藤木悠
来歴・人物大阪府立鳳高等学校、同志社大学文学部卒業[6]。大学在学中の1951年、全日本フェンシング選手権大会男子エペ個人優勝[6]。後に映画『リオの若大将』では出演すると共にフェンシングシーンの監修もおこなった。 1953年、東宝ニューフェイス第6期に合格[3][4]。同期に岡田眞澄・宝田明・佐原健二・河内桃子らがいた[3]。翌年の映画『魔子恐るべし』でデビュー[4]。二枚目半の役柄を得意とした[2]。『イカサマ紳士録』(1956年)の競馬予想屋役で注目され、「サラリーマンシリーズ」(1961年)で人気となり[4]、共演した高島忠夫とは親友だった[6]。ほかには『隠し砦の三悪人』(1958年)、『小早川家の秋』(1961年)や『キングコング対ゴジラ』(1962年)、テレビドラマ『青春とはなんだ』に出演し、1974年にフリー[6][4]。以後はテレビドラマを中心に活躍[1]。東宝作品では、冒頭の東宝マークの直後に藤木が登場することが多かったことから、藤木自身が東宝マークのようだと言われていたという[4]。 1972年に日本テレビと東宝が制作する『太陽にほえろ!』へ「長さん」の役でレギュラー出演を打診されたが、後述する東映ドラマとの出演契約を交わしており、石原裕次郎との共演機会を逸し生涯に渡って後悔したとTBSテレビ『テレビ探偵団』にて吐露した。藤木の発言に際し太陽にほえろ!のプロデューサーであった岡田晋吉は「 (長さんを演じた) 下川辰平さんの名前は初期の段階から出ており、藤木さんの勘違いではないか」と答えている。[要出典] TBSドラマ『アイフル大作戦』では主人公役の小川真由美に振り回される刑事をコミカルに、『バーディー大作戦』と『Gメン'75』では叩き上げのベテラン刑事を演じた。千葉真一主演の時代劇『柳生あばれ旅』(1980年)では相棒役の桜木健一と毎話絶妙な掛け合いを演じ[6]、1980年代にフジテレビの『火曜ワイドスペシャル』で放送された『タケちゃんの思わず笑ってしまいました』では、刑事ドラマをパロディにした「太陽に叫べ!」でニンニク刑事役を演じた。 『Gメン'75』に出演していた頃「少し風邪を引いただけで弱気になってしまい、死ぬ・死ぬと連呼する」と雑誌にエピソードを紹介される[要文献特定詳細情報]ほどだった一方で、仕事が好調だったこともあって毎日暴飲暴食と痛飲を繰り返し「オレは不死身悠だ!」などと自分の名を洒落て豪語していた。しかしのちに糖尿病を発症。末梢神経障害で足の指先を少しではあるが切除することとなった。以後は妻の協力もあって健康に気を付けるようになり、自らの体験談から糖尿病に対する警告を促していた。 2005年12月19日午後7時55分、肺血栓塞栓症による多臓器不全により、74歳で死去[6]。この年公開された映画『北の零年』が遺作となった。 俳優の細川俊夫は義兄に当たる。 出演映画
テレビドラマ
演劇
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著書・その他
脚注注釈出典
出典(リンク)参考文献
外部リンク
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