京都府第5区
京都府第5区(きょうとふだい5く)は、日本の衆議院議員総選挙における選挙区。1994年(平成6年)の公職選挙法改正で設置。 区域2013年(平成25年)公職選挙法改正以降の区域は以下のとおりである[1][2]。 1994年(平成6年)公職選挙法改正から2013年の小選挙区改定までの区域は以下のとおりである[3]。 歴史中選挙区時代の旧京都府第2区の一部が、小選挙区制度の導入に際し、本区となった。 共産党の力が強い京都府の中でも、保守地盤の強い北部に位置する選挙区であり、小選挙区において一貫して、野党時代(民主党政権)の自由民主党総裁、自民の政権復帰後は自由民主党幹事長を務めた谷垣禎一が議席を確保していた。特に地盤である福知山市では自民党が圧倒的な力を持ち、他政党の候補を圧倒。丹後地域も農村や漁村を多く抱えている事から自民党支持層が厚い。 ただ、当選挙区最大の票田である舞鶴市のみ民主党が他の市町村よりも比較的強い支持基盤を有し、選挙区内では唯一となる広域支部(民主党京都府連・北部総支部)を維持していたが、第44回衆議院議員総選挙までは議席獲得に遠く及ばない状態であった。 2009年(平成21年)8月に行われた第45回衆議院議員総選挙に民主党は舞鶴市出身の小原舞を擁立、初めて舞鶴市と与謝野町で谷垣を上回る得票を得るなど各地で善戦。元来、自民党が強いと言われた丹後地域でもほぼ互角に競り合い、約7,000票差での比例復活当選ながらも保守王国に大きな楔を打つこととなった。政権交代後、民主党は当選挙区の大票田である舞鶴市を中心に組織作りに着手し、2010年(平成22年)11月に行われた舞鶴市議会議員選挙で民主党公認候補を初めて擁立したが、尖閣諸島中国漁船衝突事件が直撃して公認候補全員(5名)落選(推薦候補(1名)は当選)、組織化に失敗した。 2012年(平成24年)12月の第46回衆議院議員総選挙では自民前職の谷垣が全ての市町で勝利し、民主前職の小原は地元・舞鶴でも約1万票差をつけられ大敗、2009年とはうって変わり、民主党の党勢退潮が鮮明となった。 2014年(平成26年)12月の第47回衆議院議員総選挙では前回同様に自民・谷垣と民主・小原の事実上の一騎討ちとなったが、全ての市町で谷垣が小原を上回り圧勝した。小原は舞鶴市と与謝野町で善戦したものの、民主党の党勢回復には至らなかった。 2017年(平成29年)10月の第48回衆議院議員総選挙には、自転車事故を受けてリハビリ中の谷垣は、後進に道を譲るとして出馬せず、引退した。小選挙区制度としての本区では初めて、谷垣以外の候補で議席が争われ、結果自民党公認を受けて出馬した京都府議の本田太郎が当選した。元京丹後市長・中山泰も自民党員であったが公認を得られず無所属出馬し落選し、また舞鶴市出身で元防衛省官僚の希望の党新人・井上一徳は希望の党の比例単独2位であったため惜敗率に関係なく比例復活した。 2021年(令和3年)11月の第49回衆議院議員総選挙では立憲民主党が前職の山本和嘉子を擁立したが全ての市町で自民・本田が山本を上回り、前回より得票数を伸ばして当選。山本は福知山市を拠点と定め、福知山においては1万票を超える得票を得たものの、大票田である舞鶴市で無所属となった井上の後塵を拝し3位となるなど落選し、井上も地元舞鶴市で約1万票を得て、前回より得票を伸ばしたものの及ばなかった。 2024年(令和6年)10月の第50回衆議院議員総選挙では自民党、立憲民主党、日本共産党が前回と同じ顔ぶれとなる公認候補を擁立。また2023年1月の舞鶴市長選挙において日本維新の会推薦で鴨田秋津が当選したことから、初めて日本維新の会が新人が擁立し、主要政党4党による争いとなった。自民・本田が自民党の政治資金パーティー裏金事件や、それ以前の統一教会(現在の世界平和統一家庭連合)との関係などの不祥事の報道の影響などにより、京都府を含め、全国的に支持率や得票率などが低下していたにもかかわらず、大票田の舞鶴市や、京丹後市、宮津市などで他候補に大差をつけ比例復活を許さず3選した。立憲・山本は福知山市、綾部市で善戦したものの、厚い保守地盤を切り崩せなかった。維新の新人は一定の支持基盤のある舞鶴市で山本に迫る勢いを見せたものの拠点を福知山に置いたことで埋没、宮津市において前回も出馬した共産の新人を下回るなど、前述の理由によって、立憲民主党などをはじめとする野党が全体的に有利になっていたにもかかわらず、全地域で伸び悩み惨敗した。 小選挙区選出議員選挙結果時の内閣:第1次石破内閣 解散日:2024年10月9日 公示日:2024年10月15日
時の内閣:第1次岸田内閣 解散日:2021年10月14日 公示日:2021年10月19日
時の内閣:第3次安倍第3次改造内閣 解散日:2017年9月28日 公示日:2017年10月10日
時の内閣:第2次安倍改造内閣 解散日:2014年11月21日 公示日:2014年12月2日
時の内閣:野田第3次改造内閣 解散日:2012年11月16日 公示日:2012年12月4日 最終投票率:63.34% (全国投票率:59.32%(
時の内閣:麻生内閣 解散日:2009年7月21日 公示日:2009年8月18日 (全国投票率:69.28%(
時の内閣:第2次小泉改造内閣 解散日:2005年8月8日 公示日:2005年8月30日 (全国投票率:67.51%(
時の内閣:第1次小泉第2次改造内閣 解散日:2003年10月10日 公示日:2003年10月28日 (全国投票率:59.86%(
時の内閣:第1次森内閣 解散日:2000年6月2日 公示日:2000年6月13日 (全国投票率:62.49%(
時の内閣:第1次橋本内閣 解散日:1996年9月27日 公示日:1996年10月8日 (全国投票率:59.65%(
脚注
関連項目 |
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