世界平和教授アカデミー
世界平和教授アカデミー(せかいへいわきょうじゅアカデミー、英語: The Professors World Peace Academy; PWPA)は世界平和統一家庭連合(旧統一教会)と人的・資金的につながりのある学者・文化人組織[1][2]。1973年5月6日、文鮮明によって韓国で「世界平和教授協議会(세계평화교수협의회)」が作られ[3][4]、次いで1974年9月28日に日本で「世界平和教授アカデミー」として設立された。初代会長は松下正寿[5]。本記事では日本で設立された団体について記述する。本部は東京都新宿区新宿。機関誌『世界平和研究』『知識』を発行。 概要![]() 世界平和教授アカデミーは統一教会の創始者で教祖・文鮮明の提唱で創設された。同じく統一教会系列の反共主義の政治団体・国際勝共連合と連携した活動を行っている。 1976年 (昭和51年) 3月から1979年 (昭和54年) 3月までの3か年をかけ、日本の保守派の学者を動員し、日本の国家目標についての研究、「ナショナル・ゴール(国家目標)研究」(NG研究)というプロジェクトを推進した[6]。これらは、基本的には反共主義に則った安全保障・国防拡張政策の実現計画・提言だったといってよい[6]。一方で、宗教・思想と科学の統合という非科学的な研究や、民主主義の再検討という物騒な研究もおこなわれた[7]。教育制度改革を通じて、国民に反共思想・国防思想・反自由主義を定着化させようとした点も主要な議論の一つだった[8]。 このプロジェクトには、糸川英夫、川喜田二郎、黒川紀章、小松左京と言った当時からマスコミを通じて広く知られた人物もかかわっていた[7]。それ以外にも、三菱総研、政策科学研究所、野村総研といった代表的なシンクタンクの責任者もプロジェクトの委員に加わっている。協力者には、山本七平、渡部昇一といった人物も含まれている[9]。成果は1979年6月、『国際化時代と日本 10年後の国家目標』として出版された。 近年はインテリジェント・デザイン説を提唱する「創造デザイン学会」を主催している。「インテリジェント・デザイン」説は高度の知性を持った存在がこの宇宙や生命を設計したとする学説で、キリスト教の創造主たる神を科学的に論じようとする試みだとされ、母体である統一教会の影響が指摘されている。米国PWPAはアメリカにあるブリッジポート大学の運営にかかわっている。年間予算の多くはニューヨークに本部がある「国際文化財団」(初代理事長は文鮮明の側近で、元ワシントン・タイムズ会長の朴普煕、日本における会長は日本の統一教会と国際勝共連合の会長兼任していた久保木修己)からの援助だという。 文鮮明が韓国の信者に行った説教を収録した『文鮮明先生말씀(御言葉)選集』の第125巻の中で、文は次のように述べている[10]。
沿革1973年5月6日、文鮮明によって韓国で「世界平和教授協議会(세계평화교수협의회)」が創設された[3][4]。 1974年 (昭和49年) 9月28日、日本で「世界平和教授アカデミー」が創設された。そこに至るまでには周到な準備がなされている[11]。発端は、文鮮明の提唱により始められた「日韓教授親善セミナー」と「科学の統一に関する国際会議」である[11]。統一教会局長会議の元メンバー副島嘉和が述べているように、「科学の統一に関する国際会議」は統一教会のダミー組織である[12]。 「セミナー」は1971年 (昭和46年) 7月から1973年 (昭和48年) 4月にかけて計5回、「国際会議」は1972年 (昭和47年) 11月と1973年 (昭和48年) 11月の2回開催され、第3回「セミナー」において「アカデミー」創設の要請がなされた[11]。日本で設立されるにもかかわらず「アカデミー」創設の原案は日本ではなく韓国側から出された[11]。この原案はKCIAが作成したことが知られている[11]。 原案に沿って、1973年 (昭和48年) 4月に東京の経団連会館で開催された第5回「セミナー」において、23名の教授によって日本で「世界平和教授協議会」が結成された[11]。これが「アカデミー」の母体である。それから約1年半後の1974年 (昭和49年) 9月28日に、会員134名によって正式に世界平和教授アカデミーとして発足した[11]。 「アカデミー」は国際文化財団によって創設されたが、この財団もまた統一教会のダミー機関である[11]。
所在地所在地は東京都新宿区新宿5-13-2成約ビル2F。成約ビルの概要および主な入居団体は下記のとおり(2022年8月の時点)[17]。
主なメンバー五十音順。世界平和教授アカデミーに関して継続して調査したジャーナリストはいないので、使える資料は古いものしかない。そのため、情報源は1980年代中頃までに限られる。1980年代後半以降、どのような人物がかかわっているのかはほぼ報道されていない。 「アカデミー」の会員は、1970年代末頃の数字で約1000人いた[29][注 2]。会員の中には、原理研の活動とよく似た手法によって、統一教会のダミー組織だと知らないままだまされて誘い込まれた者もいたようである。 1985年 (昭和60年) 頃の証言によると、ある大学教員が「学生運動について話してほしい」と依頼されたので行ってみると、実際には原理運動のホーム (集団生活の場所) で、話をしているうちに次第に「大学の先生たちの集まりがある」から行ってみないかと、巧みに勧誘が始まったと言う[30]。その「集まり」というのが「アカデミー」である。この証言によると、勧誘の対象になったのは学生運動対策の最前線に立っていた学生部長や学生担当など「学生運動にいじめられた人が多かった」ので、「アカデミー」に取り込まれた者もいたという[30]。 会長・本部理事・監事・参与経験者
地区参与経験者北から南への地区順
地区幹事経験者北から南への地区順
脚注注出典
関連図書
関連項目外部リンク |
Portal di Ensiklopedia Dunia