ブリティッシュ・エアウェイズ
ブリティッシュ・エアウェイズ(英語: British Airways)は、イギリスの航空会社。ヨーロッパでは3位、世界では9位の規模を誇る大手航空会社であり、イギリス最大の航空会社(フラッグ・キャリア)である[2]。なお、日本では「英国航空(えいこくこうくう)」と呼ばれることもある。本項では以下、ブリティッシュ・エアウェイズを指して「BA」という表記に統一する。 概要航空連合の一つであるワンワールド創立メンバーの1社である。ロンドン・ヒースロー空港をメインハブとし、2004年11月現在、世界75ヵ国、159都市に就航している。 BAは1952年に世界初のジェット旅客機であるデ・ハビランド DH.106 コメットを就航させたり、1976年にはイギリスとフランスが共同で開発した世界初の超音速旅客機・コンコルドを就航させたりするなど、最新技術を果敢に取り入れることでも知られる。 航空券の座席予約システム(CRS)は、アマデウスITグループが運営するアマデウスを利用している[3][4]。
名称日本国内では、1990年代まで永らく英国航空とブリティッシュ・エアウェイズを並行で呼ばれてきた。2000年代初頭から「ブリティッシュ・エアウェイズ」の名称を使用して営業等を行っており、「英国航空」の名称は使用されていない。 コードデータ
歴史
![]() ![]() ![]() 前身会社
戦前1924年3月31日、ハンドリー・ページ・トランスポート(世界初の機内食提供)、ダイムラー・エアウェイズ(前身のエアクラフト・トランスポート・アンド・トラベルは世界初の国際定期便開設)、ブリティッシュ・マリン航空、インストーン・エアラインの合計4社が合併してインペリアル・エアウェイズとなった。当時はクロイドン空港を拠点としており、そこからヨーロッパ、アフリカ、中東、インドへと路線を拡充した。1930年代初頭、ハンドレページ H.P.42を導入、主力の機材となった。 1935年、個人経営の航空会社4つが合併し、ブリティッシュ・エアウェイズとなった(現在のBAと同じ社名であるが全く別の会社である)。 そして1939年、第二次世界大戦が始まると、インペリアル・エアウェイズとブリティッシュ・エアウェイズは政府に買収され、国営の英国海外航空(BOAC、British Overseas Airways Corporation)が誕生することとなった。戦時中は、英国空軍の指揮命令系統下にあった。 戦後1946年に国内線と欧州域内の国際線を担当する英国欧州航空(BEA、British European Airways)を分離し、英国海外航空は長距離国際線を運航する会社となった。 1952年には英国海外航空は世界初となるジェット機デ・ハビランド DH.106 コメットを就航させた。いっぽうの英国欧州航空はビッカース バイカウントを導入し、イギリス国内線やヨーロッパ路線で就航させた。そして、1955年にはロンドン・ヒースロー空港内にターミナル1が開業し、クロイドン空港は1959年に閉鎖され、英国海外航空と英国欧州航空の拠点としてスタートした。 英国海外航空はボーイング707とビッカース VC-10を導入した。英国欧州航空はホーカー・シドレー トライデントを導入した。両社とも運航路線を拡充した。1965年には英国欧州航空は世界初の空中での自動化操縦に成功した。1971年にボーイング747の導入を開始した。 ブリティッシュ・エアウェイズ誕生![]() 1974年に英国海外航空と英国欧州航空が合併し、現在の社名となった。 1976年にコンコルドが就航し、ロンドン・ヒースロー空港-ジョン・F・ケネディ国際空港で運航を開始することになった。他にも東京、シドニーなどいくつか就航地候補はあったが、騒音や収益性の問題があり実現しなかった。 民営化1979年、首相のマーガレット・サッチャーが民営化計画を発表した。1981年にはロード・キングが総裁に就任。民営化の準備として赤字体質の改善に取り組んだ。1983年、ロード・キングはコリン・マーシャルを最高経営責任者に迎え入れた。同社は「世界で最も気に入られる航空会社」をモットーに掲げ、徹底的に無駄を排除した。 1986年、かつて年間40-45%だった搭乗率が65%に上がり、過去最高の連結売上を計上した。ロンドン・ヒースロー空港にターミナル4が開業し、コンコルド用の搭乗口が設置された。コンコルドをビジネスクラスだけに改良した。 1987年2月、同社はロンドン証券取引所に上場した。初回の公募は大好評だった。同年7月イギリス国内第2位の規模であったブリティッシュ・カレドニアン航空を吸収合併したが、組織が一つにまとまらず、チャーター便部門のブリティシュエアツアーズが社名変更され、カレドニアン航空に分社した。 民営化以降、ヴァージン・アトランティック航空が台頭し強力なライバルとなった。BAは“dirty tricks”という妨害工作を展開したが、失敗に終わった。なお創業者のリチャード・ブランソンの母親は1946年に英国海外航空から分離し、南アメリカとカリブ海域路線を担当していたブリティッシュ・サウスアメリカン航空(BSAA)の元客室乗務員だった。 近年![]()
機材リスト
退役機材
退役機の画像ギャラリー
保有機材の特徴
同社はイギリスのエアラインということもあり、歴史的にエンジンメーカーの選択が可能な機材については同じイギリスの航空機エンジンメーカーである「ロールス・ロイス(Rolls Royce)」社製のエンジンを選定しているのが同社の保有機材の大きな特徴である。 エンジンメーカーの選択が可能になったボーイング747の長距離モデル「-200」型機では、世界で初めてロールス・ロイス社のエンジンを選定したエアラインとなり、さらにボーイング767においてもロールス・ロイス社製エンジンを搭載したモデルを発注・導入したことで知られている。 しかし、1990年代に受領したボーイング777-200型機、一部のボーイング777-200ER型機とエンジン選択が出来なかったボーイング777-300ER型機ではアメリカ製GE・アビエーション社製エンジン(GE90)を選定している。ただし、2000年代から受領している777-200ER型機はロールス・ロイス社製のエンジンへ回帰している[13]。将来導入予定のボーイング777-9XもGE90の派生型であるGE9Xのみが採用されるため、こちらもGE製エンジンが選定される予定である。 ![]() ボーイング747-400を世界で最も多く導入した航空会社でもあり[14][15]、一時は57機も運航していた(ただし747全般では世界で最も多く導入したのは日本航空である)。この747-400のエンジンももちろんロールス・ロイス社製(RB211)である。また、この747-400は当初、2023年〜2024年頃までに退役する予定であったが、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の世界的な流行に伴い、当初の予定を前倒しするかたちで2020年10月8日までに全機が退役[16]。同社が半世紀近く運航してきた747の歴史には終止符が打たれた[16]。 ![]() 747-400の後継機種のひとつとしてエアバスA380を選定、2007年に発注し2013年から運航を開始している。そのA380について当初は否定的であった態度を一転させた理由としては、747-400の後継モデルであるボーイング747-8の搭載エンジンが、アメリカのGE社製のみであったことが挙げられる(エンジンの選択が可能なA380においてはロールス・ロイス社製エンジンを選定している)。そして、エアバスA380(後述)と同時期に発注したボーイング787も24機(+オプション18機)すべてロールス・ロイス社製のエンジンを選定している。 また、後にワールドエアカーゴ(貨物部門)でボーイング747-8Fを3機導入したが、機材と運航、整備はアトラス航空による運用(ウェットリース)である特別な例で2014年4月中には同社での運航を終了し[17]、機材をアトラス航空へ返却している。 BAが発注したボーイング社製航空機の顧客番号(カスタマーコード)は36で、航空機の形式名は747-436, 767-336ER, 777-236, 777-236ER などとなる。 塗装
ワールドイメージ→詳細は「en:British Airways ethnic liveries」を参照
![]() BAは1997年に、現在も使用されているユニオン・ジャックを使用した機体塗装にリニューアルしたが、これと同時に「ワールドイメージ (英語: World Images) 」と称するキャンペーン(「ワールドテイルズ」「ユートピア」などとも[21] )が開始された。これは、世界各国のアーティストが制作した一機ごとに異なるデザインを垂直尾翼に施すというもので、ブリティッシュ・エアウェイズが多様な文化を持つ世界の人々のための国際的航空会社であることを表現する目的で導入され、デザイン数は合計で50種類程度[22] に及び、デザインの改装にかかったコストは合計で約60,000,000ポンドになったといわれる[23]。航空ファンの注目を集めたキャンペーンではあったが、社内や地元イギリスの利用客からは「イギリスの航空会社らしくない」「どこの国の航空会社なのかわかりにくい」「別の航空会社と間違いやすい」などの理由で評判が悪く、2001年から全機をコンコルドの尾翼デザインであるユニオン・ジャックをモチーフにした「チャタム・ドックヤード・ユニオン・フラッグ」に塗り替え[24]、わずか4年ほどで終了することとなった。ちなみにこのキャンペーンでは、日本の画家・加山又造の作品も使われている。 100周年記念2019年、BAは最も古い前身であるエアクラフト・トランスポート・アンド・トラベルによる世界初の定期国際線運航(1919年)からちょうど100年を迎えたことを記念し[22][25]、「国際線運航100周年」として複数の機体に大規模な復刻特別塗装を実施した。以下はその一覧である。
この年は、特別塗装が実施された機種のひとつであるB747が1969年に初飛行してからちょうど半世紀の節目の年でもあった[33]。 特別塗装機が使用される便においては、乗務員もその塗装当時のデザインの制服を着用し、機体の外見だけでなく、機内の雰囲気までレトロに再現した[22]。さらにこのイベント実施時、イギリスのエリザベス女王も、BAの本部や博物館「スピードバード・センター」などを訪れた[34]。
重整備ウェールズのカーディフ空港に隣接する場所に、同社の航空機を整備する主要な整備施設の1つであるブリティッシュ・エアウェイズ・メンテナンス・カーディフがある[35]。ここでは同社が所有するボーイング社製の長距離路線仕様の航空機であるボーイング747、777、787の全ての重整備や内装の変更を行っている。また、コンコルドの整備もここで行われていた。なお、カーディフ空港発着の定期便を運航していないため、重整備を行う機材は重整備のために同空港に飛来する。 就航都市コードシェアブリティッシュ・エアウェイズは以下の航空会社とコードシェア便の運航を行なっている[37][38][39][40][41]。 ワンワールド加盟航空会社ワンワールド非加盟航空会社日本との関係日本への運航便
日本との歴史日本には、英国海外航空時代の1948年3月19日にイギリスの南海岸のプール - 香港線を延長し、当時連合国軍による占領下であった日本の占領にあたっていた駐日イギリス軍への物資補給を目的に、岩国基地にショート・サンドリンガム「プリマス型」飛行艇で乗り入れた。 同年11月には東京国際空港(羽田空港)への乗り入れも開始し、さらに1952年には世界初のジェット旅客機であるデハビランド・DH106 コメットIによる南回りヨーロッパ線での乗り入れを開始した。なお、日本へのジェット旅客機の乗り入れはこれが初めてであった。 その後、乗り入れ機材をブリストル・ブリタニアやDH.106 コメット Mk.、ヴィッカース・VC-10、ボーイング707などに変更した他、1960年代より北回りヨーロッパ線での乗り入れも開始した。その後大阪国際空港(伊丹空港)にも乗り入れを開始し[注釈 3]、1971年からはボーイング747での乗り入れも開始した。 ![]() 1974年に路線がBAに引き継がれたものの、しばらくの間は英国海外航空の塗装に、BAのロゴを入れただけの機体で運航されていた。 その後使用機材をボーイング747に統一し、1980年代以降は名古屋空港、福岡空港(伊丹経由)にも乗り入れたが、採算性の悪化などを理由にその後廃止となる。 さらに過去には、日本から元イギリス領の香港へ行く便や、香港経由でヨハネスブルグやセーシャルなどに飛行する便も運航していたが、こちらも現在は廃止済みである[42]。 ![]() 2008年12月までは成田便が1日2便運航されていた[42]。機種は2往復とも概ねボーイング747-400に統一されていたが[注釈 4]、成田発午前便と午後便で座席配置が異なる機体が使用されており、午後発の便の方がエコノミークラスの割合が高くなっていた[42][43][注釈 5]。その後、リーマン・ショックによる世界規模の不況による需要減を受けて1日1便に減便したが、羽田空港再国際化に伴って2011年2月20日から羽田線に就航[45]、2014年3月31日に同じヨーロッパのルフトハンザドイツ航空とエールフランス航空が就航するまで、羽田に乗り入れる唯一の欧州系航空会社であった。羽田便は当初、週5便で運航していたが[46]、前述のルフトハンザとエールフランスが羽田便を開設した2014年夏スケジュールからはデイリー運航に増便された[47]。 なお、成田空港ではかつて第1ターミナルの北ウィング(主にスカイチーム加盟航空会社が使用するエリア)を使用していたが、2010年11月に他のワンワールド各社と同じ第2ターミナルに移転している。ワンワールド加盟航空会社であるにもかかわらず第1ターミナルを使用していた理由は、当時はまだボーイング747のような大型機は成田のB滑走路が使用できず、離着陸共にA滑走路のみを使用していたため、滑走路から駐機場までの距離を考慮しての措置であった[注釈 6]。 2012年10月1日からは日本航空との共同事業開始に伴い、両社の東京 - ロンドン線の全てと日本航空が運航するフランクフルト、パリ線もコードシェア便として運航されている[48]。 2019年4月1日、ロンドン-関西線の運航を再開した[49]。イギリスと関西国際空港を結ぶ路線は、日本航空が廃止して以来約10年ぶりの再開となり、ブリティッシュエアウェイズにおいては約20年ぶりの復活であった[50]。機材はボーイング787-8を使用する[50]。しかし、翌年の2020年に新型コロナウイルス感染症の煽りを受けてこの路線は運休となり[51]、現在まで再開していない。 また、2020年3月28日に羽田空港との路線を増便してダブルデイリーとし、同時に成田空港から撤退[52]。当初成田線に割り振られていたBA5/6便の便名はそのまま羽田線に移管となった。そのため、2025年5月時点で、日本路線は羽田空港路線2往復のみとなっている。2024年4月1日から、羽田空港路線のうちBA7/8便において最新鋭のエアバスA350-1000型機が投入されている[53]。 サービス座席など長距離路線で使用している一部の機材については、ファーストクラス、ビジネスクラス「クラブワールド」、プレミアムエコノミークラス「ワールド・トラベラー・プラス」、エコノミークラス「ワールド・トラベラー(World Traveller)」の4クラスないしファーストクラス、ビジネスクラス、エコノミークラスの3クラスかビジネスクラス、プレミアムエコノミー、エコノミークラスの実質3クラスにより運航されている。ファーストクラスの座席は180度フルフラットベットになるヘリンボーン式、ビジネスクラスは180度フルフラットになるスタッガード式座席で構成されている。この構成により、ビジネスクラスの座席は、前方を向いた席と後方を向いた席とを交互に配置するという形になっている[54]。ちなみにBAは、フルラット式のビジネスクラス座席を世界で初めて設置したエアラインとしても知られている[54]。 そのほか、全席に個人用モニターを装備し、最新のエンターテイメントシステムを提供している。 なお、ヨーロッパ圏内路線ではビジネスクラス「クラブ・ヨーロッパ」、エコノミークラス「ユーロ・トラベラー」の2クラスで、一部のイギリス国内線ではエコノミークラスのみで運航されている。 2023年に新ビジネスクラス「クラブ・スイート」を導入することが発表され、同年10月31日の冬スケジュールから、東京/羽田-ロンドン/ヒースロー線のうち週3便運航となるBA5/6便へ新ビジネスクラスを搭載した新仕様機材のボーイング777-300ERが導入される[55]。
機内食![]() 長距離路線は、英国式の食事を中心に一部クラスでフランス料理が提供される。午前中にイギリスから出発する便では、英国の伝統的な朝食かコンチネンタル・ブレックファストを、午後以降の出発便ではケーキやアフタヌーンティーが提供される。イギリス国内線及びヨーロッパ域内線のエコノミークラスでは、2017年1月よりマークス&スペンサーが提供する機内食の有料販売となった[56]。かつてはイギリス国内線ではスナックと飲み物を、ヨーロッパ圏内路線ではスナックやバーサービスが用意されていた。 この他、特別機内食も用意されているが、その殆どはヨーロッパ圏内の路線に限定される[57]。 ラウンジ![]() かつてはコンコルド搭乗客専用のラウンジ『コンコルド・ルーム』を用意していた。現在はヒースロー空港ターミナル5とジョン・F・ケネディ国際空港のファーストクラス専用ラウンジとして名前のみが残っている[58]。 マイレージサービスマイレージサービスの「Executive Club」は、ワンワールドに加盟している航空会社の他に以下の航空会社と提携している。 子会社現在の子会社フランチャイズなお、かつてフランチャイジーだったブリティッシュ・メディタレニアンエアウェイズ(BMED)は、2007年10月28日にbmiに吸収合併された。[59][60] また、かつてフランチャイズだったGBエアウェイズは2008年に消滅した。また、ローガンエアーは現在はFlybeのフランチャイズである。 過去に存在した子会社
その他のエピソード
ロンドン五輪聖火専用輸送機「the firefly」(エアバスA319-100・G-EUPC) ロンドン五輪特別塗装機 (エアバスA319-100・G-EUPD)
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事故・事件
脚注注釈
出典
関連項目
外部リンク
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