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この項目では、野球用語について説明しています。テレビドラマについては「勝利の法廷式」をご覧ください。 |
プロ野球における勝利の方程式(しょうりのほうていしき)は、リードしている試合において、そのリードを最後まで守りきるためにとられる、チームの定石となっているリリーフ投手(中継ぎ投手、抑え投手)の継投策、および継投パターンのことを指す。
競馬をはじめとした野球以外のスポーツや投資、ビジネス、ギャンブルなどにおいても、必勝パターンの意味で使用されることがあるが、キャッチコピーとしての面が強く野球ほど定着はしていない。
概要
由来は当時読売ジャイアンツの監督であった長嶋茂雄が1993年、1994年に橋本清→石毛博史の必勝継投策を「勝利の方程式」と銘打った事によりこの語が広まったといわれる[要出典]。ほぼ同時期に横浜ベイスターズの当時の監督であった近藤昭仁も盛田幸妃→佐々木主浩への継投策を「勝利の方程式」と呼んでいたこともあった。
その後、1998年に五十嵐英樹→島田直也→佐々木主浩の継投策を確立して横浜が38年ぶりの日本一に輝く大きな原動力となった[1]ほか、2000年の阪神タイガースは、当時の監督、野村克也監督の下、遠山奬志、葛西稔、伊藤敦規を相手打者や試合展開に応じてセットアップ及び抑えとして使い分ける独特の継投策を取ったことで注目を集めたり[2]、2002年-2003年のヤクルトスワローズは、「ロケットボーイズ」の愛称で親しまれた石井弘寿、五十嵐亮太を中心に、抑えの高津臣吾を含めた強力な方程式を確立して注目された[3]。
「勝利の方程式」の構築の流れに大きな影響を与えたのが、2005年に中継ぎ投手を称える指標に両リーグ統一して新規定であるホールドの採用[4]、及び、同年に阪神がいわゆる「JFK」(ジェフ・ウィリアムス、藤川球児、久保田智之)を確立して、リーグ優勝に輝いたことである。この「JFK」、及び同年の千葉ロッテマリーンズにおける「YFK」と2つの方程式に愛称されて浸透し、他球団も追随して球界全体に普及した。
基本的に、「勝利の方程式」に組み込まれている投手たちはクオリティ・スタートとしての役目を果たした先発投手の後を引き継ぐことから7回以降に登板することが多い。
「勝利の方程式」と同様にリードを最後まで守りきる意味で「守護神」の語も使われるが、一般的に「勝利の方程式」が中継ぎ投手(セットアッパー。主に8回を担当)から抑え投手(クローザー。主に9回を担当)につなぐ継投策を指すのに対して、「守護神」はクローザーを務める投手個人を指すことが多い。近年は、(主に7回を担当する)準セットアッパーも、勝利の方程式の一翼を担うケースが出てきている。
「勝利の方程式」の主な一覧
- 球団創立順。原則として、「特定の愛称が命名及び浸透」「複数年にわたり機能」「球団の躍進への貢献」のいずれかに該当し得る、何らかの特筆性を有する「勝利の方程式」を下記にて記載する。
- ※印は、現在も継続中であることを意味する。
セントラル・リーグ
主な該当選手 |
主な該当年 |
命名された主な愛称 |
主な特徴、特記事項
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橋本清 石毛博史 |
1993年-1994年 |
「勝利の方程式」 |
橋本がセットアッパーを、石毛がクローザーを務めた。1994年のリーグ優勝及び日本一に貢献した。
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山口鉄也 越智大祐 M.クルーン |
2008年-2010年 |
「風神雷神」 |
前年度中継ぎ投手として飛躍した山口と越智のコンビ名がスポーツ報知上で公募され、応募総数1290通の中から二人が選んだ「風神雷神」に決定された。山口は「疾風スライダー」で打者を斬る「風神」、越智は「雷電フォーク」で打者をねじ伏せる「雷神」とされた。 抑えを務めたクルーンは、2008年に41セーブを挙げて最多セーブ投手に輝くなど、2010年までの3年間で連続して25セーブ以上を記録した。
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山口鉄也 S.マシソン 西村健太朗 |
2012年-2013年 |
「スコット鉄太朗」
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安定した投球を披露して2012年日本一、2013年リーグ連覇に貢献した。特に抑えを務めた西村は、2013年に42セーブを挙げて最多セーブ投手に輝いた。 日刊スポーツの金子航記者が「スコット鉄太朗」と命名[5]。
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S.マシソン 澤村拓一 |
2015年-2016年 |
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前年まで先発投手を務めていた澤村が抑えに転向することで、この方程式が結成された。澤村は2015年に36セーブ(リーグ4位)を挙げ、2016年は37セーブを挙げて最多セーブ投手に輝いた。 セットアッパーを務めるマシソンは、2015年に28ホールド(リーグ5位)を挙げ、2016年は41ホールドを挙げて最優秀中継ぎ投手に輝いた。 2015年は山口鉄也も準セットアッパーとして29ホールド(リーグ4位)を挙げて、8年連続で「50試合登板、20ホールド」を同時到達する偉業を成し遂げた。
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主な該当選手 |
主な該当年 |
命名された主な愛称 |
主な特徴、特記事項
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山本和行 中西清起 |
1985年-1987年 |
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2名体制のクローザーとして活躍。1985年のリーグ優勝に貢献した。
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安藤優也 J.ウィリアムス |
2003年-2004年 |
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安藤がセットアッパーを、ウィリアムスがクローザーを務めた。2003年のリーグ優勝に貢献した。
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J.ウィリアムス 藤川球児 久保田智之 |
2005年-2008年 |
「JFK」 |
久保田が抑えを務めていた2006年までは「7回藤川 - 8回ウィリアムス - 9回久保田」の順、それ以降は「7回久保田 - 8回ウィリアムス - 9回藤川」の順番に登板することが多い。 彼ら3人のイニシャルを取ってこの通称を「JFK」と命名、いつしか定着して、その後の日本球界全体への「勝利の方程式」波及への大きな影響を与えた。
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榎田大樹 藤川球児 |
2011年-2012年 |
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榎田がセットアッパーを、藤川がクローザーを務めた。2011年に藤川は41セーブを記録し、2度目の最多セーブ投手に輝いた。
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福原忍 呉昇桓 |
2014年-2015年 |
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福原がセットアッパーを、呉昇桓がクローザーを務めた。両名とも2年連続(2014年-2015年)でそれぞれ最優秀中継ぎ投手(42HP、39HP)、最多セーブ投手(39セーブ、41セーブ)のタイトルを受賞している。
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桑原謙太朗 M.マテオ 髙橋聡文 岩崎優 R.ドリス |
2017年 |
「マクド」 |
桑原が67試合、マテオが63試合、高橋が61試合、岩崎が66試合、ドリスが63試合にそれぞれ登板し、NPB史上初となる「1チーム5選手による60試合登板」を達成。全員が防御率2点台以下・チーム救援防御率2.68(12球団1位)の好成績を残し、前年にはリーグ4位に沈んだチームの2位躍進を支えた[6]。 基本的に7回のマウンドを担った桑原、8回のマウンドを担ったマテオがともに43HPを挙げ最優秀中継ぎ投手賞を、9回の抑え役を担ったドリスが37セーブを挙げ最多セーブ投手賞をそれぞれ受賞[7]。ともに左投手である高橋と岩崎は相手打線との兼ね合い、もしくは桑原やマテオの登板状況に応じて登板する役割を担うことで、役割を厳密に固定しない柔軟な起用が可能となり選手にかかる負担を軽減させることができた[8]。 メディアではレギュラーシーズン終盤頃からこの5選手を「60試合クインテット」と称すようになる[9][10]。おもに大差の試合やビハインド時に登板した藤川球児も52試合登板を記録。「1チーム6選手による50試合登板」も同じくNPB史上初の事態であった[8]。
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岩崎優 R.スアレス |
2020年-2021年 |
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岩崎がセットアッパーを、スアレスがクローザーを務めた。スアレスは2年連続で最多セーブ投手(25セーブ、42セーブ)のタイトルを受賞。
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浜地真澄 湯浅京己 岩崎優 |
2022年 |
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セットアッパーを務めた湯浅が45HPで最優秀中継ぎ投手を受賞。岩崎はこの年を機にクローザーとして定着。2023年には35セーブで最多セーブ投手を受賞し、チームの優勝及び日本一に貢献。
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桐敷拓馬 石井大智 H.ゲラ 岩崎優 |
2024年 |
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桐敷と石井がセットアッパーを務め、ゲラと岩崎がクローザーを務めた。桐敷は43HPで最優秀中継ぎ投手を受賞。
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主な該当選手 |
主な該当年 |
命名された主な愛称 |
主な特徴、特記事項
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鹿島忠 郭源治 |
1988年-1989年 |
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鹿島がセットアッパーを、郭がクローザーを務めた。郭は1988年に44SPを記録し、2年連続となる最優秀救援投手を受賞。同年のリーグ優勝に貢献した。鹿島は1987年までセットアッパーを務めた宮下昌己に代わり台頭。1996年に引退するまで中継ぎとして息長く活躍した。
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落合英二 宣銅烈 |
1998年-1999年 |
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落合がセットアッパーを、宣がクローザーを務めた。落合は1998年に19.70RPで最優秀中継ぎ投手を受賞。1999年には後述する岩瀬やサムソン・リー、正津英志らと共に強力なリリーフ陣を形成。同年のリーグ優勝に貢献した。
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岩瀬仁紀 E.ギャラード |
2000年-2003年途中 |
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岩瀬がセットアッパーを、ギャラードがクローザーを務めた。岩瀬は2000年に26.20RPで2年連続となる最優秀中継ぎ投手を受賞。ギャラードは2000年、2002年に最優秀救援投手(36セーブ、35セーブ)に輝いている。2003年も岩瀬は31.15RPでタイトルを獲得したが、ギャラードはチームと対立しシーズン途中で退団。退団後は近鉄から移籍してきた大塚晶則がクローザーを務めた。
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平井正史 岡本真也 岩瀬仁紀 |
2004年-2007年 |
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平井、岡本がセットアッパーを、岩瀬がクローザーを務めた。岡本は2004年に24.80RPで最優秀中継ぎ投手に輝く。岩瀬は2005年、2006年に最多セーブ投手(46セーブ、40セーブ)のタイトルを受賞した。
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浅尾拓也 岩瀬仁紀 |
2008年-2013年 |
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落合博満、高木守道監督の下で、強力な方程式を形成して、中日の黄金期を築く大きな原動力になった。特に2010年、2011年のリーグ優勝に大きく貢献した。 セットアッパー役の浅尾は2010年に21試合連続ホールドポイントや日本記録のシーズン47ホールドを達成。2011年には45ホールド(2年連続の最優秀中継ぎ投手)を記録して、リリーフ投手としては史上2人目の最優秀選手に輝いた[11]。 抑え役の岩瀬は、2005年-2013年にかけて、9年連続30セーブ到達の偉業を果たす。この他にも、15年連続50試合以上登板(歴代1位)、史上初めての400セーブ到達などのを打ち立てた。 2010年は、左腕投手の髙橋聡文も、31ホールドを記録して勝利の方程式の一翼を担った。 2012年及び2013年は、浅尾が負傷離脱することが増えるようになったが、田島慎二が勝利の方程式の一翼として台頭。特に2012年は30ホールド(リーグ2位)を挙げて、クライマックスシリーズ進出に大きく貢献した。
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祖父江大輔 福敬登 R.マルティネス |
2020年 |
「大福マル」(大福丸) |
祖父江大輔、福敬登、R・マルティネスの名前のネーミングを組み合わせたものである[12]。7回の祖父江が準セットアッパーとして28ホールド(リーグ2位)を、8回の福がセットアッパーとして25ホールド(リーグ3位)を挙げ、いずれもヤクルトの清水昇と並んで最優秀中継ぎ投手を受賞。9回抑えのマルティネスも21セーブ(リーグ2位)を挙げたが、終盤にコンディション不良で戦線離脱して以降は祖父江と福が交互に抑えを務めた。谷元圭介もビハインド時に加えて6回の勝ちパターンとしても起用されて13ホールドをマークし、4人でチームの8年振りとなるAクラス入りに貢献した。
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清水達也 Y.ロドリゲス R.マルティネス |
2022年 |
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チームは最下位に沈んだが、ロドリゲスは最優秀中継ぎ投手を、マルティネスは最多セーブ投手のタイトルを受賞した。「7回清水 - 8回ロドリゲス - 9回マルティネス」の順番に登板することが多かった。3名のほかに、祖父江や藤嶋健人も同点時などの接戦で起用された。
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清水達也 松山晋也 R.マルティネス |
2024年 |
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チームは最下位に沈んだが、松山は最優秀中継ぎ投手を、マルティネスは最多セーブ投手のタイトルを受賞した。「7回清水 - 8回松山 - 9回マルティネス」の順番に登板することが多かった。3名のほかに、藤嶋や齋藤綱記も同点時などの接戦で起用された。
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主な該当選手 |
主な該当年 |
命名された主な愛称 |
主な特徴、特記事項
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盛田幸妃 佐々木主浩 |
1992年、1994年-1995年 |
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主に盛田がセットアッパー、佐々木がクローザーを務めた。盛田は1992年に中継ぎながら規定投球回に達し、最優秀防御率を受賞。佐々木も1992年、1995年に最優秀救援投手を受賞した。
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島田直也 阿波野秀幸 五十嵐英樹 佐々木主浩 |
1996年-1999年 |
「中継ぎローテーション」 |
1998年のリーグ優勝と日本一に貢献したリリーフ陣。クローザーは佐々木だったが、セットアッパーは記述の3人を軸にローテーション制で起用。 島田は1997年に24.75RPで最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得。翌98年もチーム最多の54試合に登板した。阿波野は1997年オフに横浜へ移籍し、翌98年に自己最多の50試合に登板。五十嵐は佐々木につなぐセットアッパーとして活躍。 クローザーを務めた佐々木は1995年から1998年まで4年連続で最優秀救援投手に輝く活躍を見せた。
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加藤武治 木塚敦志 川村丈夫 M.クルーン |
2005年-2007年 |
「クアトロK」 |
4人のイニシャルが共にKであることから「クアトロK」と呼称された。 球団が「クアトロK」と公式に呼称するのは2006年である。
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江尻慎太郎 牛田成樹 真田裕貴 山口俊 |
2010年-2011年 |
「クアトロS」 |
山口がクローザー、他の3人がセットアッパーを務めた。2011年は不調の真田と牛田に代わり、藤江均や篠原貴行、大原慎司が勝ちパターンで起用された。
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三上朋也 山﨑康晃 |
2015年-2018年 |
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2015年シーズン、前年までクローザーの三上が故障で開幕に間に合わず、当時大卒1年目であった山崎が開幕から抑えに抜擢され大車輪の活躍を見せる。8月には三上が戦列に復帰しセットアッパーを務め「三上 - 山崎」の方程式が結成、定着した。山崎は2015年に37セーブ(リーグ3位)、2016年に33セーブ(リーグ3位)を挙げ、プロ入り1年目から2年連続で30セーブ以上を記録(史上初)。主にホームゲーム(横浜スタジアム)での9回の登板時における「康晃ジャンプ」と称される独特の応援は、チームの名物になっている。 2016年は右腕の須田幸太、左腕の田中健二朗が準セットアッパー的役割を担い、三上を含め3投手が20ホールド以上を記録、山崎とともに強力な救援陣を形成した。
2017年は三上が不調だったものの、新外国人のS.パットンが代わりに8回に定着。62試合に登板して27ホールド、抑えの山崎も序盤はセットアッパーでの登板が中心になりながらも、交流戦以降はストッパーとして再定着。チームの日本シリーズ進出に大きく貢献した。2018年は三上が復調して準セットアッパーとして活躍した。
2019年はパットンが不安定な投球を繰り返し、三上も故障離脱する中、E.エスコバーがセットアッパーとして躍進。33ホールドを挙げた。
2020年は山崎が不振に陥ったが、三嶋一輝がクローザーに定着し、18セーブ(リーグ5位)をマーク。石田健大が7回のマウンドに定着し、25ホールド(リーグ3位)をマークした。オフにパットンが退団した。2019年以降、三上はビハインドでの登板を主としている。
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E.エスコバー 伊勢大夢 山﨑康晃 |
2022年 |
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エスコバーは38HP(リーグ4位)、伊勢は42HP(リーグ3位)、山﨑は37セーブ(リーグ3位)を記録。「7回エスコバー - 8回伊勢 - 9回山﨑」の順番に登板。
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主な該当選手
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主な該当年 |
命名された主な愛称 |
主な特徴、特記事項
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清川栄治 川端順 津田恒実 |
1986年-1989年 |
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1986年のリーグ優勝に貢献したリリーフ陣。清川と川端がセットアッパー、津田がクローザーを務めた。津田は1989年に40SPを記録し、最優秀救援投手を受賞した。
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横山竜士 M.シュルツ 永川勝浩 |
2008年-2009年 |
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横山、シュルツがセットアッパー、永川がクローザーを務めた。特に2009年は横山が34HP、シュルツが40HPを記録。永川に関しては2009年まで4年連続でクローザーを務め、3年連続30セーブ以上を記録した。3名のほかに梅津智弘も接戦時に起用され好成績を収めた。
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今村猛 B.ヘーゲンズ J.ジャクソン 中﨑翔太 |
2016年-2017年 |
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2015年シーズンに29セーブ(リーグ5位)を挙げて、抑え(クローザー)の座を手中にした中崎につなぐ中継ぎ陣の整備がチームの課題であった。この課題の解決のために、オフにジャクソン、ヘーゲンズを補強。 2016年シーズン、「ジャクソン - 中崎」と勝利の方程式を形成。これはシーズンを通して不動であり、そしてエクトル・ルナの故障で一軍に昇格したヘーゲンズ、更に彼の先発転向後は主に今村が準セットアッパー的役割を担うようになった。 中崎は防御率1.37・34セーブ(リーグ2位)、ジャクソンは37ホールド(リーグ2位)を記録。ヘーゲンズは19ホールド(リーグ9位)、今村は22ホールド(リーグ7位)をそれぞれ記録。この4人による強力な救援陣は、25年ぶりの悲願のリーグ優勝の原動力の大きな一つになった。
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島内颯太郎 矢崎拓也 |
2023年 |
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島内はセットアッパーに定着し、42HPで最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得。矢崎は調子の上がらない栗林良吏の代役として24セーブを挙げた。
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主な該当選手 |
主な該当年 |
命名された主な愛称 |
主な特徴、特記事項
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山田勉 高津臣吾 |
1993年-1995年 |
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山田がセットアッパーを、高津がクローザーを務めた。1993年と1995年の連覇に貢献した。高津は1994年に27SPで最優秀救援投手を受賞した。
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石井弘寿 五十嵐亮太 高津臣吾 |
1999年-2005年 |
「ロケットボーイズ」 |
厳密には「ロケットボーイズ」は155km/h以上の速球を投げるセットアッパーの石井・五十嵐2人のことを指し、2002年に公募により決定した。高津は同じく公募により「フィニッシャー」と言う愛称が付けられたがあまり定着せずに終わった。 高津が1999年・2001年・2003年に最優秀救援投手、石井が2002年に最優秀中継ぎ投手を受賞した。 高津のメジャー移籍後は石井・五十嵐がケガや調子によってセットアッパー・クローザーを交代しながら務め五十嵐が2004年に最優秀救援投手を受賞した。
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押本健彦 松岡健一 林昌勇 |
2008年-2011年 |
「MOL」 |
五十嵐亮太を加えて「IMOL」と言う呼ばれ方をしたこともあった。
2009年には松岡・五十嵐・林の愛称を公募し「火消しのめ組」と掛け合わせた「ツバめ組」が3人のみならずスワローズリリーフ陣全体の公式愛称として決定したが名称決定後にいずれも調子を落とした他、その年のオフに五十嵐がメジャー移籍をしたこともあり、あまり定着せずに終わった。
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O.ロマン L.オンドルセク T.バーネット |
2015年 |
「ROB」 |
大車輪の活躍で2015年のリーグ優勝の大きな原動力になった。 バーネットは41セーブ(リーグ1位)を記録。球団のシーズン最多セーブ記録を更新し、最多セーブ投手にも輝いている。 オンドルセクが33ホールド(リーグ1位)、ロマンが23ホールド(リーグ6位)、秋吉亮が22ホールド(リーグ7位)と、3投手が20ホールド以上を記録した。 それぞれの頭文字から勝利を「強奪する」意味の「ROB」と呼ばれた[13]。 同じく活躍した秋吉の背番号14を14年ぶりの優勝に見立てて「14ROB」といった呼び方もあった。
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今野龍太 清水昇 S.マクガフ |
2021年-2022年 |
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2年連続でいずれも50登板以上を達成しチームの2桁勝利投手0人ながらリーグ連覇を達成した原動力となった。 マクガフは当初はセットアッパーを務めていたが2021年シーズン途中よりクローザーに定着し3勝31セーブ14ホールドの好成績を残す。清水は3勝50ホールドを記録しシーズン最多ホールドの日本記録を更新する活躍で2020年から2年連続での最優秀中継ぎ投手に輝いた。今野は7勝28ホールドを記録した。
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パシフィック・リーグ
主な該当選手 |
主な該当年 |
命名された主な愛称 |
主な特徴、特記事項
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野村貴仁 鈴木平 平井正史 |
1995年-1996年 |
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1995年、1996年の二連覇に貢献したリリーフ陣。95年は平井が、96年は鈴木がクローザーを務めた。平井は95年に最高勝率、最優秀救援投手を受賞。新人王にも表彰された。
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加藤大輔 菊地原毅 大久保勝信 |
2005年-2006年 |
「KKO」 |
主に8回を投げた菊地原が36HPで最優秀中継ぎ投手を受賞。大久保は11球団全てからセーブを挙げ、22セーブでセーブ成功率100%を記録している。
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平野佳寿 岸田護 |
2010年-2012年 |
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セットアッパーを平野が、クローザーを岸田が務めた。2011年には平野が49HPで最優秀中継ぎ投手を受賞。
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比嘉幹貴 馬原孝浩 佐藤達也 平野佳寿 |
2014年 |
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大車輪の活躍で2014年のクライマックスシリーズ進出の大きな原動力になった[14]。 平野は40セーブ(リーグ1位)を記録。球団のシーズン最多セーブ記録を更新し、最多セーブ投手にも輝いている。 セットアッパーの佐藤も48HPで2年連続の最優秀中継ぎ投手に輝いた。準セットアッパー役の馬原が33HP(リーグ5位。登板数55試合)の活躍。火消し役の比嘉が27HP(リーグ8位)を挙げて、3投手が20HP以上を記録した。 比嘉を含めた4投手のフル回転ぶりは登板数の多さや防御率にも示されており、佐藤は登板数67試合(リーグ1位)で防御率が1.09、比嘉が登板数62試合(リーグ6位)で防御率が0.79、平野が登板数62試合(リーグ6位)と、3投手が60試合以上に登板したことになる。
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宇田川優希 山崎颯一郎 J.ワゲスパック |
2022年 |
「USJ」 |
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主な該当選手 |
主な該当年 |
命名された主な愛称 |
主な特徴、特記事項
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篠原貴行 藤井将雄 吉田修司 R.ペドラザ |
1999年-2002年 |
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1999年のリーグ優勝と日本一に貢献したリリーフ陣。 篠原は1999年にチームトップの14勝(1敗)をマークし、最高勝率のタイトルを獲得。 藤井も同年、26ホールドで最多ホールド投手に輝く。 吉田は2001年に19ホールドで自身2度目となる最多ホールド投手を獲得。 クローザーを務めたペドラザは2000年、2001年に最優秀救援投手(両年ともに38SP)に輝いた。 2000年に末期の肺ガンで藤井が入院。渡辺正和がその穴を埋める活躍を見せた。
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攝津正 B.ファルケンボーグ 馬原孝浩 |
2009年-2010年 |
「SBM」 |
3人の頭文字とソフトバンク系列会社のソフトバンクモバイルのもじりで「SBM」(B=ブライアン)と呼ばれた。 2010年は、この3人に背番号48の甲藤啓介を含めた「SBM48」といった呼び方もあった。
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五十嵐亮太 D.サファテ |
2014年-2015年 |
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前年のオフに、広島、西武で実績を積み重ねていたサファテが加入したことで結成された。抑え役のサファテは2014年に37セーブ(リーグ2位)を挙げ、2015年は41セーブを挙げて最多セーブ投手に輝いた。 セットアッパー役の五十嵐は、2014年に44ホールドを挙げて最優秀中継ぎ投手に輝き、2015年は31ホールド(リーグ3位)を挙げた。 この2人の大車輪の活躍は、チームの2年連続の日本一の大きな原動力になった。
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森唯斗 岩嵜翔 D.サファテ |
2017年 |
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この年、抑え役のサファテは1シーズンあたりのセーブ数をNPB記録の54まで伸ばし、セーブ失敗もわずかに1回のみ。 セットアッパー役の岩嵜はリーグ最多となる72試合に登板し、6勝3敗、40ホールドを挙げて最優秀中継ぎ投手に。
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嘉弥真新也 L.モイネロ 森唯斗 |
2019年-2021年 |
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主な該当選手 |
主な該当年 |
命名された主な愛称 |
主な特徴、特記事項
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島崎毅 金石昭人 |
1995年-1996年 |
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島崎がセットアッパーを、金石がクローザーを務めた。1996年には島崎が16ホールドで、パシフィック・リーグ初の最多ホールド投手に輝いた。
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建山義紀 横山道哉 |
2004年-2005年 |
「タテヨココンビ」 |
建山がセットアッパーを、横山がクローザーを務めた。2004年に建山が13ホールドで最優秀中継ぎ投手を、横山が32SPで最優秀救援投手を受賞した。
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武田久 MICHEAL |
2006年-2008年 |
「HAMの方程式」 |
「Hisashi And Micheal」の略を親会社の「日本ハム」に引っかけた名称で、命名はJFKなどと同じく日刊スポーツの記事による。 前年終盤に頭角を現した武田久と交流戦で片鱗を見せていたMICHEALが開幕から好投、長年の課題だった中継ぎ問題が解決、打力走力守備力のバランス整備や、新庄剛志の引退宣言の後押しにより、夏場以降からポストシーズンまで快進撃を続け25年ぶりの優勝と日本一に貢献。初めて北海道に優勝旗と日本一旗が渡った。 愛称には加わっていないが巨人から移籍した岡島秀樹も左のセットアッパーとして活躍。しかし岡島はオフにフリーエージェント権でボストン・レッドソックスに移籍し、1年限りで見納めとなった。 武田は45HPで最優秀中継ぎ投手を、MICHEALは39セーブで最多セーブ投手を受賞。
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宮西尚生 増井浩俊 武田久 |
2011年-2013年 |
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左右のセットアッパーとして宮西と増井が定着し、クローザーは武田が務めた。2012年には増井が50HPで最優秀中継ぎ投手を、武田が32セーブで2年連続・3度目となる最多セーブ投手を受賞。チームの優勝に貢献した。
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谷元圭介 C.マーティン 宮西尚生 増井浩俊 |
2016年-2017年 |
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2016年のリーグ優勝と日本一に貢献したリリーフ陣。 宮西は2016年、2018年、2019年に最優秀中継ぎ投手を受賞している。
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池田隆英 河野竜生 田中正義 |
2023年-※ |
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主な該当選手 |
主な該当年 |
命名された主な愛称 |
主な特徴、特記事項
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河本育之 成本年秀 |
1994年-1996年 |
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2名体制のクローザーとして活躍。1996年に成本が30SPで最優秀救援投手に輝いている。
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藤田宗一 B.ウォーレン |
1999年-2000年 |
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藤田がセットアッパーを、ウォーレンがクローザーを務めた。藤田は両年でリーグ最多登板を記録。2000年には19ホールドで最多ホールド投手を受賞。ウォーレンは1999年に31SPで最優秀救援投手を受賞した。
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薮田安彦 藤田宗一 小林雅英 |
2005年-2007年 |
「YFK」 |
2005年に結成された阪神の「JFK」から、おもにマスコミから「YFK」と呼ばれた。「JFK」同様、実際には藤田のほうが薮田より最初に登板することが多い。 3人の大車輪の活躍で、特に2005年はチームの悲願であった31年ぶりの日本一の大きな原動力になった[15]。 「JFK」及び「YFK」の成功は、その後の日本球界全体への「勝利の方程式」波及への大きな影響を与えた。 2007年には薮田が38HPで最優秀中継ぎ投手を受賞。
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松永昂大 益田直也 |
2013年、2019年 |
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松永がセットアッパーを、益田がクローザーを務めた。益田は2013年に33セーブで最多セーブ投手を受賞。
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大谷智久 西野勇士 |
2014年-2016年 |
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大谷がセットアッパーを、西野がクローザーを務めた。
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主な該当選手 |
主な該当年 |
命名された主な愛称 |
主な特徴、特記事項
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鹿取義隆 杉山賢人 潮崎哲也 |
1993年-1994年 |
「サンフレッチェ」 |
3人がセットアッパー兼クローザーとして活躍。1993年から1994年の2連覇に貢献した。
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森慎二 豊田清 |
2001年-2005年 |
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森がセットアッパーを、豊田がクローザーを務めた。特に2002年、2003年は大車輪の活躍を見せた。2年連続(2002年、2003年)で両名ともそれぞれ最優秀中継ぎ投手(32ホールド、26ホールド)、最優秀救援投手(44SP、40SP)のタイトルに輝いている。
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増田達至 髙橋朋己 |
2014年-2015年 |
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増田がセットアッパーを、髙橋がクローザーを務めた。増田は2015年に42HPで最優秀中継ぎ投手を受賞している。
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平良海馬 増田達至 |
2020年-2022年 |
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平良がセットアッパーを、増田がクローザーを務めた。2020年に増田が33セーブで最多セーブ投手を受賞。2022年には平良も水上由伸と共に35HPで最優秀中継ぎ投手を受賞している。
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主な該当選手 |
主な該当年 |
命名された主な愛称 |
主な特徴、特記事項
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佐野慈紀 赤堀元之 |
1993年-1997年 |
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佐野がセットアッパーを、赤堀がクローザーを務めた。佐野は5年連続40試合以上登板を記録し、1996年には中継ぎ投手として日本プロ野球史上初の1億円プレーヤーとなった。赤堀は最優秀救援投手を5度受賞する活躍を見せた。
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岡本晃 大塚晶文 |
2001年-2002年 |
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岡本がセットアッパーを、大塚がクローザーを務めた。2001年の優勝時は岡本が61試合に登板し、大塚は26セーブを記録。翌2002年は両者合わせて40セーブを記録する活躍を見せた。
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主な該当選手 |
主な該当年 |
命名された主な愛称 |
主な特徴、特記事項
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片山博視 青山浩二 小山伸一郎 |
2010年-2013年 |
「スリーマウンテンズ」 |
3名がクローザー兼セットアッパーとして活躍。2013年のリーグ優勝及び日本一に貢献した。
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福山博之 松井裕樹 |
2015年-2017年 |
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福山がセットアッパー、松井がクローザーを務めた。福山は2014年から2017年の4年間連続で60試合登板を果たした。松井は2015年から2017年までの3年間連続で30セーブ以上を達成。特に2015年はリリーフながら100奪三振越えを記録している。
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KBOリーグ
主な該当選手 |
主な該当年 |
命名された主な愛称 |
主な特徴、特記事項
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高昌成 林泰勳 李在雨 李庸燦 |
2009年 |
「KILLライン」 |
名前の由来は構成メンバー達の苗字のイニシャルからとられており、全員が右投手である。 高昌成が防御率1.59、林泰勳が11勝、李在雨がメンバー最多の97.1イニング消化、李庸燦が26セーブを上げるなど活躍。 特に李庸燦は同年のセーブ王となり最優秀新人賞を受賞した。
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脚注・出典
関連項目