森屋宏
森屋 宏(もりや ひろし、1957年(昭和32年)7月21日 - )は、日本の政治家。自民党山梨県連会長。 学位は修士(公共政策)(山梨学院大学・2014年)。内閣官房副長官、総務大臣政務官(第3次安倍第1次改造内閣)、参議院内閣委員長、参議院議員(2期)、山梨県議会議員(4期)、自民党副幹事長を歴任した。 来歴山梨県都留市生まれ。山梨県立桂高等学校を経て、1979年(昭和54年)、北海道教育大学教育学部卒業後、山梨県都留市にある「ひまわり幼稚園」に勤務。1998年(平成10年)、園長に就任[2]。実家が幼稚園を経営。大学の卒業論文では幼保一元化論についてまとめる。 1999年(平成11年)、山梨県議会議員選挙都留市・西桂町選挙区に出馬し、初当選[3]。以後4期連続当選[4][5][6]。 2006年(平成18年)、自民党山梨県連青年局長。 2007年(平成19年)、自民党山梨県連政調会長。 2008年(平成20年)10月9日、第118代山梨県議会議長に就任[7][8]。 2011年(平成23年)、県議在職中に山梨学院大学大学院に入学。自民党山梨県連総務会長を務める[2]。在職中3年間、山梨学院大学大学院社会科学研究科公共政策専攻で研究を進め、「二元代表制における機関競争の可能性」について論文をまとめた。この論文で平成25年度同大優秀論文賞を受賞した。 2013年(平成25年)5月1日に県議を辞職、第23回参議院議員通常選挙に自民党公認候補として山梨県選挙区から出馬し、現職の米長晴信、元衆議院議員の坂口岳洋らを破り、初当選した[10][11]。 2015年(平成27年)10月9日、総務大臣政務官に就任。10月31日、自民党山梨県連会長に就任[12]。 2019年(令和元年)、第25回参議院議員通常選挙に自民党公認で山梨県選挙区から出馬し、2期目の当選[13]。 2023年(令和5年)9月13日、第2次岸田第2次改造内閣において、内閣官房副長官に就任[14]。 2024年(令和6年)9月12日、自民党総裁選挙が告示され、旧岸田派からは林芳正と上川陽子の2人が立候補した。投票日前日の9月26日22時半頃、産経新聞は、麻生太郎が1回目の投票から高市早苗を支援するよう自派閥の議員に指示を出したとスクープした[15]。9月27日朝、岸田文雄首相は高市が決選投票に残る可能性が高いと踏み、「決選は高市氏以外。党員票が多い方に投じてほしい」と旧岸田派のメンバーに一気に指示を下ろした[16]。高市は1回目の議員投票で、報道各社の事前調査での30~40票を大きく上回る72票を獲得した[17]。党員数と合わせた得票数は1位だったが、決選投票で石破茂に敗れた。森屋は1回目の投票では林に投じた[18]。決選投票については、テレビ山梨の取材に対し、投票先を公表しなかった[18]。 2024年12月、長崎幸太郎知事が、所属する旧二階派から2019年に、政治資金パーティー券の売上ノルマ超過分として、現金1182万円を受領しながら、資金管理団体の政治資金収支報告書に不記載としていた問題を巡り、自民県連の会長を務める森屋は、「党紀委員会に処分審査要請をしない」との決定が伝えられたことを明らかにし、党が長崎を処分しない方針を伝えた。長崎が記者会見などを開いたことを「説明責任を果たした」とし、県連の役職を辞任したことなどを理由に、今後も「説明責任を果たすことを期待」すると述べた[19]。 2025年(令和7年)、第27回参議院議員通常選挙に自民党公認で山梨県選挙区から出馬し、元山梨県知事の後藤斎(国民民主党公認)に破れ落選[20]。 政策![]() 山梨県議会議長時代県議会改革
ドクターヘリ「ドクターヘリは、患者を医療機関にいち早く運ぶだけでなく、機内で治療が始められるメリットがある」と述べ、救急医療を充実させるために働きかけた[24]。 参議院選挙当選後リニアモーターカー
JR中央線の高速化インドネシア人観光客誘致
「県議出身の会」結成へ奔走その他
人物統一教会との関係森屋が再選した2019年の参院選前に、元県議が開催した「森屋ひろしさんを励ます会」に出席した。この会合は統一教会の関連団体の共催で開かれていた[34]。 安倍晋三元総理が、2013年の参院選直前、統一教会の会長らと自民党本部で面談していたとの報道を受け、調査を求める意見が高まったことに対し、森屋は「首相は国会などで自民党総裁として、『本人が亡くなり、十分な調査ができないのではないかと考えている』という旨の説明をしている」として、否定的な考えを示した[35]。 不祥事2013年、森屋の名義で県議21人に対して、米沢牛のすき焼きセット(約7000円)が、森屋の妻より発送され、選挙区の住人への贈答を禁じる公職選挙法への違反容疑で告発された事件について、2014年12月、甲府地検は、嫌疑不十分のため不起訴処分にした。森屋の「関与を認める十分な証拠はない」とし、妻についても「悪質性が重大とは言えない」とした。森屋によれば、お歳暮・お中元として、県議時代から続けていたが、県議時代の選挙区(都留市・西桂町)の選挙区は対象としていなかった。国政進出後、選挙区が全県に広がったが、従来通り続けてしまったためであると説明した[36][37]。 議員連盟・所属団体
選挙
脚注
外部リンク
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