竹内浩典竹内 浩典(たけうち ひろのり、1964年12月22日 - )は、日本のレーシングドライバー。実業家。神奈川県出身。血液型はO型。シフト代表。「スーパーカーレースシリーズ」主催。全日本GT選手権・SUPER GT、スーパー耐久などのツーリングカーレースを中心に活躍した。スーパー耐久で6回シリーズチャンピオンを獲得しているほか、全日本GT選手権でも2001年に立川祐路とのコンビでチャンピオンとなった。 経歴デビュー1988年に富士フレッシュマンレース・AE86シリーズでデビューし、1989年にも富士フレッシュマンレース・AE86シリーズに、参戦し5勝を挙げシリーズチャンピオンを獲得した。1990年には三菱・ミラージュ・ワンメイクシリーズにも参戦したほか、筑波チャレンジカップレースにも参戦した。 JTC/N1耐久1991年には、早くも全日本選手権格式のカテゴリーにステップアップし、全日本ツーリングカー選手権(#56 FMR Project・μ M3/BMW M3)に参戦し、「インターTEC」にも参戦した。1992年にも、全日本ツーリングカー選手権(TEAM タイサン #24 タイサンProjectμM3/BMW M3)に参戦した。 1994年にはN1耐久シリーズ(#2 Projectμ GTR/スカイラインGTR・BNR32)や、フォーミュラトヨタ(#34 /FT)にも参戦し、ツーリングカーのスペシャリストとしての経験を積みつつ、フォーミュラカーの経験も積んでいる。 全日本GT選手権/JTCC/N1耐久1995年1995年には、全日本GT選手権のGT2クラスに参戦し(RE雨宮レーシング #7 RE雨宮 SuperG RX-7)、いきなり2勝を挙げシリーズ3位を獲得している。またこの年にはスーパーN1耐久シリーズ・クラス1(#32 日産プリンス千葉GTRファルケン/スカイラインGT-R BCNR33)に参戦し、シリーズ2位になっている。 1996年1996年には、昨年の活躍が高く評価され、早くも全日本GT選手権・GT500クラスにステップアップし(Rd.3〜 TOYOTA Castrol TEAM #37 カストロール・セルモ・スープラ/JZA80)で1勝し、シリーズ7位になった。 また、全日本ツーリングカー選手権(#38 デンソーEXIV/コロナEXIV ST202)とスーパーN1耐久シリーズ・クラス1(#32 日産プリンス千葉GTRファルケン/スカイラインGT-R BCNR33)にも参戦しシリーズ2位になるなど、名実ともに「ハコのスペシャリスト」として活躍する。 1997年1997年は、引き続き全日本GT選手権・GT500クラス(TOYOTA Castrol TEAM #38 カストロール・セルモ・スープラ/JZA80)、全日本ツーリングカー選手権シリーズ(Team CERUMO #38 デンソーセルモチェイサー/JZX100 3S-G)、スーパーN1耐久シリーズ・Class1(#32 日産プリンス千葉GTRファルケン/スカイラインGT-R BCNR33)に参戦し、スーパーN1では1勝を挙げたほかにも着実にポイントを獲得し、シリーズチャンピオンとなった。 1998年1998年も全日本GT選手権・GT500クラス(TOYOTA TEAM CERUMO #38 FK/マッシモセルモスープラ/JZA80)、全日本ツーリングカー選手権(TEAM CERUMO #39 デンソーセルモチェイサー/JZX100 3S-G)、スーパー耐久シリーズ・Class1(#32 日産プリンス千葉GTRファルケン/スカイラインGT-R BCNR33)に参戦し、全日本ツーリングカー選手権では年間3位、スーパー耐久シリーズ・Class1では2年連続のシリーズチャンピオンを獲得している。 1999年1999年は、全日本GT選手権・GT500クラス(TOYOTA TEAM CERUMO #38 FK/マッシモセルモスープラ/JZA80)とスーパー耐久シリーズ・Class1(#32 日産プリンス千葉GT-R★FALKEN/スカイラインGT-R BNR34)に参戦した。なお、昨年一杯で全日本ツーリングカー選手権が消滅したため、このシーズンは全日本GT選手権とスーパー耐久の2カテゴリーへの参戦となった。 スーパー耐久シリーズ・Class1では4勝を挙げ、3年連続のシリーズチャンピオンを上げるなど大きく活躍した上に、第28回Pokka1000km・GT500クラス(TOYOTA TEAM CERUMO #38 FK/マッシモセルモスープラ/JZA80)でも総合3位を獲得した。 2000年2000年も引き続き全日本GT選手権・GT500クラス(TOYOTA TEAM CERUMO #38 FK/マッシモセルモスープラ/JZA80)と、スーパー耐久シリーズ・Class1(TEAM 5ZIGEN #50 5ZIGEN・ファルケンGTR/スカイラインGT-R BNR34)に参戦し、スーパー耐久シリーズ・Class1で5勝し、4年連続のシリーズチャンピオンを獲得した。 2001年2001年には、全日本GT選手権・GT500クラス(TOYOTA TEAM CERUMO #38 auセルモスープラ/JZA80 3UZ-FE)で、優勝こそなかったものの、2回の2位を含む3回の表彰台を獲得し、念願のシリーズチャンピオンを獲得した。さらに第30回International POKKA 1000km・GT500クラスでも総合優勝を獲得した。 また、スーパー耐久シリーズ・Class1(FALKEN TRMOR SPORTS #1 FALKEN GT-R/スカイラインGT-R BNR34)でも4勝を挙げて、自身5回目のシリーズチャンピオンを獲得し、2つのシリーズでチャンピオンを獲得することとなった。 2002年2002年には、全日本GT選手権・GT500クラス(TOYOTA TEAM CERUMO #1 auセルモスープラ/JZA80 3UZ-FE)でシリーズ3位、スーパー耐久シリーズ・Class1(FALKEN TRMOR SPORTS #1 FALKEN☆GT-R/スカイラインGT-R BNR34)で3勝を挙げシリーズ2位を獲得した。 2003年2003年には、全日本GT選手権・GT500クラス(TOYOTA TEAM CERUMO #38 auセルモスープラ/JZA80 3UZ-FE)と、スーパー耐久シリーズ・Class1(FALKEN TRMOR SPORTS #33 FALKEN☆PORCSHE/ポルシェ911GT3)に参戦し、初のスーパー耐久へのポルシェでの参戦ながら3勝を挙げシリーズ2位を獲得した。 2004年2004年は、全日本GT選手権・GT300クラス(TOYOTA TEAM CERUMO #52 プロμ太陽石油KUMHO セリカ/ZZT231 3SGTE)と、スーパー耐久シリーズ・Class1(FALKEN TRMOR SPORTS #33 FALKEN☆PORCSHE/ポルシェ911JGN)に参戦した。この年は久しぶりに全日本GT選手権で表彰台獲得が無いシーズンとなったが、スーパー耐久では5勝を挙げ、前人未到の6回目のシリーズチャンピオンを獲得した。またこの年より、自らのチームである「TEAM TAKEUCHI」を発足させている。 2005年2005年は、SUPER GT・GT300クラス(TOYOTA TEAM CERUMO #52 プロμ太陽石油KUMHO セリカ/ZZT231 3SGTE)に参戦した。GT300クラス参戦2年目となったが、この年表彰台獲得が無いシーズンとなった。 2006年2006年には、SUPER GT・GT300クラス(TOYOTA TEAM CERUMO #52 プロμ太陽石油KUMHO セリカ/ZZT231 3SGTE)で参戦し、昨年同様苦しいシーズンとなったが、GT300クラス参戦3年目で初の1勝を挙げた。 2007年2007年は、SUPER GT・GT300クラスに新体制(TEAM マッハ #5 クムホ プロμマッハ号 320R/VEMAC 320R C32B)で参戦した。また、スーパー耐久シリーズ・ST-ciass1(チームアートテイスト #8 黒豆リボイスGT3/ポルシェ911GT3JGNにも参戦するとともに、スーパー耐久でシリーズチャンピオンを獲得した時のマシンメンテを行なっていた「シフト」を受け継ぎ、株式会社シフトを立ち上げ代表取締役に就任した。 引退と復帰2008年に、自らが長年所属して、SUPER GTのGT500クラスのチャンピオンも獲得した、トヨタ系の名門チームであるセルモの監督に就任した。その後はドライバーとしての活動は行っていなかったが、2012年より、ドライバーとしては5年ぶりに自チームの「シフト」よりSUPER GTに復帰することとなった。 2012年/2013年復帰後1年目の2012年には、メルセデス・ベンツ・SLS AMG GT3(GREEN TEC & LEON with SHIFT)でGT300に参戦した。同じ体制で参戦した2013年のオートポリスでは3位に入賞し、ポイント圏内に着実に入ることでシーズンランキングも4位を獲得した。 スーパーカーレースシリーズ設立2014年に、FIA GT3車両による新たなレースカテゴリーとして「スーパーカーレースシリーズ」(SCR)を立ち上げたが、その際にSUPER GTの主催者であるGTアソシエイションとGT3車両の参戦取り扱いを巡り対立(詳細はグループGT3#掛け持ち参戦問題を参照)し、このシーズンはSCRの主催に専念することになった。 2016年2016年には、SCRの主催とシフトの代表としての業務を行いつつ、SUPER GTのGT 300に参戦するディレクションの顧問にも就任した。同年6月には、久しぶりに自らがドライバーとして参戦するために、SUPER GTの「ルーキーテスト」に参加し合格するなど話題を呼び、実際にランボルギーニ・ウラカンGT3で終盤3戦に参戦した。 2017年は、SCRの主催者として活躍する傍ら、長年のトヨタ系のワークスドライバーとしての経験を活かし、シフトが富士スピードウェイで開催する「FORMULA RACER'S」と「86 Racer's」のドライビング・アドバイザーやドライバー育成、ジェントルマンドライバーのコーチなど様々な活動を行っている。 育成に関わったドライバー金石は竹内と組んで1997年に全日本GT選手権に挑んでいる。その後、全日本GT選手権で中堅ドライバーとして活躍し、2001年には竹内とタイトル争いをした。2003年にはドイツツーリングカー選手権(DTM)にフル参戦した。 立川祐路竹内とは1999年から2003年まで全日本GT選手権にてコンビを組んでおり、2000年には立川が2度のポールポジションを獲得した。2001年には共にタイトルを獲得するなど、トヨタの中心的なドライバーへと成長した。 若手ドライバー
レース戦績
全日本GT選手権/SUPER GT全日本ツーリングカー選手権
N1耐久レース/スーパー耐久
エピソード
脚注
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