ジョアキム・ノア
ジョアキム・サイモン・ノア(Joakim Simon Noah, 1985年2月25日 - )は、フランスの元プロバスケットボール選手。アメリカ合衆国ニューヨーク州マンハッタン出身。ポジションはセンター。 経歴生い立ち父方の祖父はカメルーン出身でフランスで活躍したサッカー選手、父は全仏オープンテニス制覇経験を持つフランス人テニス選手のヤニック・ノア、そして母はミス・スウェーデンというユニークな家系の持ち主[1]。自身はニューヨーク生まれで、その後両親は離婚し、パリとニューヨークで育った。2007年の夏にはフランスの市民権を獲得し、のちにフランス代表を選択。バスケットボールのキャリアはニューヨーク時代にストリートボールに親しんだことから始まる。 学生時代ローレンスビル高校を卒業後、フロリダ大学に進学。1年目は目立った活躍はできなかったが、2年目には先発に定着し主力選手年として活躍、14.2得点、7.1リバウンド、2.4ブロックの成績を残し、サウスイースタン・カンファレンスのファーストチームに選ばれた。また2006年のNCAAトーナメントでは16.2得点、9.5リバウンドの成績でチームを牽引し、同校のトーナメント制覇に貢献。自身はトーナメント合計29ブロックなどのNCAA記録を作り、ファイナル4(ベスト4)の最優秀選手に選ばれた。シーズン終了後のノアの動向はNBAからも注目を集めたが、NBAドラフトにはエントリーせず3年生に進学。ノアを始めとする主力選手の殆どが残ったフロリダ大はNCAAトーナメントを連覇した[2]。 NBA時代シカゴ・ブルズ2007年のNBAドラフトにエントリーしたノアはシカゴ・ブルズから1巡目9位指名を受けた。フロリダ大学からはノアのほかアル・ホーフォード、コーリー・ブリューワーら3人が1巡目指名を受け、2007年のドラフトには5人のフロリダ大学出身の選手が指名を受けた。 即戦力として期待されていたが、ルーキーイヤーとなった2007-08シーズンはヘッドコーチのスコット・スカイルズとの対立や、チームメイトらの投票により出場停止処分を受けるなど、チーム内に不和をもたらしてしまい、シーズン前半はベンチを暖める日々が続いた。しかしシーズン中盤に先発センターのベン・ウォーレスがチームを去ったため、ノアは先発に昇格、6.6得点、5.6リバウンドの成績を残して最初のシーズンを終えた。 2009-10シーズン中、ケガで苦しむ場面があった(出場は64試合に留まる)。復帰後はプレーオフ出場に向け、負けられない戦いが続いていた。そこで、なるべく長く出場してほしいGMのジョン・パクソンと、ケガ明けなので無理をせず出場時間を制限したいHCのヴィニー・デル・ネグロが起用法を巡って衝突。シーズン後に、解雇される理由の一つになったとされている。成績は、10.7得点、11.0リバウンド、2.1アシスト。 2010-11シーズンでは、序盤に、一時リバウンドで上位を争い、課題の得点も平均2桁を記録するなど活躍が見られ、オールスターに出場も夢ではないレベルであった(途中で負傷欠場するも、ファン投票ではセンター部門で3位)。だが、FAで移籍してきたカルロス・ブーザーが復帰して間もない12月のトロント・ラプターズ戦で右手親指を負傷、ごまかしながらプレーを続けるも、今後のことを考え手術を決断。12月半ばに手術は成功し、2カ月間欠場した。オールスター明けのラプターズ戦で復帰した。 大型契約の最終年となった2015-16シーズンは、フレッド・ホイバーグHCの構想から外れ、シックスマンに降格。挙げ句の果てに2016年1月15日のダラス・マーベリックス戦で左肩を脱臼する重傷を負い、シーズン絶望になるなど、散々なシーズンになってしまった[3]。 ニューヨーク・ニックス2016年7月1日、ニューヨーク・ニックスと4年総額7000万ドルで契約[4]。9年間所属したシカゴ・ブルズを離れ、地元ニューヨークでのプレーに加え、先にニックスに移籍していたデリック・ローズと引き続き共にプレーすることになった。しかし、加入1年目の2016-17シーズンは負傷に悩まされ、2017年2月27日に右膝の関節鏡視下手術を受け長期離脱が決定的となった。3月25日、CBAに取り決めのある禁止薬物に相当する市販薬(サプリメント)の陽性反応が確認されリーグから20日間の出場停止処分が下された。停止期間は、リハビリ終了後から開始される[5][6]。 メンフィス・グリズリーズ2018年12月4日にメンフィス・グリズリーズと契約。 現役引退へ2021年3月に現役引退を表明。同年9月にブルズは、ノアと「1日契約」を結び、10月28日のニューヨーク・ニックス戦で、引退セレモニーを開催すると発表[7]。更に同日にはブルズのアンバサダーに就任したことが発表された[8]。 個人成績
レギュラーシーズン
プレーオフ
脚注
外部リンク
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