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読みが同じラグビー選手の「須藤元樹」とは別人です。 |
須藤元気 |
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YouTube |
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チャンネル |
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活動期間 |
2015年11月22日- |
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ジャンル |
ニュースと政治 |
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登録者数 |
2.05万人 |
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総再生回数 |
131,517回 |
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チャンネル登録者数・総再生回数は 000000002024-03-21-00002024年3月21日時点。 |
テンプレートを表示 |
須藤 元気(すどう げんき、1978年〈昭和53年〉3月8日 - )は、日本の政治家、総合格闘家、レスリング指導者、ダンスパフォーマー、作家、書家、居酒屋二代目、英会話学校代表。参議院議員(比例区、1期)を務めた。
東京都江東区出身[2][3]。関東第一高等学校、拓殖短期大学経営科卒業[4][5]、サンタモニカカレッジ芸術学部中退[6]、拓殖大学大学院地方政治行政研究科修了[4][5]。総合格闘技の選手として活躍し、2006年の現役引退後は[7]、拓殖大学レスリング部監督として最優秀監督賞を受賞するなど実績を残す[2]。他にも、ダンスパフォーマンス集団「WORLD ORDER」を率いるなど多岐にわたる活動を行う。2019年に参議院議員に初当選(後に2024年4月の衆議院東京都第15区補欠選挙に立候補したため、自動失職)。
ブラジリアン柔術黒帯[8]、シャンパーニュ騎士団シュヴァリエ、一級小型船舶操縦士、危険物取扱者[9]、唎酒師、ソムリエ、スクーバダイビング、防災士などの資格を所持している[5]。
生い立ち
東京都江東区東陽町で生まれ育つ[2]。実家は居酒屋[2][3]。「元気」という名前は、父親がファンだった小山ゆうのボクシング漫画『がんばれ元気』の主人公に由来する[7][10][11]。小学生の頃から軍事雑誌を愛読し、中学時代は、国防のために自衛隊員になることやフランス外人部隊になることを志していた[11][12]。高校時代には、格闘家とミュージシャンになる夢を持ち[2][13]、アメリカ帰りの逆輸入ファイターとして日本の格闘技界にプロデビューすることをイメージしていた[11][14]。また、将来的には政治家になることを目標としており、世間に名前を知られる手段として格闘技を始めたと述べている[15][16]。高校ではレスリング部に所属して部活動に励む一方、表参道でストリートミュージシャンとして音楽活動にも取り組んでいた[17]。
格闘家として
関東第一高等学校時代にレスリング(グレコローマンスタイル)を始め、これが格闘スタイルの基礎となった。拓殖短期大学経営科に進学し、拓殖大学レスリング部時代の1996年に全日本ジュニアオリンピックで優勝、世界ジュニア選手権にも出場した[18][4][2]。卒業後の1998年4月、アメリカ・ロサンゼルスに渡り、ビバリーヒルズ柔術クラブに所属。現地の格闘技大会に出場して経験を積み[18][14][11]、1999年8月に帰国して日本の総合格闘技団体でプロデビューした[18]。2001年までパンクラスを主戦場とし、プロ戦績は7勝2敗1分を記録[10]。パンクラスでは菊田早苗らともに格闘家チームGRABAKAの立ち上げメンバーとなったが、活動の範囲を広げるため、2000年12月に再渡米した。2001年にはアメリカで交通事故に遭い、しばらく試合から遠ざかった[11][19]。その後、UFCで2勝1敗の成績を残す[10]。2002年2月11日。『K-1 WORLD MAX』日本代表決定トーナメントでデビュー。戦績は、柔術・レスリングをベースとしたサブミッション(関節技や絞め技)による勝利が多かった[10][20]。「入場100%、試合100%」を公言し[20]、凝った入場演出や[21][10][22][23]トリッキーなファイトスタイルで格闘技ファンの注目を集めた[24][25]。格闘家現役時代のネックネームは「変幻自在のトリックスター」であり[4][7]、「WE ARE ALL ONE(すべてはひとつ)」というメッセージも掲げていた[26][27][28]。2006年12月31日の試合後[14][29]、16勝4敗1分の戦績で現役引退を表明した[10]。
- 主な戦績
レスリング指導者として
2008年11月1日、拓殖大学レスリング部監督に就任し、以降、最優秀監督賞を複数回受賞した[2][14]。
- 2009年5月22日、東日本学生リーグ戦で監督就任後初の優勝、最優秀監督賞受賞。
- 2010年9月、イタリアで開催された世界学生レスリング選手権大会で日本代表監督を務める。
- 2010年11月12日、第36回内閣総理大臣杯 全日本大学レスリング選手権大会で最優秀監督賞受賞。
- 2012年2月、アメリカ・コロラド州でのデーブ・シュルツ記念国際大会で日本代表チーム監督。
- 2012年10月、フィンランドでの世界学生レスリング選手権大会で日本代表監督。
- 2012年10月19日、全日本大学グレコローマン選手権で拓殖大学を優勝に導き、7回目の最優秀監督賞受賞。
- 2015年4月、日本オリンピック委員会レスリング競技強化スタッフに就任。
- 2015年7月、スペイン・マドリードでのスペイン・グランプリで日本代表監督(男子グレコローマン)を務めた。
作家、俳優、ミュージシャンとして
2002年10月19日、映画『凶気の桜』で俳優としてデビューした[30][31]。その後も『フライ,ダディ,フライ』(2005年)、『鳶がクルリと』(2005年)、『仮面ライダーW FOREVER AtoZ/運命のガイアメモリ』(2010年、泉京水役)[32][33]、『仮面ライダーW RETURNS 仮面ライダーエターナル』(2011年、泉京水役)、『るろうに剣心』(2012年、戌亥番神役)など、映画・テレビドラマで活動している。2008年には映画『R246 STORY』(6編の短編から成るオムニバス映画)の中の「ありふれた帰省」で映画初監督(自身も主演)を務めた[34]。
2005年10月25日、『幸福論』で作家デビュー[11][12]。2006年に出版した著書『風の谷のあの人と結婚する方法』は19万部を超えるべストセラーとなり、思想家としても活動している[30][11][35]。
2006年9月6日、「Love&Everything」で歌手デビューし、プロデュースはACIDMANが担当した[17][36]。
WORLD ORDER
2009年、パフォーマンスユニット「WORLD ORDER」を結成[6][13][37]。西洋人が想像する典型的な日本人サラリーマンのビジュアルでロボットダンスを踊るパフォーマンスが海外で高い評価を受け[6][13][38]、日本国内でも知名度を広げた[39][40][41][42]。
- 2009年、「WORLD ORDER」を結成し[43]、同年12月16日にデビュー曲『WORLD ORDER』をiTunesで先行配信した[44]。
- 2012年3月15日、デルのスマートフォン発売記念イベントでWORLD ORDERのメンバー7名と640人のダンサーでロボットダンスを同時に踊り、ギネス世界記録を達成した[45][46][47]。
- 2019年6月、政治家活動開始に伴い「WORLD ORDER」のプロデューサーを引退したが、同年12月の10周年記念ライブに登場し、「WORLD ORDERは、音楽を通して私の政治的メッセージを伝えようとする試みだった」と語っている[48]。その後、2021年9月にはプロデューサーとして新曲をリリースした[49]。
政治家として
来歴
2019年7月21日に行われた第25回参議院議員通常選挙で、旧立憲民主党は比例代表に計22人の候補者を擁立し、8議席を確保。須藤は73,787票を獲得し、得票数8位で初当選した[18][50][51]。
2020年6月、東京都知事選挙で山本太郎を支持したことや[52][53]、消費税減税への党の消極姿勢などを理由に立憲民主党への離党届を提出したが[52][54]、党側はこれを受理せず、比例代表で当選した議席であることから議員辞職を求めた[55][56]。しかし、須藤は議席を返上せず、無所属で議員活動を継続した[55][57][58]。2020年9月、立憲民主党と国民民主党が合流して新たに結党した新・立憲民主党への参加を見送り、無所属のまま活動を続けた[59]。
2024年4月、衆議院東京15区補欠選挙に無所属で立候補したため[60]、公職選挙法の規定により参議院議員を退職(自動失職)した[61]。選挙では街宣車を使わず自転車で選挙区を回り、神出鬼没に街頭演説を行うスタイルが話題となった[62]。また、この選挙戦ではれいわ新選組の山本太郎から応援演説を受けた[63][64]。補欠選挙では次点で落選し[65]、落選後も江東区を地盤に政治活動を継続する意向を示した[66]。
同年10月27日に行われた衆院選に東京15区から無所属で立候補したが、酒井菜摘に1,125票差で次点で落選した[67]。
2025年4月23日、国民民主党が次期参院選比例代表候補として須藤を擁立する方針が報じられ[68]、SNSなどで批判や波紋が広がった[69][70]。同年5月14日に国民民主党公認で出馬することが正式発表されると[71][72][73]、党の「科学的根拠に基づく政策方針」と須藤の新型コロナワクチンやマスク着用など感染対策に否定的な発信との矛盾を指摘する声が上がった[15][69]。党が掲げる原発や緊急事態条項推進の政策と須藤の主張との不一致も指摘されている[15][74]。公認発表直前の同年4月5日には、Xでワクチン接種後の健康被害に関する報道を引用し「報告されている健康被害の数を考えると、現在も接種が継続されている状況には疑問を感じざるを得ません」と投稿していた[73][75]。党は公認に際し、候補者に「党の合意事項に反しない」旨の確認書の提出を求め[76][77]、須藤もこれに署名したと公表したが[15][73][75]、本人は自身の過去発言を撤回せず「副反応への懸念の発信」と釈明するにとどまった[15]。党幹部が「反ワクチンではない」「本人に確認した」と説明する場面もあったが[71][78]、批判は続き[15][79]、報道各社の世論調査では国民民主党の支持率が下落し、人選がきっかけの1つと報じられた[76][80]。同年6月30日、東京都内で記者団の取材に応じ、ワクチンに関する過去の発信について「私の発言で医療従事者に大きな負担をかけた。心からおわびする」と陳謝した[81]。
同年7月20日投開票の参議院議員選挙で、国民民主党は比例代表に計19人の候補者を擁立し、7議席を確保。須藤は61,416票を獲得したが、得票数8位により、次点で落選した[82][83]。
政策・主張
高校時代から政治家を志し、知名度を高めるために格闘技を始めたと述べている[15][16]。政治家としてのスタンスについては、自らの格闘スタイルになぞらえて「引くところは引いてチャンスをうかがい、勝てると思った時にいく」と語っている[15]。
本人の公式サイトでは次の3つの目標「すべての人が希望を持てる社会の実現」「世界に誇れる国づくり」「江東区から日本を元気に」を掲げている[84]。
経済政策
外交・安全保障
エネルギー
- 原子力発電への依存度については下げるべきだと主張している。電源構成に占める再生可能エネルギーの割合については今後主力電源としていく考えを示している[99][100]。
- 2050年までに温室効果ガスの排出を実質ゼロにするとしている政府の目標については引き下げるべきだと主張している。企業などに対して二酸化炭素排出量に応じて課税する炭素税を強化していくことに反対しており、当面の間は原発は必要で将来的に廃止すべきだと主張している[101]。
憲法
皇室観
所属団体・議員連盟
主張と政治的立場
参議院議員時代から、新型コロナウイルス(COVID-19)対策としてのワクチン接種やマスク着用に疑問を呈し、政府の感染症対策に対して批判的な発言・活動を続けている。ワクチンについて「打てば打つほど感染する」「免疫力が下がる」「死者激増」「帯状疱疹やインフルエンザが激増する」などの主張を繰り返してきた[15]。また、WHOのパンデミック条約に反対し、反ワクチン団体「WCH」の議員連盟にも参加している[118][119]。様々な反ワクチン関連のイベントに現れ、「WHO脱退」を掲げた大規模集会に参加したこともあるが、ステージ登壇はしていない[15]。2024年の衆院東京15区補選の演説では、ワクチンに関する発言は避けたとされる[15]。
慣行農法に批判的で、オーガニック給食の導入を推進している[114][120]。また、X(旧Twitter)では、「ディープステート」や「ウクライナ支援反対」などの投稿も行っており[15][70]、これらの投稿の一部には、誤解を招くおそれのある投稿に付けられる「コミュニティノート」が複数回付与されている[121]。
新型コロナウイルス対策への疑問と発言
有機農業・オーガニック給食の推進
陰謀論的世界観との関わり
スピリチュアル思想
子供の頃から精神世界系の本を多く読み[147]、自身も『幸福論』『神はテーブルクロス』『無意識はいつも君に語りかける』などスピリチュアル系や自己啓発系の著書を出版している[11]。
- 2006年にテレビ番組『オーラの泉』に出演した際には、「スピリチュアルは科学」という考えを示し、スピリチュアルな現象を物理法則として捉える姿勢を語った。たとえば、「言葉はエネルギー体であり、『ありがとう』という言葉のエネルギーを出し続けると、それが物質化し現実に『ありがとう』が返ってくる」と述べ、これは「物理法則だと思っている」と語った。また、瞑想については「五感によって詰まったフィルターがきれいになり、直感や魂、守護霊の声が聞こえるようになる」と説明し、精神の浄化の手段として瞑想の重要性を強調した[148]。
- 四国八十八箇所を巡礼した際は、「ありがとう」という言葉を繰り返し唱え、交通量調査用のカウンターで21万90回を数えた[148][11][149]。
- 2007年にはチャネラーのダリル・アンカを通して、地球時間で3000年後の惑星エササニの多次元的存在バシャールと対談し、その内容をまとめた対談本『バシャール スドウゲンキ』を出版した[147][11][150]。同書で須藤は、2035年頃に異星人と交信し、宇宙連合の一員になる際に地球を代表するために政治家なりたいという意向を語っている[11][151]。また、人はそれぞれ固有の振動数を持っているという認識を持ち、バシャールとチャネルを合わせた際にはその振動数が大きく変化し、空気感が濃密になり、その場がシータ波のような状態に変わる感覚を体験したと述べている[147][151]。さらに同書では、須藤には宇宙人によって埋め込まれたインプラントが存在し、それが宇宙存在との交信を助けているとし、そのインプラントのアップデートを願い出た体験についても記している[151]。
- 2007年頃、自称超能力者のユリ・ゲラーと対談した際、将来政治家になると予言されたと語っている[144]。その際、ゲラーから「お洒落をすること」「敵を作らないこと」「スピリチュアルな話をしないこと」という3つのアドバイスを受け、それ以降スピリチュアルな話題にはあまり言及しないようにしている[152][153]。
- 格闘家引退後、北海道網走に移住し[35]、最上階にメディテーションルームを設けたピラミッド型のログハウスに住んでいた[11][154]。2010年には『芸能界1000人大調査!プライベート完全データ化スペシャル』に出演し[155]、宇宙人がUFOに乗って会いに来たという自身の体験を語った[156]。北海道ではUFOを呼び寄せるために1万坪の土地を購入しており、2010年1月には巨大なUFOが現れたが、機体が大きすぎて着陸できずに飛び去ってしまったという[156]。
- 2012年、南米コスタリカ在住の呪術師ルハン・マトゥスに出会い、「龍の涙」と呼ばれるシャーマニズムの秘技を学んだ。その体験を通して「愛に目覚めた」ことを描いた著書『自分が変われば世界が変わる 呪術師ルハン・マトゥスの教え』を出版した[157]。「龍の涙」は太極拳や気功体操のような動きで、須藤は毎日実践することで体内のチャクラを開き、全身の活性化や知覚の高まりを感じることができると語っている[11][158]。
- 映画『凶気の桜』で共演した窪塚洋介と親交があり、一緒に瞑想をしたり、世界平和について語り合っている[11]。
私生活、その他の活動
エピソード
戦績
総合格闘技
総合格闘技 戦績
|
21 試合
|
(T)KO
|
一本
|
判定
|
その他
|
引き分け
|
無効試合
|
16 勝
|
2
|
11
|
3
|
0
|
1
|
0
|
4 敗
|
1
|
0
|
3
|
0
|
勝敗
|
対戦相手
|
試合結果
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大会名
|
開催年月日
|
○ |
ジャクソン・ページ |
1R 3:05 三角絞め |
K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!! |
2006年12月31日
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○ |
オーレ・ローセン |
5分2R+延長1R終了 判定3-0 |
HERO'S 2006 |
2006年3月15日
|
× |
山本"KID"徳郁 |
1R 4:39 KO(右フック→パウンド) |
K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!! 【ミドル級トーナメント 決勝】 |
2005年12月31日
|
○ |
高谷裕之 |
2R 3:47 三角絞め |
HERO'S 2005 ミドル級世界最強王者決定トーナメント準決勝 【ミドル級トーナメント 準決勝】 |
2005年9月7日
|
○ |
宮田和幸 |
2R 4:45 腕ひしぎ十字固め |
HERO'S 2005 ミドル級世界最強王者決定トーナメント準決勝 【ミドル級トーナメント 準々決勝】 |
2005年9月7日
|
○ |
ラモン・デッカー |
1R 2:54 ヒールホールド |
HERO'S |
2005年3月26日
|
○ |
ホイラー・グレイシー |
1R 3:40 KO(膝蹴り→パウンド) |
ROMANEX 格闘技世界一決定戦 |
2004年5月22日
|
○ |
マイク・トーマス・ブラウン |
1R 3:31 腕ひしぎ三角固め |
UFC 47: It's On |
2004年4月2日
|
○ |
バタービーン |
2R 0:41 ヒールホールド |
K-1 PREMIUM 2003 Dynamite!! |
2003年12月31日
|
× |
ドゥエイン・ラドウィック |
5分3R終了 判定0-3 |
UFC 42: Sudden Impact |
2003年4月25日
|
○ |
レイ・レメディオス |
2R 1:38 チョークスリーパー |
UFC 38: Brawl at the Hall |
2002年7月13日
|
○ |
山本喧一 |
2R 1:46 チョークスリーパー |
リングス WORLD TITLE SERIES |
2001年12月21日
|
○ |
ブライアン・ローアンユー |
1R 2:17 三角絞め |
リングス BATTLE GENESIS Vol.8 〜壮大なる格闘実験〜 |
2001年9月21日
|
○ |
クレイグ・オックスレー |
1R 3:14 アキレス腱固め |
PANCRASE 2000 TRANS TOUR |
2000年10月31日
|
△ |
アンドレ・ペデネイラス |
15分1R終了 時間切れ |
コロシアム2000 |
2000年5月26日
|
× |
國奥麒樹真 |
10分+延長3分終了 判定0-3 |
PANCRASE 2000 TRANS TOUR |
2000年2月27日
|
○ |
ネイサン・マーコート |
13:31 腕ひしぎ十字固め |
PANCRASE 1999 BREAKTHROUGH TOUR |
1999年12月18日
|
○ |
ビクトー・ハンセイカー |
1:43 ギブアップ(肘打ち) |
PANCRASE 1999 BREAKTHROUTH TOUR |
1999年10月25日
|
× |
豊永稔 |
10分+延長3分終了 判定0-3 |
PANCRASE 1999 BREAKTHROUTH TOUR 【ネオブラッド・トーナメント 準決勝】 |
1999年8月1日
|
○ |
窪田幸生 |
10分+延長3分終了 判定3-0 |
PANCRASE 1999 BREAKTHROUTH TOUR 【ネオブラッド・トーナメント 1回戦】 |
1999年8月1日
|
○ |
ティキ・ゴーセン |
5分3R終了 判定ドロー (須藤と所属事務所の公式声明によると、 須藤元気のセコンドについていたバス・ルッテン の抗議により判定を訂正、 須藤の勝利が宣言された[184]) |
Extreme Shoot 2 |
1998年6月6日
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キックボクシング
キックボクシング 戦績
|
6 試合
|
(T)KO
|
判定
|
その他
|
引き分け
|
無効試合
|
2 勝
|
2
|
0
|
0
|
0
|
0
|
4 敗
|
2
|
2
|
0
|
勝敗
|
対戦相手
|
試合結果
|
大会名
|
開催年月日
|
× |
イアン・シャファー |
2R 0:59 TKO(パンチ連打) |
K-1 WORLD MAX 2006 〜世界王者対抗戦〜 |
2006年9月4日
|
○ |
マイケル・ラーマ |
2R 2:09 TKO(右眉上のカット) |
K-1 WORLD MAX 2004 〜世界王者対抗戦〜 |
2004年10月13日
|
× |
アルバート・クラウス |
3R終了 判定0-3 |
K-1 WORLD MAX 2003 〜世界王者対抗戦〜 |
2003年11月18日
|
× |
魔裟斗 |
3R終了 判定0-3 |
K-1 WORLD MAX 2003 〜日本代表決定トーナメント〜 【1回戦】 |
2003年3月1日
|
○ |
金珍優 |
2R 0:16 KO(バックハンドブロー) |
K-1 WORLD MAX 2002 〜世界王者対抗戦〜 |
2002年10月11日
|
× |
小比類巻貴之 |
3R 1:27 KO(右ローキック) |
K-1 WORLD MAX 〜日本代表決定トーナメント〜 【1回戦】 |
2002年2月11日
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グラップリング
勝敗
|
対戦相手
|
試合結果
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大会名
|
開催年月日
|
○ |
宇野薫 |
5分2R終了 判定60-54 |
CONTENDERS 2000 |
2000年7月1日
|
獲得タイトル
- 全日本ジュニアレスリンググレコローマンスタイル優勝
- ウエストサブミッショントーナメント優勝
- UFC-JAPAN王者
このタイトルはUFCに正式に認められたものではなく、活動を停止しているUFC-JAPANのリングで制定されたベルトである。前王者の山本喧一が個人的に保持していたものを、2001年12月21日にリングスでタイトルマッチを行ない奪取した。
- UFC38 Brawl at the Hall タップアウト、ベストファイター賞
- UFC47 Its On !タップアウト、ベストファイター賞
メディア出演
テレビドラマ
映画
オリジナルビデオ
ドキュメンタリー
- 『須藤元気がゆくアメリカ ルート1』(2011年、NHK BSプレミアム) - ナビゲーター
- 『須藤元気 天空への道を翔る 南米ペルー・アマゾン アンデス ディープ紀行』(2015年5月30日、NHK BSプレミアム) - ナビゲーター
CM
書籍
- 『幸福論』(2005年10月、ネコ・パブリッシング / 文庫:2007年10月、ランダムハウス講談社)
- 『風の谷のあの人と結婚する方法』(2006年7月、ベースボール・マガジン社)
- 『神はテーブルクロス』(2007年4月、幻冬舎)
- 『レボリューション』(2007年9月、講談社 / 文庫:2012年5月、同) - チェ・ゲバラが旅した足跡をたどり、須藤と友人が中南米各地を巡った体験を記した旅行記[187][188]。
- 『バシャール スドウゲンキ』(2007年11月、ヴォイス) - チャネラーのダリル・アンカを通してバシャールという宇宙存在と対談したという本[147][189]。
- 『無意識はいつも君に語りかける』(2008年4月、マガジンハウス)
- 『キャッチャー・イン・ザ・オクタゴン』(2008年11月、幻冬舎 / 文庫:2011年6月、同)
- 『愛と革命のルネサンス』(2009年5月、講談社)
- 『Let's猫』(2010年1月、朝日新聞出版)
- 『今日が残りの人生最初の日』(2011年1月、講談社)
- 『美は肉体に宿る』(2011年2月、マガジンハウス)
- 『WE ARE ALL ONE 須藤元気のボランティア記録』(2011年7月、講談社)
- 『須藤元気のつくり方』(2011年12月、イーストプレス / 文庫:2016年4月、同)
- 『自分が変われば世界が変わる 呪術師ルハン・マトゥスの教え』(2012年4月、講談社) - 南米コスタリカの呪術師ルハン・マトゥスとの出会いや、秘技「龍の涙」を通じた精神的体験を綴ったエッセイ[11][190]。
- 『須藤元気のオフィス・トレーニング』(2013年3月、主婦の友社)
- 『やりたい事をすべてやる方法』(2013年4月、幻冬舎 / 文庫:2015年12月、同)
- 『須藤元気のいつでも・どこでも「筋トレ」ができる本』(2018年3月、三笠書房)
- 『面倒くさがり屋の僕が3ヶ月で英語を話せるようになった唯一無二の方法』(2018年4月、幻冬舎)
- 『減税救国論』(2024年3月、幻冬舎)
音楽作品
DVD
- 『GENKI SUDO』(2007年7月4日、TCエンタテインメント)
- 格闘を引退した須藤元気本人による責任編集で作られた映像作品。これまでの試合や入場シーンをダイジェストで収録のほか、インタビュー、このDVDのために撮影された「SPECIAL EXHIBITION」も収録。特典映像として未公開の「WESTSIDE SUBMISSION TOURNAMENT 2001」の映像も収録。
選挙歴
脚注
関連項目
外部リンク
戦績
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↓:途中辞職・在職中死去など、▼:除名、↑:繰上げ当選、x:繰上げなし |