いしだ あゆみ(1948年〈昭和23年〉3月26日[1][3][4][5] - 2025年〈令和7年〉3月11日[6][7][8])は、日本の歌手・俳優・フィギュアスケート選手。イザワオフィス所属[1]。大阪府池田市出身[9]。本名・旧芸名:石田 良子(いしだ よしこ)。
来歴
生い立ち
4人姉妹の次女として[9]、長崎県佐世保市で誕生[5]。難産の末に生まれ、生後2か月の時に肺炎にかかって生死の境を彷徨い、佐世保の米軍基地の病院でペニシリンを投与され助けられたという。大阪府池田市で育つ[注釈 1]。
5歳からフィギュアスケートを始め、選手として活躍したほか、児童劇団でも活動し、「ともだち劇場」で同期生の中山千夏らとともに[10]泉田行夫の指導を受けた。1961年(昭和36年)には梅田コマ劇場で初舞台を踏む[5]。1962年(昭和37年)、14歳で上京していずみたくに師事[9]。4月20日にソノブックス社から「夢みる恋(原題:Walkin' Back To Happiness)」をリリースし、その後もソノシートで数曲を発表した。上野学園に進学、デビュー前は赤坂のナイトクラブで歌っていた[10]。
歌手として芸能界デビュー
1964年(昭和39年)4月、本名から芸名をいしだ あゆみに代えた。名付け親は永六輔[11]。同年、日本ビクター(音楽レコード事業部、現:ビクターエンタテインメント)から「ネェ、聞いてよママ」を発表した[5]。『おしゃれ作戦』『パント・ポップショー』などでテレビ番組デビューすると[10]、1965年(昭和40年)にかけて『七人の孫』に森繁久彌の孫役で出演するなど[4]、劇団出身の演技力を活かして歌手と俳優を掛け持ちした。
4年間で通算23枚のシングルを発表したものの、歌手としては2作目のシングル「サチオ君」が5万枚程度の売上を記録したのが最高で[12]、大きなヒット曲に恵まれなかった[13]。この期間、ドラマや他の仕事が忙しく歌手としての宣伝に協力できなかったと述べている[12]。
歌手に専念するため、1968年(昭和43年)4月に日本コロムビアへ電撃移籍、同年6月10日に移籍第1弾(通算24作目)シングルとして発売された「太陽は泣いている」が転機となり、同年12月25日に移籍第3弾(通算26作目)シングルとして発売された「ブルー・ライト・ヨコハマ」は累計150万枚のミリオンセラーを記録し[14]、代表曲となった[4][5][13]。同年2月10日にはオリコンチャート週間1位にランクインし[13]、年間チャートでは第3位にランクインし、歌手としての地位を確立[13]。横浜市のご当地ソングとして長く歌い継がれ、市民に愛される楽曲となっており[15]、多くの歌手によってカバーもされている。『NHK紅白歌合戦』には、1969年(昭和44年)の第20回に初出場、1973年(昭和48年)の第24回、1993年(平成5年)の第44回と、同曲で合計3回出場している。
1970年(昭和45年)の「あなたならどうする」がオリコン最高2位、1971年(昭和46年)の「砂漠のような東京で」がオリコン最高3位にランクインするなどヒットを連発、紅白歌合戦には通算10回出場している。
1977年(昭和52年)、ティン・パン・アレーと共同制作したアルバム『アワー・コネクション』を「いしだあゆみ & ティン・パン・アレイ・ファミリー」名義でリリース[3]、当時全盛期だったニューミュージックのテイストを取り入れた都会的なサウンドで繊細な歌声を聴かせた。
1981年(昭和56年)11月にアルファレコード(現:ソニー・ミュージックレーベルズ)へ移籍し、シングル「赤いギヤマン」、および松任谷由実(呉田軽穂名義)や岩谷時子が作詞を、PARACHUTEのメンバーが演奏を担当した、セルフタイトルのアルバム『いしだあゆみ』を発売[3]、歌手としても新境地を拓いた。これらのアルバムはシティ・ポップブームの中で再評価され、2013年(平成25年)に『Our Connection』が紙ジャケットのリマスター盤で再発売、2017年(平成29年)には『いしだあゆみ』が初CD化され、隠れた名盤としてファンに愛されている[3]。また、1986年(昭和61年)には渡哲也とのデュエットシングル「わかれ道」をトーラスレコード(現:ユニバーサルミュージックLLC)から発売、同年12月11日放送の『ザ・ベストテン』の「今週のスポットライト」コーナーに出演した。
俳優業へシフト
1973年(昭和48年)、『日本沈没』で演技力が高く評価され[5]、1977年(昭和52年)には『青春の門 自立篇』で報知映画賞助演女優賞を受賞。実力派女優としての地位を確立し、歌手より女優としての活動が主力となっていく[3]。
1979年(昭和54年)、所属していた渡辺プロダクションから分社化したイザワオフィスへ、ザ・ドリフターズなどと共に移籍した。
1981年(昭和56年)の『駅 STATION』では高倉健の妻を演じた。1982年(昭和57年)の『野獣刑事』ではヌードが話題となり、『男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋』との両作品で第6回日本アカデミー賞優秀主演女優賞を受賞した。1986年の(昭和61年)『火宅の人』では報知映画賞とブルーリボン賞、第10回日本アカデミー賞最優秀主演女優賞などを受賞。同年の『時計 Adieu l'Hiver』では経験を活かしてフィギュアスケートのコーチを演じた。
テレビドラマでも、1977年(昭和52年)『祭ばやしが聞こえる』、1979年(昭和54年)『阿修羅のごとく』、1981年(昭和56年)『北の国から』、1983年(昭和58年)『金曜日の妻たちへ』などに出演。1989年(平成元年)『青春家族』のヒロインを清水美砂とともに務め、放送時点41歳で当時としてはヒロイン史上最年長だった。2003年(平成15年)『てるてる家族』の登場人物である岩田夏子のモデルになっており、自らもクラブ歌手役として出演した。たびたび倉本聰脚本作品に起用され、石井ふく子プロデュース作品の常連でもあった。
2008年(平成20年)1月に『ラジオ深夜便』のコーナー「深夜便のうた」の1曲として久々の新曲「オアシス」を発表(作詞:阿木燿子、作曲:宇崎竜童)。同番組で同年3月まで流された。「オアシス」は、NHKサービスセンターが刊行している『ラジオ深夜便年鑑2008』の付属CDと「深夜便のうた」のオムニバスCDで聴くことができるのみである。
2019年(平成31年)、『やすらぎの刻〜道』に出演した。
2020年(令和2年)には文化庁長官表彰[16]、2021年(令和3年)には旭日小綬章受章[17][18]。旭日小綬章受章にあたっては「身に余る光栄でございます」とコメントしている[18]。
死去
2025年(令和7年)3月に入り、急激に体調が悪化し入院していたが、同月11日4時48分、甲状腺機能低下症のため、妹に看取られて東京都内の病院で死去した。76歳没。訃報は同月17日に所属事務所のイザワオフィスから公表された。既に近親者による葬儀を終えており、故人の意思によりお別れの会などの実施はされないとしている[6][7][8]。
韓国でも20社以上の報道機関がこの訃報を伝えた[19][20]。いしだの代表曲でもある「ブルー・ライト・ヨコハマ」は発表当時日本の大衆文化流入が厳しく制限されていた韓国でも海賊版などを通じて人気があった[21][22]。
人物
大阪学芸大学附属池田小学校[23]、上野学園高等学校卒業[24]。
実家は池田栄町商店街 “サカエマチ1番街”で3代続いた喫茶店「フジヤ」とパン屋を営んでいた。母親は福岡県大牟田市出身[24]。姉は石田治子。妹は石田ゆり、義弟はなかにし礼。池田小学校の同級生に安藤宏基がおり、「(いしだと)何度かアイススケートに行き、私はへたくそだったので、いろいろ手を取って教えてもらった[23]。両親(安藤百福・安藤仁子)は愛犬と五月山へ散歩に行った帰り、「フジヤ」でクリームソーダを飲むことを楽しみにしていた[23]」と証言している。千葉真一の熱狂的ファンで、仕事の合間を縫いながら必ず『キイハンター』を観ており、千葉に会うと「大ファンです」と直に伝えている[25]。1979年(昭和54年)『闇の狩人』では一緒のシーンは無いものの同じ作品に出演し、1987年(昭和62年)の主演作『雪の朝に』では恋人役として念願の共演を果たした。
1969年(昭和44年)2月24日に生放送された『夜のヒットスタジオ』の「コンピューター恋人選び」コーナーでは、恋人と噂された森進一が公表され、その後に森の眼前で「ブルー・ライト・ヨコハマ」を歌唱中、動揺した影響からか途中で突如泣き崩れ、歌えなくなってしまった[26][27]。篠木雅博は初めて会った時の印象を「実に存在感があり、きれいな人」と述べている。篠木が一気に企画内容を話したが、黙って聞いた後、いい悪いの答えではなく「あっ、これからサンマ買いに行かなきゃ」と述べただけで終わり、実にあっけらかんとした打ち合わせだったと回想している[28]。
『祭ばやしが聞こえる』で共演した萩原健一と1980年(昭和55年)に結婚したが[注釈 2]、1984年(昭和59年)に離婚した。2019年(平成31年)3月26日、萩原の訃報を知り、「ご冥福をお祈りします」と追悼している[30]。
大阪出身だが標準語で喋るように心がけていた。冗談交じりであったようだが大阪弁を使う知人との会話では自身も大阪弁にならないようにも心掛けていたという[31]。
受賞
1977年
1978年
1982年
1983年
1986年
1987年
1997年
2020年
2021年
ディスコグラフィ
シングル
# |
発売日 |
A/B面 |
タイトル |
作詞 |
作曲 |
編曲 |
最高順位 |
発売元 |
規格品番
|
1
|
1964年 4月5日 |
A面 |
ネエ、聞いてよママ
|
岡田教和
|
いずみたく
|
-
|
日本ビクター
|
SV-13
|
B面 |
初恋
|
2
|
1964年 6月5日 [注釈 3] |
A面 |
サチオ君
|
SV-31 [注釈 4]
|
B面 |
17才になりたいの |
山上路夫
|
3
|
1964年 8月 |
B面 [注釈 5] |
だれだって一人じゃない |
やなせたかし |
SV-57
|
4 |
A面 |
素敵なパパ[注釈 6] |
森繁久彌
|
SV-67
|
B面 |
小さな幸福 |
永六輔
|
5 |
A面 |
東京の夜は更けて [注釈 7] |
宮川哲夫
|
SV-75
|
B面 |
(軽音楽バージョン) [注釈 8] |
- |
いずみたく |
北村英治
|
6
|
1964年 9月 |
A面 |
先生を好きでした |
桜井保
|
いずみたく
|
SV-89
|
B面 |
あゆみの子守唄 |
青木一徳
|
7 |
A面 [注釈 9] |
サミーのマーチ [注釈 10]
|
漣健児 |
T.Cary
|
いずみたく |
SPV-23
|
8 |
1964年 11月15日 |
A面 [注釈 11] |
ブーベの恋人[注釈 12] |
C.Rustichelli |
SPV-25
|
9
|
1964年 12月25日 |
A面 |
赤い花びら 飛んでゆく[注釈 13]
|
井田誠一
|
いずみたく
|
SV-161
|
B面 |
みんなでサイクリング
|
10
|
1965年 2月5日 |
A面 |
みどりの乙女
|
岩谷時子
|
SV-166
|
B面 |
渚の想い出
|
11
|
1965年 3月25日 |
A面 |
アッちゃん |
前田武彦
|
SV-180
|
B面 |
真珠の指輪
|
岩谷時子
|
12
|
1965年 8月5日 |
A面 |
愛さなければよかった
|
SV-256
|
B面 |
歌え太陽 |
藤田敏雄
|
13 |
1965年 9月25日 |
A面 [注釈 14] |
ガムとチョコ
|
山上路夫 |
SV-273
|
14
|
1965年 11月5日 |
A面 |
わたしのことだけ
|
淡の圭一
|
SV-308
|
B面 |
湖に雨が降るとき |
北田守 |
大野正雄 |
竹村次郎
|
15
|
1965年 12月15日 |
A面 |
若い野ばら
|
岩谷時子
|
いずみたく
|
SV-328
|
B面 |
さびしさに涙して
|
16
|
1966年 4月5日 |
A面 |
夢みる17才 |
睦正子 |
H.Korn
|
川口真
|
SPV-64
|
B面 |
ソー・ロング・ベイブ |
室生恵 |
L.Hazlewood
|
17
|
1966年 5月15日 |
A面 |
愛のマーチ |
山上路夫
|
いずみたく
|
SV-391
|
B面 |
忘れたいのよ |
片岡政子
|
淡の圭一
|
18 |
1966年 6月25日 |
A面 [注釈 15] |
さいはての湖
|
鈴木道明 |
寺岡真三 |
SV-424
|
19
|
1966年 7月25日 |
A面 |
パイナップル・ラブ |
井田誠一
|
寺岡真三
|
SV-441
|
B面 |
赤いバラ |
宮川哲夫
|
いずみたく
|
20
|
1967年 3月5日 |
A面 |
黄色いハンカチ |
八木輝寿郎
|
中村八大
|
SV-534
|
B面 |
緑のおめめ |
佐伯孝夫
|
服部克久
|
21
|
1967年 4月25日 |
A面 |
恋のシャドー
|
なかにし礼
|
鈴木邦彦
|
SV-552
|
B面 |
あふれる幸せ
|
22
|
1967年 8月25日 |
A面 |
こまらせたいの
|
有馬三恵子
|
鈴木淳
|
大西修
|
SV-606
|
B面 |
夜を忘れたい
|
23
|
1968年 1月25日 |
A面 |
小雨の思い出
|
志賀太郎
|
SV-658
|
B面 |
星のタンバリン
|
24
|
1968年 6月10日 |
A面 |
太陽は泣いている |
橋本淳
|
筒美京平
|
18位
|
日本 コロムビア
|
LL-10058-J
|
B面 |
夢でいいから |
林春生
|
25
|
1968年 9月25日 |
A面 |
ふたりだけの城
|
橋本淳
|
-
|
LL-10070-J
|
B面 |
あふれる愛に
|
26
|
1968年 12月25日 |
A面 |
ブルー・ライト・ヨコハマ
|
1位
|
LL-10081-J
|
B面 |
明日より永遠に
|
27
|
1969年 4月15日 |
A面 |
涙の中を歩いてる
|
10位
|
LL-10092-J
|
B面 |
恋はそよ風
|
28
|
1969年 8月1日 |
A面 |
今日からあなたと
|
7位
|
LL-10102-J
|
B面 |
ある日街角で
|
29
|
1969年 11月20日 |
A面 |
喧嘩のあとでくちづけを
|
なかにし礼
|
中村泰士
|
森岡賢一郎
|
7位
|
LL-10116-J
|
B面 |
天使の足音
|
30
|
1970年 3月25日 |
A面 |
あなたならどうする
|
筒美京平
|
2位
|
LL-10127-J
|
B面 |
今夜は帰って |
三木たかし |
高見弘
|
31
|
1970年 7月15日 |
A面 |
昨日のおんな |
井上忠夫 |
森岡賢一郎
|
8位
|
LL-10146-J
|
B面 |
誘惑的な午後 |
橋本淳
|
筒美京平
|
32
|
1970年 10月1日 |
A面 |
何があなたをそうさせた
|
なかにし礼
|
12位
|
LL-10151-J
|
B面 |
恋人と呼んで |
川口真
|
森岡賢一郎
|
33
|
1971年 2月10日 |
A面 |
止めないで |
井上忠夫
|
20位
|
LL-10155-J
|
B面 |
待っている女
|
田辺信一
|
34
|
1971年 5月10日 |
A面 |
砂漠のような東京で
|
橋本淳
|
中村泰士
|
森岡賢一郎
|
3位
|
LL-10164-J
|
B面 |
24時間の恋
|
35
|
1971年 8月25日 |
A面 |
おもいでの長崎
|
筒美京平
|
10位
|
LL-10172-J
|
B面 |
ひとり歩きもできないくせに
|
36
|
1972年 1月25日 |
A面 |
さすらいの天使
|
18位
|
LL-10186-J
|
B面 |
白いしあわせ
|
37
|
1972年 7月25日 |
A面 |
まるで飛べない小鳥のように
|
中村泰士
|
高田弘
|
45位
|
LL-10195-J
|
B面 |
いつもなら私は
|
38
|
1972年 11月10日 |
A面 |
生まれかわれるものならば
|
筒美京平
|
43位
|
LL-10204-J
|
B面 |
愛よ行かないで
|
39
|
1973年 2月25日 |
A面 |
愛愁 |
尾中美千絵
|
平尾昌晃
|
竜崎孝路
|
51位
|
LL-10212-J
|
B面 |
あなたからどうぞ |
山上路夫
|
40
|
1973年 6月10日 |
A面 |
渚にて
|
阿久悠
|
中村泰士
|
森岡賢一郎
|
52位
|
LL-10217-J
|
B面 |
破局
|
41
|
1973年 9月10日 |
A面 |
愛の氷河
|
井上忠夫
|
高田弘
|
42位
|
P-301
|
B面 |
私のラストショー
|
42
|
1974年 1月25日 |
A面 |
幸せだったわありがとう
|
なかにし礼
|
加瀬邦彦
|
42位
|
P-329
|
B面 |
何も言いっこなし
|
43
|
1974年 4月25日 |
A面 |
恋は初恋
|
森岡賢一郎
|
54位
|
P-342
|
B面 |
不思議なの
|
44
|
1974年 8月1日 |
A面 |
美しい別れ
|
74位
|
P-362
|
B面 |
ラスト・シーン |
石原信一 |
中村泰士 |
あかのたちお
|
45
|
1974年 12月1日 |
A面 |
家路
|
橋本淳
|
筒美京平
|
-
|
P-388
|
B面 |
幸せのあとで
|
46
|
1975年 4月1日 |
A面 |
待ちわびても |
なかにし礼 |
筒美京平
|
森岡賢一郎
|
P-401
|
B面 |
別れの鏡 |
安井かずみ |
加瀬邦彦
|
47
|
1975年 11月10日 |
A面 |
時には一人で
|
喜多条忠
|
筒美京平
|
83位
|
P-441
|
B面 |
冬の微笑
|
48
|
1976年 5月1日 |
A面 |
とまどい
|
石原信一
|
あかのたちお
|
-
|
P-457
|
B面 |
どうすればいいの
|
49
|
1977年 4月1日 |
A面 |
ちょっと淋しい春ですね
|
橋本淳
|
筒美京平
|
森岡賢一郎
|
PK-50
|
B面 |
夢のかけら
|
50
|
1977年 11月1日 |
A面 |
港・坂道・異人館
|
喜多條忠
|
大野克夫
|
馬飼野康二
|
PK-84
|
B面 |
誘惑者
|
51
|
1978年 7月1日 |
A面 |
今夜は星空 |
吉田拓郎
|
PK-117
|
B面 |
カシミヤの手ざわり |
山口洋子 |
大野克夫
|
52
|
1978年 10月1日 |
A面 |
大阪の女
|
橋本淳
|
中村泰士
|
小杉仁三
|
PK-123
|
B面 |
うわの空
|
53
|
1979年 6月10日 |
A面 |
MILD NIGHT |
仲畑貴志 |
宇崎竜童
|
小野寺忠和
|
86位
|
PK-157
|
B面 |
漂流記 |
小林和子
|
大野克夫
|
54
|
1980年 6月25日 |
A面 |
マイルド・ロマン・ロック |
仲畑貴志
|
船山基紀
|
-
|
AK-675
|
B面 |
あのひとは風の中 |
糸井重里
|
55
|
1981年 11月21日 |
A面 |
赤いギヤマン |
岩谷時子 |
滝沢洋一
|
井上鑑
|
アルファ レコード
|
ALR-745
|
B面 |
波になって |
呉田軽穂 |
戸塚省三
|
56
|
1985年 9月21日 |
A面 |
羽衣天女
|
阿木燿子 |
中崎英也
|
78位
|
CBS・ ソニー
|
07SH-1688
|
B面 |
囁きのリフレイン |
玉置浩二
|
57 |
1986年 11月21日 |
A面 [注釈 16] |
わかれ道[注釈 17] |
水木かおる |
杉本真人 |
竜崎孝路
|
- |
トーラス |
07TR-1141
|
58
|
2015年 4月18日 |
A面 |
私自身[注釈 18]
|
橋本淳
|
細野晴臣
|
日本 コロムビア
|
HMJA-103
|
B面 |
ひとり旅[注釈 18] |
細野晴臣 |
萩田光雄
|
アルバム
スタジオ・アルバム
#
|
発売日
|
タイトル
|
規格品番
|
日本コロムビア
|
1st
|
1969年4月25日
|
ブルー・ライト・ヨコハマ
|
YS-10060-J
|
2nd
|
1970年11月25日
|
Lonely Night With Ayumi Ishida
|
YS-10087-J
|
3rd
|
1971年6月10日
|
砂漠のような東京で
|
YS-10095-J
|
4th
|
1972年3月10日
|
スクリーン・ラヴ・テーマ
|
YS-10117-J
|
5th
|
1972年12月10日
|
FANTASY
|
YS-10133-J
|
6th
|
1974年8月25日
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美しい別れ
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JDX-7033
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7th
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1977年4月25日
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アワー・コネクション[注釈 18]
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PX-7023
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アルファレコード
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8th
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1981年11月21日
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いしだあゆみ
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ALR-28032
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ライブ・アルバム
#
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発売日
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タイトル
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備考
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規格品番
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日本コロムビア
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1st
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1970年1月10日
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マイ・ファースト・リサイタル
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1969年10月27日のサンケイホール
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YS-10075-J
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2nd
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1973年3月25日
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あゆみ オン・ステージ
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1972年12月20日の新宿ムーランドール
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3rd
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1973年7月25日
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あゆみ オン・ステージ
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1973年4月26日の帝国劇場
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4th
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1974年7月25日
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リサイタル 1974
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ベスト・アルバム
タイアップ曲
NHK紅白歌合戦出場歴
(注意点)
- 対戦相手の歌手名の( )内の数字はその歌手との対戦回数、備考のトリ等の次にある( )はトリ等を務めた回数を表す。
- 曲名の後の(○回目)は紅白で披露された回数を表す。
- 出演順は「(出演順)/(出場者数)」で表す。
出演
テレビドラマ
- NHK
- 日本テレビ系
- テレビ朝日系
- TBSテレビ系
- テレビ東京系
- フジテレビ系
映画
舞台
- 屋根の上のバイオリン弾き
- (1967年) - シュプリンシェ
- (1982年) - ホーデル
- 放浪記(1983年) - 日夏京子
- 人生劇場(1985年) - お袖
- 月のしぶきを浴びながら(1994年、パルコ劇場) - 主演・四十歳の女
バラエティほか
CM
脚注
注釈
出典
参考文献
外部リンク
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業績 |
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括弧内は作品年度を示す、授賞式の年は翌年(2月)
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1 - 10作 | |
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11 - 20作 | |
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21 - 30作 | |
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31 - 40作 | |
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41 - 50作 | |
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51 - 60作 | |
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61 - 70作 | |
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71 - 80作 | |
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81 - 90作 | |
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91 - 100作 | |
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101 - 110作 | |
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111 - 120作 | |
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