国道143号
![]() 長野県松本市 渚一丁目交差点付近 ![]() 長野県上田市 下之条北交差点 国道143号(こくどう143ごう)は、長野県松本市から上田市に至る一般国道である。 概要![]() (2016年5月) 1890年(明治23年)に長野県道として全通した歴史の古い道路である。明治時代の建設当初馬車交通を想定したため、急峻な山岳地帯を通過する道路の割には緩勾配に設計されているのが特徴である。 かつては上田 - 松本間の最短ルートであったが、1976年(昭和51年)の国道254号三才山有料道路の開業に伴い、通行量が激減した。 上田市から小県郡青木村までの約10 kmは、盆地の緩い斜面をほぼ一直線のルートで結んでいるのが特徴的となっている。建設当時は幅員もゆとりがあり、東山道に代わり上田 - 松本間を最短で結んだ、いわばバイパス道路の先駆けと呼べる道路だが、旧来の集落を無視した設計に反発もあり、設計した技師が左遷されたと伝わる。しかし自動車社会の近年となっては、特に上田、松本の市街地区間は路肩のほとんど無い、センターライン付の道路としては最低限の幅員で、自動車交通に対するゆとりは乏しく、拡幅事業も進められている。 小県郡青木村・松本市旧四賀村間では二つの峠越えがあり、この区間ではほとんどが1車線から1.5車線の狭隘路で、大型車は通過できない。また途中には斜面崩壊しやすい脆弱な区間もある。長野県は新トンネルの建設を視野に調査を進めている。 路線データ一般国道の路線を指定する政令[1][注釈 1]に基づく起終点および重要な経過地は次のとおり。
歴史交通の不便だった中信と東信の間を車道で連絡する目的で、長野県道「第二線路」として1887年(明治20年)に建設決定された[注釈 3]。 1888年(明治21年)着工、1890年(明治23年)の山岳区間のトンネル開通、および上田町(当時)での千曲川の上田橋架橋完成などに伴って全通した。このような経緯から、沿線住民には現在でも「二線路」の通称で呼ぶ者がある。 年表
路線状況通称
バイパス・道路改良![]() 長野県上田市築地
重複区間
道路施設![]() 長野県東筑摩郡筑北村東条 トンネル2か所の峠それぞれに、明治時代の道路開通時に建設されたトンネルが残存している。 青木峠の明通トンネル(あけどおしトンネル:全長95 m、高さ制限3.6 m)は、日本の国道において現道として通行可能なトンネルでは最古で、1890年(明治23年)開通[13]。自動車通行を容易とするため1957年(昭和32年)に拡大改築工事をおこなって原形は留めておらず、両側坑口はコンクリートポータルとなっている[13]。 地蔵峠の会吉トンネルはやはり1890年(明治23年)開通で、1934年(昭和9年)に改築工事を受けた。明通トンネルと同程度の道幅ながら、国道のトンネルとしては珍しい信号機による交互通行を行なっている。なお、二輪車および自転車は信号機による交通規制を受けない。 道の駅
地理![]() (2016年5月) ![]() 長野県松本市岡田伊深 通過する自治体交差する道路
峠脚注注釈出典
関連項目
外部リンク
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