2020年夏季オリンピックの開催地選考2020年夏季オリンピックの開催地選考(2020ねんかきオリンピックのかいさいちせんこう)では、2020年夏季オリンピックの開催都市が選考されるまでの経緯について記述する。 2020年夏季オリンピックには6都市が立候補した。2011年9月1日に立候補の申請が締め切られ、翌2日に国際オリンピック委員会 (IOC) が、アゼルバイジャンのバクー、カタールのドーハ、トルコのイスタンブール、スペインのマドリード、イタリアのローマ、日本の東京の6都市から正式に立候補の申請を受理したと発表した。2012年5月23日にIOC理事会において1次選考が行われ、イスタンブール、東京、マドリードの3都市が正式立候補都市に選出された。この3都市の中から、2013年9月7日にブエノスアイレスで開かれた第125次IOC総会において開催都市が東京都に決定した。
選考過程オリンピック開催地の選考方法は1999年に改定され、2段階の構成で行われている。これはオリンピック憲章第5章34則で定められている方法である。
立候補申請-1次選考2011年5月16日、IOC が2020年夏季オリンピック開催地の選考スケジュールを発表し、立候補の申請手続きを開始した。2020年大会の開催地選考から、新たに世界アンチ・ドーピング機関規定への準拠とスポーツ仲裁裁判所の司法権の事前調査のため、立候補を希望する都市は7月29日までに IOC に文書を提出することが義務化された。そして9月1日に立候補の申請が締め切られ、翌2日に IOC がバクー、ドーハ、イスタンブール、マドリード、ローマ、東京の6都市から申請を正式に受理したと発表した。立候補すれば有力候補になるだろうと注目されていた南アフリカ国内の都市は最後まで候補都市を選出しようとしていたが、最終的に断念した。その後、11月3日-11月4日に行われた申請都市への説明会を経て、2012年2月15日に開催計画の概要を記した申請ファイルの提出期限が締め切られ、イスタンブール、東京、バクー、ドーハ、マドリードの5都市が提出したと IOC が発表した。同じく立候補していたローマは、ユーロ危機によるイタリアの財政悪化からの脱却を進めるマリオ・モンティ首相がローマの招致計画を支持しないことを決定し、2月14日にローマは立候補を取り下げた。これにより、2020年夏季オリンピックの招致レースは5都市による戦いとなった。4月14日、モスクワで開かれた各国オリンピック委員会連合 (ANOC) の総会で申請都市による初のプレゼンテーションが行われ、各都市が招致計画や理念などを説明した。 5月23日、カナダのケベック・シティーで開かれたIOC理事会で1次選考が行われ、開催能力があると認められた都市が正式立候補都市に選出された。1次選考は、IOC のワーキンググループが作成した各都市の評価報告書を基に行った。評価報告書では、14項目(「競技会場・会場配置」、「選手村」、「国際放送センター (IBC)・メインプレスセンター (MPC)」、「過去の国際大会開催実績」、「環境・気象」、「宿泊施設」、「交通・輸送計画」、「医療・ドーピング対策」、「治安・警備計画」、「通信」、「エネルギー」、「通関・入国管理」、「政府・世論の支持」、「財政・マーケティング」)ごとに各都市に考えられる最低点と最高点を表記し、最後に各都市のメリットとデメリットを併記した総合的な評価を加えている。また、1次選考を行う理事会に対し、正式立候補都市に選出するに値するかについても表記している。これまでの大会の選考過程では、11項目ごとにそれぞれ最低点と最高点を表記し、総合平均点で1次選考を行っていたが、今大会の選考過程からは項目を14項目に増やし、総合平均点は出さずに口頭での評価を行い、IOC によって行われた世論調査の結果も記載された。 申請都市の評価を行ったIOCワーキンググループ1次選考を行ったIOC理事会
IOCワーキンググループによる申請都市の評価
IOC理事会で以上の報告書を基に1次選考を行い、評価の高かったイスタンブール、東京、マドリードが正式立候補都市に選出された。立候補都市が3都市になったのは、現行の過程方式が採用された2004年大会以来で最も少ない都市での争いとなった。ドーハは1次選考の通過が有力視されていたが、10月開催によって観客の減少やテレビ視聴者の低下などによる運営面への影響、気象条件の悪さ、狭い国土に対し2022 FIFAワールドカップを開催することでの財政的リスクといった課題を指摘され、2016年の時と同様に1次選考で落選した。バクーについては、インフラ面での課題や競技施設の建設費、国際大会の開催経験の乏しさを指摘され、ドーハと同様に2大会連続で1次選考において落選した。 1次選考-開催地決定1次選考を通過した3都市は、オブザーバーとして2012年に開幕するロンドンオリンピックおよびロンドンパラリンピックを視察し、現地でPR活動を行った。2012年9月6日、IOC は立候補都市を現地視察する評価委員会のメンバーと視察の日程を発表し、委員長には IOC のクレイグ・リーディー副会長が就任した。 評価委員会のメンバー
現地視察の日程その後、3都市は2013年1月7日までに詳細な開催計画を記した立候補ファイルを IOC に提出し、翌8日からは国際的なPR活動が解禁され招致活動が本格的にスタートした。3月には IOC の評価委員会が4日間の日程で立候補都市を上記の順に視察を行った。 評価報告書評価委員会は現地視察の結果を基に、各都市の長所と課題を併記した評価報告書を6月25日に公表した。報告書は公平性を保つため、各都市の優劣を直接示す文言は盛り込まれておらず、財政や会場計画、環境、治安などの項目ごとに各都市の長所やリスクを記している。また、報告書はIOC委員全員に配布され、投票時の重要な参考資料となる。
そして2013年7月3日にはスイスのローザンヌにあるボーリュ劇場において、IOC委員を前にして立候補都市によるプレゼンテーションが行われた。 開催地決定開催地を決める投票は、2013年9月7日、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスで開かれる第125次IOC総会において行われた。まず、立候補都市によるプレゼンテーションがイスタンブール、東京、マドリードの順に行われ、イスタンブールからはエルドアン首相、東京からは憲仁親王妃久子や安倍首相、マドリードからはフェリペ皇太子夫妻らが登壇した。その後IOC委員による投票が行われ、1回目の投票で東京が42票で首位に立つも過半数には届かなかったため、最も票の少ない都市を脱落させて上位2都市で決選投票を行う予定であったが、イスタンブールとマドリードの票が26票で同数だった為に、まず両都市の間で2回目のタイブレークの投票が行われた。この結果、49票を獲得したイスタンブールが東京との決選投票に進み、マドリードは45票を獲得しながらも4票差で落選した。そして3回目となった決選投票では、60票を獲得して過半数の票を得た東京が36票のイスタンブールを破り(無効票は1票あった)、1964年東京オリンピック以来56年ぶりの夏季オリンピック開催地に選ばれた。また、同一都市での2度目の開催はアジアでは初となる。
第125次IOC総会では、2013年9月7日午後5時20分(UTC-3、日本時間8日午前5時20分)[1]、フランシスコ・エリザルデIOC名誉委員がジャック・ロゲIOC会長に開催都市の名称が入った封筒を手渡し、ロゲ会長が次の言葉と共に封筒を開き、東京が開催都市に選ばれたことを初めて発表した[2]。
立候補都市の概要マドリードは2011年6月1日に立候補を表明し、スペインオリンピック委員会のブランコ会長が招致委員会のトップに就任した。2012年2月14日、ユーロ危機で財政難に見舞われていたイタリアのローマが立候補を取り下げたことを受け、同じく財政難に見舞われているスペインに対しても五輪開催の能力に疑問が呈じられたが、マドリードの招致委員会はほとんどの競技施設がすでに建設済みであることから、マドリードの計画に財政的な不安はないとしてこれらの懸念を否定した。マドリードは2012年大会と2016年大会に2大会連続で立候補したが、それぞれ3番目、2番目の票数で敗れている。今回で3大会連続の立候補となったが、今までマドリードへの五輪招致に欠かせない存在だったフアン・アントニオ・サマランチ前IOC会長が2010年に亡くなったため、これまでのように票が集まるかどうかは難しい状況となった。2012年5月の1次選考では交通面や競技施設の項目など10項目で9点の評価を受けるなど、東京と同様に都市基盤で高い評価を受けている。また、政府の支援・国民および市民の支持も高い。今回は「スマート五輪」をテーマに掲げ、36の競技会場中27会場が既存施設であることも計画の目玉であるが、1次選考で発表された報告書ではユーロ危機による財政不安によって、新設する会場の建設費やスポンサーの内定などに影響が出かねないと指摘されており、招致専門サイトなどの評価でも東京やイスタンブールと比べるとやや招致レースでは遅れている。しかしながら、IOC委員の過半数近くをヨーロッパ出身の委員が占めているため、マドリードは一定の票を確保できるのではとの見方もある。マドリードの招致ロゴは公募により決まったが、採用されたロゴの製作者が考案したロゴとは、デザインが大幅に変更されていたことや盗作疑惑も持ち上がり、メディアでも大々的に報じられた。それでも、ロゴの変更は行われていない。 2011年7月7日にトルコオリンピック委員会がイスタンブールを国内候補都市に選出し、トルコのエルドアン首相が8月13日に正式に立候補を表明した。イスタンブールはこれまで2000年夏季オリンピック-2012年夏季オリンピックに4大会連続で立候補したが、2000年大会では1回目の投票で最下位(7票)となり落選、2008年大会は2回目の投票で最下位(9票)となって落選している。2004年大会と2012年大会は1次選考で落選している。今回で5度目の挑戦となり、イスタンブールはここ数年、競技会場の建設やインフラの整備が急速に進んだことや、トルコ経済の順調な発展を背景にイスラム圏初の五輪開催を目指している。イスタンブールはこれまでの招致活動で、国際大会の開催経験不足などを指摘されていたが、2010年にバスケットボール世界選手権の決勝戦を開催し、2012年3月には陸上の世界室内選手権の開催に成功し、着々と開催経験を積んでいる。しかし、2012年4月にトルコは2020年のサッカー欧州選手権開催地に立候補した。IOC の規定では、オリンピックの同年に大規模なスポーツイベントを開催することは禁じられているため、IOC のジャック・ロゲ会長は「もしイスタンブールが五輪開催地に選ばれたら、トルコは欧州選手権の開催を辞退しなくてはならない」と述べた。その後、欧州サッカー連盟 (UEFA) のミシェル・プラティニ会長がヨーロッパの多くの国が財政難に陥っている現状を踏まえ、2020年大会を欧州各国での広域開催とする案を提案。2012年12月6日の理事会で広域開催が決定した。一方、トルコや国際サッカー連盟はこの決定に否定的な意見を述べている。また、隣国シリアの内戦が収まらず、大規模な軍事衝突の懸念がある。イスタンブール招致委員会のトップはヤルシン・アクソイが努め、メインスタジアムは2005年にUEFAチャンピオンズリーグ決勝戦の舞台となったアタテュルク・スタジアムとする計画を打ち出している。1次選考ではインフラ面や交通面で指摘を受けたものの、潜在能力があると評価されて正式立候補都市に選出された。また、1次選考の際に発表された IOC の報告書では IOC が行った世論調査で市民の支持が7割を超えており、政府による強固な支援とともに高く評価された。イスタンブールがオリンピックの開催地選考で最終候補まで残ったのは2008年大会の選考以来3度目である。イスタンブールの招致委員会は2013年1月21日、トルコ航空などトルコ国内の7社と総額2千万ドル(約18億円)のスポンサー契約を結んだ [1]。 →詳細は「2020年東京オリンピック構想」を参照
2011年7月16日に立候補を表明。東京は前回2016年夏季オリンピックに立候補したが、2回目の投票で最下位(20票)となり落選した。2011年3月11日に発生した東日本大震災における全世界からの支援に対する返礼や震災復興、震災時に示されたスポーツの力、1964年東京オリンピック以来56年ぶりの日本開催を掲げ、施設面や財政面で優れている東京で五輪を開催することを目指している。また、震災から復興してきた姿を見せることや、戦後60年以上一貫して平和を貫いてきた日本で五輪を開催することで、世界で起きている災害や紛争で苦しむ人々を勇気づけることも理念に掲げている。 被災地である宮城県の宮城スタジアムでサッカーの予選を開催するほか、三陸沿岸で聖火リレーを行い、事前キャンプを被災地に招致する計画を打ち出している。開閉会式や陸上競技などを行うメインスタジアムは改築予定の国立霞ヶ丘競技場陸上競技場とし、晴海埠頭に建設する選手村を中心とした半径8km以内に8割の会場が収まるコンパクトな会場配置計画となっている。 東京は強固な財政力と良好な治安、インフラ面で前回2016年五輪開催地選考における1次選考では、立候補都市の中で最も高い評価を受けた。今大会の開催地選考でも東京の計画への評価は高く、2012年5月の1次選考でも総合評価のコメントで立候補都市の中で唯一「非常に質が高い」と記述され、正式立候補都市に選出された。同じアジアのドーハが1次選考で脱落したため、前回同様に一定のアジア票は確保できるとの見方が強い。課題として挙げられているのは、IOC の報告書で指摘された夏季のピーク時における電力不足と都民の低い支持率である。招致委員会理事長に日本オリンピック委員会 (JOC) の竹田恒和会長、CEO にJOCの水野正人副会長、後援的組織である評議会会長を石原慎太郎東京都知事が務め、委員の中には五輪招致に賛同している被災3県の知事も名を連ねていたが2012年10月に石原氏が都知事を辞任し、その後東京都知事選挙で当選を果たした猪瀬直樹副知事が後任の会長に就任した。招致ロゴは友好の印として世界中に送られてきた桜を使用して「再び戻る」を意味するリースを模り、震災からの復興や経済の復活、半世紀ぶりの夏季五輪開催をイメージしている。 立候補都市の比較
その他の都市1次選考で落選した都市
立候補後に断念した都市
立候補の意欲を示していた都市以下の都市は、立候補を表明あるいは立候補を検討したものの、IOCへ正式な立候補の申請には至らなかった都市である。
開催地予測GamesBids と Around the Rings の2つのサイトは、オリンピック招致に関する専門サイトとして国際的にも有名であり、IOC委員の一部も利用しているため、影響力を持ったサイトとなっている。定期的に招致レースの状況などをふまえて各都市を 0 から 100 あるいは 0 から 110 の数値で開催地を予測し、開催地に選ばれる可能性が高い都市ほど数値が高くなっている。過去の大会でも開催都市を事前に予測して的中させている実績がある。これらの数値を GamesBids では BidIndex、Around the Rings では Power Index と呼ぶ[21][22][23][24]。
上記の数値は、BidIndex・Power Index ともに2013年5月27日時点(括弧内は2013年3月1日時点)のもので、2つのサイトを比較した際、東京とイスタンブールが首位を争っている状況が見て取れる。また、2位とそれほど差が無い3番手にマドリードが付け、次いで4番手のドーハを挟んでバクーは大きく遅れをとっている状況となっている。この数値が発表されたあとに行われた IOC による1次選考では、この数値のランキングと同様に上位3都市が通過している。 ATR の1次選考後の分析では、東京は全体的に現状維持か改善傾向が見られるが、Public Support の項目においては6点から4点に下げた。この項目は政府と住民のコミットメントを測る項目であり、東京が選考に残る上で最大の問題点は、国民のオリンピック誘致に向ける熱意が低いことである。マドリードは計画内容を IOC の専門家から絶賛されたために得点を上げたが、同時に経済危機への懸念も言及された(ただしこの項目は元々低かったので点を下げることはなかった)。イスタンブールは同時開催のできない UEFA EURO 2020 の開催予定地に立候補した事等を理由に得点を下げた。 これらの数値は招致レースの状況を詳細に精査した上で定期的に更新される。 脚注
関連項目外部リンクIOC公式文書 |
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