渡邉美樹
渡邉 美樹(わたなべ みき、1959年〈昭和34年〉10月5日 - )は、日本の実業家、政治家。 ワタミ株式会社代表取締役会長兼社長。学校法人郁文館夢学園理事長兼校長[2]。一般社団法人ソーシャルビジネス・ドリームパートナーズ代表理事。 ワタミ株式会社の創業者。参議院外交防衛委員長、参議院議員(1期)、教育再生会議(安倍内閣)委員、神奈川県教育委員会委員(2006年(平成18年)10月14日[3] - 2009年(平成21年)10月30日[4])、医療法人えいしん会理事長などを歴任[1][2]。 経歴神奈川県横浜市出身[2]。少年時代は野球に熱中していた。10歳で母と死別。また時を同じくして、父が営んでいた広告代理店が経営不振に陥り清算されたのを目にし、将来は経営者になることを決意する。また、近所に住んでいた大学生が声をかけてくれたことをきっかけにキリスト教系宗教の信者となり伝道活動に従事していたが、中学生時代に「信者以外は救われない」という教義に疑問を持ち、卒業を機に決別した。しかし現在も著書において聖書を引用し、「いまでも時折、懐かしく頁をめくるその聖書の教えは、後に会社を創業する際の理念の元になっています」と語るなど、思想の土台となっている[5]。 神奈川県立希望ヶ丘高等学校を経て明治大学商学部に進学。大学では横浜在住の明大生の親睦会「横浜会」の幹事長として、約120人のメンバーを率いる立場だった[6]。元々高校時代から起業するつもりだったが、大学4年のときに北半球一周の旅に出た際の経験を元に「外食産業で起業する」決意を固める[7]。 大学卒業後は経理会社「ミロク経理」(ミロク情報サービスの親会社。1986年に倒産)で半年勤務した後、佐川急便の東京支社管内(当時、現:関東支店)でセールスドライバーとして1年間勤務。起業のための資金300万円を1年間で稼いだ。1984年、「横浜会」の仲間と共同で有限会社渡美商事を設立。経営不振のつぼ八の店舗を買い取る形で、フランチャイズ店オーナーとなる。1987年に社名をワタミフードサービスと改称し、独立。1996年に株式店頭登録、1998年に株式上場を果たした。2002年には、ワタミは全300店舗を超える規模となった。 2002年以降、外食以外の産業にも進出し、2002年に農業、2005年に介護、2008年に高齢者向けの弁当宅配事業にそれぞれ参入している。 2009年、ワタミ社長を退任し、同社会長に就任した。2011年2月15日には、ワタミの代表取締役会長を辞任し、非常勤の取締役最高顧問となった[8](後に、非常勤取締役会長になる[9])。 2011年2月、同年4月の東京都知事選挙に無所属で出馬する意向を表明。出馬の動機について、ワタミの運営により培ってきた経営能力を、企業を超えた枠組みで生かしたい考えを明らかにした。高齢者が安心して年を取れる社会の実現や、高校生の10人に1人を1年間留学させる教育改革の構想を掲げ[10]、東京都議会民主党の支援を受けたが東京・生活者ネットワークからの支援は積極的に受けられなかった。結果、出馬するも[11]、4選をめざす石原慎太郎知事、前宮崎県知事の東国原英夫の後塵を拝し、3位で落選した[12]。 2011年12月28日、同月20日に大阪維新の会の松井一郎知事および橋下徹市長の要請を受け、大阪府および大阪市の特別顧問に就任することが松井知事により発表された[14]。 2013年1月31日、ムハマド・ユヌスの提唱する「ユヌス・ソーシャル・ビジネス」を支援する一般社団法人ソーシャルビジネス・ドリームパートナーズを設立[15]。 2013年5月末、第23回参議院議員通常選挙の比例区の自由民主党公認候補であることが報じられる。6月27日、立候補に際しワタミの会長職を含む役職をすべて辞任[16]。出馬の動機について、安倍晋三政権は海外からも大きな期待が寄せられており、アベノミクスの大胆な金融緩和、機動的な財政出動は正しい手法であり、効果が表れている。ワタミの運営により培ってきた経営能力を、農業の強化や震災復興、経済の強化、教育や福祉の分野で力を尽くしたいと考えを明らかにした[17]。104,176票を獲得し、比例区の自民党の当選者18人中、16番目で初当選した[18]。 2013年、大韓民国を訪問。韓国の政府高官らと日韓請求権協定について意見交換を試みたが、門前払いを繰り返され会議室の費用まで負担させられるなど、2019年に訪日した韓国議員団を受け入れた際(後述)の伏線のような冷遇を受けた[19]。 2014年7月18日、岩手県倫理法人会にて「渡邉美樹が語る就活のススメ〜アベノミクス移行、経営者から求められる人物像とは〜」講演[20][21][22]。 2019年2月、第25回参議院議員通常選挙には出馬せず政界を引退を表明、同年7月に任期満了により政界を引退した[23]。 同年5月28日に一泊二日の日程で千正培ら5人の多選議員による韓国議会団が訪日したときに自民党で唯一面会した。日韓関係について一行に問われると渡邉は「文在寅政府が終わらなければ、日韓関係は改善しないだろう」と述べた[24]。合計20選となる韓国議員5人は、自民党衆参議員からカウンターパートとして参議院比例区初当選で今期で政界引退予定の議員である渡邉1人に対応されたことで、「日韓関係がどれほど悪化しているかを東京で肌で痛感した。」と述べている[24][25]。 同年7月に参議院議員任期満了を受け、ワタミの取締役に就任。同年10月1日付でワタミの代表取締役会長兼グループ CEOに就任した。 2020年10月5日、焼肉の和民として業態変更することを発表。自身の誕生日に再起を掛けてオープン拡大に繋げる。 2021年10月1日、ワタミの代表取締役会長兼社長に就任。 政策・主張
不祥事教師へのパワーハラスメント2009年9月、学校法人郁文館夢学園に2005年4月から2009年3月まで教師として勤務していた男性が、中傷を受け不当に解雇されたとして、同校を相手取り訴訟を、近く東京地方裁判所に起こすことが分かった。この男性の陳述書によると、渡邉美樹理事長によるパワーハラスメントが校内で日常的に行われており、渡邉は男性教師の髪形が気に入らないとし、ハサミで教師の髪を自ら「これは断髪式だ」と言い、切ったとしている。この件について当時の校長が調査した結果、この「断髪式」が事実であった事を認めた[28]。 「ワタミの宅食」の個人情報流出、選挙違反個人情報の流出が数回起こっており、渡邉美樹が2013年(平成25年)の参議院議員選に立候補した際には、公職選挙法第147条の2で禁止された挨拶状を事前運動として配達する、個人情報保護法に定められた個人情報の目的外使用をして送付するなどの選挙違反事件があった[29][広報 1][広報 2][広報 3][広報 4][広報 5]。 人物公益活動公益財団法人みんなの夢をかなえる会の理事長を務め、「夢溢れ、ありがとうが飛び交う社会の実現」を目的に、2010年4月より講演活動として「みんなの夢シンポジウム」を仙台から沖縄まで、日本各地で開催した。また、2010年12月には、若者の夢を支援する「みんなの夢アワード2010」を日比谷公会堂にて開催した。 教育における主張・活動
信仰中学時代にクリスチャンとなって布教活動に励む(週刊誌のFLASHによれば、彼が入信したのはエホバの証人(キリスト教にとっての異端)である[31])。一時は宣教師を志したが、教義に疑問をもったため断念し[32]、中学卒業時に脱退している。ただし、聖書を人生に影響を与えた本として挙げており、現在も目を通している[32]。 発言
所属議員連盟テレビ番組
著書・CD
メディア脚注
関連項目外部リンク
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