緒方賢一
緒方 賢一(おがた けんいち、1942年〈昭和17年〉3月29日[2][9] - )は、日本の声優、俳優。福岡県田川郡赤池町出身[3][4][5]。オフィス海風所属[9]。 経歴生い立ち次男坊として誕生[5]。幼少期から「ひょうきんな子」と言われて育つ[10]。家が料亭を営んでおり、中学卒業と同時に板前の修業に入るが、非常に封建的な職場で友人をかばったことで自分まで制裁を受けたことに憤り、家を出て炭鉱で働く。しかし、怪我が原因で炭鉱での仕事が長く続かず、自分に何ができるか考え、映画で見ていた榎本健一、花菱アチャコ、堺駿二、中でも伴淳三郎に憧れていたこと[8]、元々人を楽しませることが好きだったことから喜劇役者を志し、先に東京へ出ていた兄弟を頼って上京した[3][4]。 キャリア上京後は劇団に入ろうとするが、本人曰く「中卒・小柄・特技もない」という理由から不採用が続き、とりあえず高校だけは行っておこうと2年遅れで定時制高校[10]の商業科[3]に補欠で合格。東京都立代々木高等学校(現:東京都立世田谷泉高等学校)[13]卒業後も劇団の入団試験を受けるが、不採用続きの中、劇団東演を受けたところ演出家の下村正夫の夫人が同郷だったことが縁で2年間勉強のために通うことになる。児童劇団や新劇などジャンル問わず舞台出演していたところ、ある公演時にアテレコのディレクターが演出を担当。その人物からアテレコの仕事に誘われ、『輪廻』で声の初仕事を行う。後にスワラ・プロの社長となる効果音技師・音響監督の伊藤克己が高校の後輩だったため、その紹介で『強妻天国』に出演させてもらう中、「アテレコが割のいい仕事だな」と思うようになり、もっと声の仕事を増やそうと児童劇団で関係のあった大竹宏の紹介で青二プロダクションに入る。声優デビュー時点で30歳近かったが、劇団の下積みがあったためかすぐに声の仕事でレギュラーをもらえるようになった[3][4]。 1970年代の東映動画(現:東映アニメーション)作品の常連だった。1985年に設立された劇団すごろくの座長[14][15]を務め、舞台俳優としても活動。『一休さん』の収録時に倒れて病院に担ぎ込まれたことがあり、以降健康に気をつけるようなったが、特にスポーツをやっているわけでもなく舞台の稽古がトレーニングになっているとのこと。2011年に血尿が出る状態に陥ったが、舞台を優先させ公演終了後に手術。腎盂癌だったため、左腎臓を摘出している[16][17]。舞台だけは最後まで続けていきたいと語っていた[16]が、2013年にすごろくを退団[14]。『緒方賢一とシャレダース』というチームを結成し、以降後進の応援活動に精を出すとのことで、引退ではない[18]。 また、2002年から2008年にかけてはNHK教育テレビの『はじめてのこくご ことばあ!』にも「おがちゃん」として顔出しで出演していた[16]。 現在まで声優・舞台役者以外では、東京声優アカデミー[15]とヒューマンアカデミー[19]で講師を務めている。大根役者本来の「食べても滅多に当らない→興行を打っても当らない」という意味ではなく、「大根」の素材としての調理方法の多様さや様々な色に染まる白さから、生徒に「大根役者になれ」と教えている[20]。 2016年1月、長年所属していたぷろだくしょんバオバブ[2][8][21]を退所、現在はオフィス海風所属。 2019年、第十三回声優アワードにて、京田尚子とともに「功労賞」を受賞した[22]。 特色主な守備範囲は声優と舞台で、声優としてはアニメが多い[23]。 得難いコメディリリーフとして活躍している名バイプレーヤー[24]。演じる役柄は三枚目が多いが、渋い役柄や悪役も演じている。とくにロボットアニメでは悪役を演じることが多い[3]。悪役としての芝居は、子供たちに嫌われる演じ方、悪そうな言い方、気持ち悪い雰囲気の出し方といったことを研究したと語っている[3]。三ツ矢雄二がテレビ番組に出演した際、「『コン・バトラーV』の全悪役を演じたが、ひとつとして同じ演技がなかった」と発言しているが、本人は「そんなことはなく、ストーリー展開が違うから、ほんの少し演技の命を変えれば別人に聞こえるだけ。登場シーンだけを集め、一度に放映したらみんな同じ」と否定している[3]。それゆえ、多数のアニメ作品を集めた「スーパーロボット大戦シリーズ」の収録は演じた悪役が一挙に登場するため大変で、全部別々に収録してもらったという[3]。 デビュー当時は滝口順平が好きで、はじめ緒方は滝口の真似をしていた[23]。おかげで、デビュー後も結構早く名が売れたという[23]。 演技をするにあたって「十界論」を念頭に置いており、人の心のありように「地獄界」「餓鬼界」「畜生界」「修羅界」「人界」「天界」「声聞界」「縁覚界」「菩薩界」「仏界」の10の段階があると考えている。慈悲の心は「菩薩界」、悪役を演じるときは「修羅界」や「餓鬼界」のニュアンスを取り込んでいるという。それまでは喜・怒・哀・楽だけを勉強していたため演技にはそれ以上の奥深さがあるのだと知って驚いたという[25]。 『大空魔竜ガイキング』のハヤミ・ブンタ役は体格の良い二枚目だったが収録中は何度も「もう少し若い感じになりませんか?」って言われて辛かったとのことで、自分ができるのは二枚目半だという[17]。 人物像駄洒落好きで[7]、劇団のウェブサイトのプロフィールに「sharesuberi」というミドルネームが与えられており、由来が「ダジャレが…」となっている[26]。旧座長室の名前も「大洒落 小洒落 見ておじゃれ。」で、掲載されている文章もダジャレだらけ[14]。また日本タレント名鑑の2011年版にも特技の欄に「駄洒落」とある。趣味は「戯作」と「戯れ事」。駄洒落好きが高じて、アドリブで駄洒落を入れることがある[16]。駄洒落を言い出したのは子供の頃からで、また父がホトトギス派の俳人だった影響もあってよく俳句を詠んでいたという[25]。 思い出に残る出演作品として、『大空魔竜ガイキング』のハヤミ・ブンタと『魔法陣グルグル』のキタキタ親父を挙げている。特にキタキタ親父は自身の劇団やイベントなどでコスプレするほど[27]の熱の入れようだった。また、声優グランプリのインタヴューでもキタキタ親父を挙げており、「我ながらよくあんな役を演じたな」と語っている。それ以外では、『宇宙戦艦ヤマト』のアナライザーは、当初無感情なロボットのキャラクターだったが、徐々に感情を出していくようにしていったところ、ロボットなのに酒は飲むしスカートをめくるようなキャラクターに設定が変わっていったとのこと。『少年徳川家康』では、演じた酒井雅楽助正親の人間性に惹かれ酒井正親について調べたこともあった[16]。 『ニルスのふしぎな旅』では、共演した千葉繁と共に勝手に台本を書き換えるほどのアドリブを盛り込んでいたというエピソードがある[28]。ただし、しばしば台本にない台詞をアドリブで言う千葉とは違い台詞をそっくり差し替えることはないといい、書かれていることを言いつつ、少し早口で喋ってギャグを突っ込むという。アドリブを入れる場合でも、あくまで役どころを考えて行っているとのこと[29]。 思いつきの掛け合い芝居も面白いとは思うが、よほど上手くないとゴチャゴチャしてしまうため、アドリブで準備してきた駄洒落も、リハーサルで受けなかったら引っ込めるとのこと[25]。 NHKの人形劇にも多数出演しており、『ざわざわ森のがんこちゃん』のカッパ役での登場シーンに「かっぱ64(8×8=64の意味)」というアドリブを入れたことがきっかけで、掛け算好きという設定になり、アドリブを入れなくとも脚本にギャグを入れられるようになった。『プリンプリン物語』では、昔のNHKでは遊びを入れるのが難しく、ほとんどギャグをやっていなかったが、演じた軍曹の「○○でございますですよ!」という語尾はアドリブで、脚本家の孫がその言い回しを気に入り、当初はアクタ共和国編にしか出演しない予定のキャラクターだったのが、最後まで主人公一行に付き従うレギュラーキャラクターにまでなった[16]。 金丸淳一は『つるピカハゲ丸くん』で緒方とギャグの応酬をしており、最初は緒方から「ツッコミが甘い」と言われスタジオに行くのがつらくなった時期もあったがそれを乗り越えてからは楽しくなったといいアドリブもできるようになったという[30]。 顔出しで出演した『はじめてのこくご ことばあ!』では、出演する子供たちには自由にやらせ、自身には台本が与えられていた。このため台本通りにやるのが非常に大変で、子供が何をするか予想ができず、子供たちの動きに合わせようとするとオーバーアクションになりカメラの枠からはみ出るなど、苦労させられ勉強になったと語る[16]。 交友関係林原めぐみと親子(またはそれに準ずる関係)役で共演することが多く、林原も「声優界でのお父さん」と慕っている。千葉繁との共演も多く、共にハイテンションな役が多いため「俺たち、よく生きてるな」と笑い合ったことがあるとのこと[16]。水田わさびの芸名の名付け親でもある[31]。 出演太字はメインキャラクター。 テレビアニメ
劇場アニメ
OVA
Webアニメ
ゲーム
同人ゲーム
ドラマCD・カセット
吹き替え担当俳優
映画
ドラマ
アニメ
海外人形劇
ラジオ番組
ラジオドラマ
テレビ番組
テレビドラマ
映画
特撮
人形劇
CM※注記が無いCMはすべてナレーション。
パチンコ・パチスロ
舞台
その他コンテンツ
脚注シリーズ一覧
出典
外部リンク |
Portal di Ensiklopedia Dunia