名塚善寛
名塚 善寛(なつか よしひろ、1969年10月7日 - )は、千葉県船橋市出身の元サッカー選手。ポジションはDF。元日本代表。 経歴習志野高等学校から1988年、日本サッカーリーグ1部のフジタ工業(後ベルマーレ平塚、現湘南ベルマーレ)に加入。高校時代は全国的にも無名な選手で、卒業後は地元ディズニーランドそばのホテルにホテルマンとして就職が決まっていたが、高校の監督の薦めで練習に参加し実力を認められた[2]。 高い技術と冷静な判断力に加え、読みの深さも併せ持ち、ディフェンスの中心選手として活躍。チームの若返り策もあり22歳にして不動のキャプテンを務め、バルセロナ五輪予選でもU-23日本代表の中心選手として活躍した。 Jリーグに昇格した1994年はJリーグベストイレブンに選ばれ、日本代表にも選出された。1994年当時、絶頂期であった井原正巳と身長、体重が同じで、プレースタイルも似ており注目された。1994年7月8日ガーナ戦(アシックスカップ、瑞穂陸上競技場)ではゴールも決めているが、1995年1月8日のキング・ファハド・カップ、アルゼンチン戦(リヤド)での不運なオウンゴールにより日本代表には呼ばれなくなった。 1999年ベルマーレの経営危機による選手放出でJ2のコンサドーレ札幌に移籍。ベルマーレを出たくなかった名塚は涙を見せた。しかし札幌では主将として翌年のJ1昇格に貢献。2001年のシーズン終了後に現役を引退した。 ベルマーレ平塚・コンサドーレ札幌時代を通じて、若手選手のリーダー・手本的存在で、元日本代表MF中田英寿、岩本輝雄ら後輩選手の信望が厚かった。 現役引退後は、コンサドーレ札幌の下部組織で指導。2013年よりトップチームのコーチに就任。2014年シーズンには財前恵一のシーズン途中での解任に伴い、監督代行として2試合の指揮を執った[3]。 2017年10月12日の日本サッカー協会理事会で、JFA 公認S級コーチライセンス認定[4]。 2017年シーズン限りで選手・指導者として19年間在籍した札幌を離れ、レノファ山口FCのトップチームコーチに就任することが発表された[5]。 2021年9月29日、それまで監督を務めていた渡邉晋の退任に伴い、ヘッドコーチから監督に就任した[6]。翌2022年も指揮を執り、13勝11分18敗・勝ち点50で16位という成績であった。しかし2023年シーズンは第14節終了時点で3勝5分6敗で18位という順位に沈み、5月8日付で監督から退任した[7]。 2023年7月20日、選手として在籍していた湘南ベルマーレのコーチに就任した[8]。 所属クラブ
個人成績
代表歴試合数
出場
ゴール
指導歴
タイトル出典
関連項目外部リンク
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