1968年アメリカグランプリ
1968年アメリカグランプリ (1968 United States Grand Prix) は、1968年のF1世界選手権第11戦として、1968年10月6日にワトキンズ・グレン・グランプリレースコースで開催された。 レースは108周で行われ、マトラのジャッキー・スチュワートが2番手スタートから優勝した。ロータスのグラハム・ヒルが2位、ホンダのジョン・サーティースが3位となった。後にチャンピオンとなるマリオ・アンドレッティのF1デビュー戦である。 エントリー1ヶ月前のイタリアGPで予選初日のみ出場した地元出身のマリオ・アンドレッティがロータスの3台目[2]、ボビー・アンサーがBRMの2台目で改めてスポット参戦した[3]。マクラーレンはイーグルのダン・ガーニーに引き続きM7Aの3台目を貸し出し[4]、フェラーリは前戦カナダGPの予選で負傷したジャッキー・イクスに代わり、デレック・ベルを起用した[5]。 エントリーリスト
予選予選初日は主にジャッキー・スチュワートとクリス・エイモンとの間で争われ、スチュワートが1分04秒27のトップタイムを記録した。しかし、スチュワートはスタブ車軸の破損により予選2日目に暫定ポールポジションを守り切ることができず、スチュワートを0秒07上回ったマリオ・アンドレッティが歴戦のグランプリスターたちを退けてポールポジションを獲得した。F1の慣例では決勝をスタートして初めて「デビュー」と見なされるから、前回予選初日のみ走行したイタリアGPは除外されるため、本レースがデビュー戦となる。F1デビュー戦でポールポジションを獲得したのは、F1世界選手権の最初のレースである1950年イギリスGPのジュゼッペ・ファリーナ以来2人目で、事実上史上初の快挙であった[7][注 1]。アンドレッティとスチュワートがフロントロー、グラハム・ヒルとエイモンが2列目、デニス・ハルムとヨッヘン・リントが3列目を占めた[5]。 予選結果
決勝![]() レース当日、93,000人の大観衆は、ポールポジションからスタートするマリオ・アンドレッティ、7番手スタートのダン・ガーニー、19番手スタートのボビー・アンサーのアメリカ人ドライバーたちによる強力なホームショーを期待した。ジャッキー・スチュワートは好スタートを切り、群衆のお気に入りのアンドレッティからリードを奪った。1周目が終わると、スチュワート、アンドレッティ、クリス・エイモン、グラハム・ヒル、ヨッヘン・リント、デニス・ハルム、ガーニー、ジョン・サーティース、ブルース・マクラーレンの順となった。 アンドレッティは6周目までにエイモンとの差を広げてスチュワートに迫ろうとしたが、3周後にノーズが壊れて右フロントウイングが地面をこすり続けた。アンドレッティは13周目まで2位をキープしたがピットインを強いられ、ピットクルーはテープで応急措置を施してコースに戻し、13位まで後退した。 エイモンは10周目までヒルと3位を争ったが、自身の水漏れによってスピンを喫した。その6周後にハルムはオイルで滑り、3位から9位に後退した。ガーニーは3位を走行中の26周目に360度のスピンを喫し、サーティースに抜かれた。 アンドレッティは33周目にクラッチが壊れてリタイアした。ガーニーはサーティースを抜き返し、2人の激しいバトルはレースが終わるまで続いた。スチュワートは40周目までにヒルを26秒リードし、その10秒後にガーニーとサーティースが続いた。スチュワートは52周目にファステストラップを記録してヒルとの差を31秒に広げ、残りのドライバーを周回遅れにした。ヒルはしばらくの間、緩いステアリングコラムに苦戦した。 97周目、マクラーレンの1分20秒前を走行していたジョー・シフェールのロータス・49Bがガス欠に陥って燻りだし、給油のため次の周にピットインした。シフェールがピットアウトすると、マクラーレンが5位に浮上した。 マクラーレンも給油のためにピットインしなければならず、シフェールは2周後に5位を取り戻した。首位を独走するスチュワートは安定したペースで走り抜いて優勝し、ヒルはガス欠目前に陥ったが2位に滑り込んだ[10]。サーティースは、前を走る3位のガーニーがスローパンクチャーに陥って燃料が残り少なくなったことでペースを落としたことに気づき、最終ラップでガーニーを追い抜き、3位表彰台を獲得した。ハルムはポイント獲得を目指したが、ドライブシャフトが壊れてリタイアした[5]。 スチュワートはマトラ-フォードで全周回をリードしたが、一度だけそれを脅かされる出来事があった。コーナーを曲がると2人の観客がコースを歩いてるのを見つけ、「これまで誰かを追い越してきたのと同じくらい近かった」「少しだけ彼らに会いたかった」と彼は語った。それはスチュワートにとって初めてのアメリカGP勝利であり、初のチャンピオンへの可能性を最終戦までつなぐことになった。「自分がペースをコントロールできると感じたのは、F1でのキャリアで初めてのことだった」「スピードを上げると、コースのスピードが上がった。もっと遅く行くと、彼らはもっと遅く行った。それは驚くべき発見だった」と彼は語った。 レース主催者は、優勝したスチュワートの賞金8,300ポンドはF1史上最高額であると主張した。 チャンピオン争いは、ランキング首位のヒルが6点を加算して39点、ヒルと同点でランキング2位だったハルム[注 2]は無得点で33点のまま、同3位のスチュワートは9点を加算して36点とし、ヒルがハルムに6点差を付けて首位をキープし、レースを制したスチュワートがハルムを抜き、ヒルに3点差の2位に浮上した。この3人がチャンピオン獲得の可能性を残し、1ヶ月後の最終戦メキシコGPを迎えることになった[5]。 レース結果
第11戦終了時点のランキング
脚注注釈
出典
参照文献
外部リンク
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