名が、その週の第1位から第3位に実際にランクインされた曲のシングル盤レコードを3枚1組にして獲得することができた。 放送初期は西銀座にあったニッポン放送のサテライトスタジオから放送していたが、その後は有楽町の当時の本社スタジオ(旧糖業会館)から放送されていた。いずれも番組は事前収録だった。 ニッポン放送の日曜午前7時台から11時台の編成見直し・『スーパー電リクサンデーヒットパラダイス』の開始に伴い、1987年9月をもって『リクエスト合戦』とともに終了。1966年12月から続いた番組は20年10ヶ月の放送に幕をおろした。日曜朝の音楽ランキングの番組は『スーパー電リクー』以後は生放送に変わり、現在の『三宅裕司のサンデーヒットパラダイス』に至るまで55年以上にわたり続いている。 出演者パーソナリティ
アシスタントほか 年間チャートについて例年、新年1回目の放送[注 2]で、前年の年間ランキング(番組では「年間ヒットベストテン」と紹介)を発表していた。 年間ランキングの集計方法については、年度によって多少の違いがあるものの、毎週のランキングに順位に応じたポイントを付与し、その合計ポイントによって年間ランキングを決定するものであった。 なお、付与されるポイントについては順位が上位であるほど高く設定されており、1980年の年間ランキングを例に取って説明すると、1位は35点、以下2位32点、3位29点…と5位までは3点刻み、6位から10位までは2点刻みで、10位が13点となるようにポイントを付与。11位以下については11位を11点とし、以下1点刻みで20位が2点となるようにポイントを付与。その合計ポイントによって年間ランキングを決定していた。 ちなみにこの年の1位は週間チャートで10週連続1位を記録した、もんた&ブラザーズの『ダンシング・オールナイト』であった。 ネット局と放送時間
番組開始後10年間の通算ランキング
出典:[3] 長期1位獲得曲13週1位
12週1位 11週1位 10週1位 9週1位 8週1位
その他
脚注注釈出典類似の番組
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