東海中学校・高等学校
東海中学校・高等学校(とうかいちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、愛知県名古屋市東区筒井に所在し、中高一貫教育を提供する私立男子中学校・高等学校。 高等学校において、中学校から入学した内部進学の生徒と高等学校から入学した外部進学の生徒との間で、第2学年から混合してクラスを編成する併設混合型中高一貫校。 概要1888年(明治21年)に浄土宗学愛知支校として設立された。旧制東海中学第二代校長は仏教学者で政治家の椎尾弁匡で、新制高校2代校長は後に浄土宗大本山百万遍知恩寺法主となった林霊法である。浄土宗に基づき仏教教育や情操教育を行う。 同一法人下に東海学園大学を擁すが、同大学への内部進学枠は有していない。制服は男子校の伝統の一つでもある金ボタン5個黒詰襟学生服(標準学生服、中学生は右胸部分に白の刺繍で姓名を入れている。なお2022年(令和4年)度から入学した中学生の制服には姓名の刺繍はなくなった)。食堂(じきどう)も設置しているが、利用は高校生限定(テスト期間中等の特別な場合に限り、中学生の利用が認められる)。 1931年(昭和6年)に、昭和天皇御大典記念事業の一環として大講堂が建てられた[1]。1992年(平成4年)には名古屋市都市景観重要建築物等に指定され[2]、1998年(平成10年)には国の登録有形文化財に登録された[3]。歴史的建造物からなる「文化のみち」の1施設として、ウォークラリーなどイベント時限定で公開されている。 沿革![]()
宗教教育と明照殿宗教教育生命尊重の仏教精神に基づく教育の下で、広く生命を尊重する「共生(きょうせい・ともいき)」の心を培うことを目指している。東海中学第2代校長の椎尾弁匡は、大正から昭和の初めにかけて共生の大切さを説いて共生運動を展開した。卒業生の、梅原猛は共生に関して多数著述し、黒川紀章は共生の思想を建築の領域で展開して最晩年に共生新党を結成して政界へ進出を試みた。 中学校は高校に比して宗教教育に力を入れており、阿弥陀仏を中心に学園関係者の御霊を祀る殿堂で学園の象徴の一つとされる明照殿(めいしょうでん・後述)で、「宗教」が授業される。平成の初期に全国の中学校でカリキュラムの偽装が問題視された時期は、一時的に「宗教」の科目は閉講された。 毎年、講堂にて音楽法要が行われ、それまでの1年間に亡くなった在校生・卒業生および学園関係者を弔っている。 朝礼の時に明照殿の方向に向かって教室内で拝礼する。また、4時限目終了後に、行事など校外の際も「食作法(じきさほう)」を実施し、法要や法話など浄土宗の教えに基づく行事が年間で行われる。 また、チャイムは「法然上人御歌」である、「月影」を使用している。 明照殿正門から入って正面にある学園のシンボルであり、1901年(明治34年)に建立された、日清戦争の戦病死者を弔うとする「仏教忠魂祠堂」という仏殿に始まった。その後一般教育では宗教を教えてはならないと旧文部省から通達されたため、阿弥陀仏とともに明治天皇、昭憲皇太后を祀っており、神仏にお参りをするのと同じように御位牌にお参りしているため、一つの宗派に偏らない宗教情操を養っているとした。そのため、現在でも明治天皇と昭憲皇太后の御尊牌が納められている。 現在の明照殿は1980年(昭和55年)に完成した3代目(初代(忠魂祠堂)は暴風雨で倒壊、2代目(旧明昭殿)は発展的解消により現存せず)で、建設当時現存していた同学園で最古の建造物である「旧理科棟」の一部が埋め込まれている。また、その中では現在、忠魂祠堂時代からの阿弥陀如来座像と共に、新明照殿完成とともに浄土宗の高祖善導の1300年の遠忌の年も相まって新製された、善導と宗祖法然の座像や先述の御尊牌、また亡くなった同窓生の位牌(新調)が祀られている。
通学圏東は豊橋市や浜松市から東海道新幹線利用で、西は岐阜県大垣市を越えて滋賀県米原市付近、南は三重県津市、下宿生を加えれば尾鷲市、北は岐阜県中津川市付近で、名古屋から半径約50キロメートルが目安[4]となる。 年間行事水練会毎年7月末に、三重県伊勢市二見町で中学1年生が全員参加する2泊3日(2022年までは4泊5日であった)の臨海学習である。担任のくじ引きでクラス別に色分けしたふんどし(水褌)を身につける。事前に行われる泳力テストで好成績を示した生徒は3キロメートル(ただし、気象条件等を考慮し、実際は75分間完泳で3kmを泳いだとみなされる)、あまり泳げない生徒でも1キロメートル(こちらは距離制)をそれぞれ完泳することを目標としている。泳げる順に「白」「白赤」「赤白」「赤」「特赤」の帽子をかぶる。初開催は1911年(明治44年)で、その後戦争による中断、開催日時や場所の変更が度々行われた。2020年(令和2年)は新型コロナウイルスの影響で、戦後初の中止となった。2021年(令和3年)は実施を前提に水褌を用意したものの、6月に海水浴場が使用できないとわかり、2年連続で中止となった。2023年(令和5年)に再開されたが、クラスごとに2つに日程が分けられ、期間も2泊3日と短縮された。2024年(令和6年)からは、水褌の下の水着着用が許可された。 記念祭毎年9月の最後の週の土日2日間に公開される学園祭である。高校は「創立記念祭(記念祭)」、中学は「九月祭」と呼んでいたが、2019年(令和元年)より「東海高校・中学校記念祭」に名称統一された[5]。以前はそれぞれ別日程であったが、2001年(平成13年)から同日開催となった。 サタデープログラム毎年2月と6月の第4土曜日にはサタデープログラムが開催される。通常、予約の必要はない。各界の著名人を講師として招聘し、講演を行う行事である。毎回のべ7000人ほどが訪れる。1つの講座での過去最高人数は第42回(2023年2月25日)の河野玄斗の1028人である。 部活動運動系の体育部と文化系の学芸部を合わせて40以上の団体が部(クラブ)・同好会・愛好会として活動している。一部は中高一緒に活動する。兼部は基本的に許可されている。中学1年生と2年生は原則としてどれか一つの部活動に所属する。 運動系(体育部)
文化系(学芸部)
活動実績
近年は以下の大会で全国優勝している。
著名な出身者→「東海中学校・高等学校の人物一覧」を参照
著名な教員兄弟校系列校アクセス
その他
服装と備品制服は冬服が黒の詰襟学黒ズボン、夏服は2022年(令和4年)度から変更されて従来の霜降ズボンに白地のポロシャツという形に変更された。(高校の夏のシャツは白地のカッターシャツまたはポロシャツ)。中学は制帽(夏は白の覆いをかぶせる)がある。 2021年(令和3年)度以前の夏服はグレーの開襟シャツ(通称「作業服」)に霜降ズボンが使われていた。 学年によって靴ひもなど備品の色が違う。この色は「青・黄・緑」の順に3年周期で決められている。2024年(令和6年)度は3年生が黄、2年生が緑、1年生が青を表す(ただし体操服等の色は黄の代わりに赤(臙脂色)が使われる)。 中学ではベージュの肩掛け鞄と黒色の補助鞄が指定されていたが、2021年(令和3年)度中学入学生より、肩掛け鞄に代わって黒色の指定リュック(校章入り)となった。考査および式典の日は補助鞄のみでの登校が認められる。制帽の着用は任意。 高校では靴・鞄は自由(ただし、クロックス、サンダル、下駄、草鞋は禁止)。中学では禁止されている携帯電話などの電子機器の持ち込みが許可されている。 文理コース・習熟度別クラス編成・卒業式高校2年生から全ての生徒が理系A群(理A)、文系A群(文A)、理系B群(理B)、文系B群(文B)に分けられ、成績上位者がA群に入れられる。 2023年(令和5年)度は、2年生のA~E組が理B、F組が文B、G組が文A、H~J組が理A、3年生のA~C組が理A、D組が文A、E組が文B、F~J組までが理Bである。B群ではクラス人数がA群より少なく抑えられ、本人の希望に基づく英語グレード制授業(上級・中級・初級)が行われている。 高校3年生2学期末の時点で単位不認定の科目がある場合、1月に追試が行われる。この追試で単位を取得できないと、大講堂での卒業証書授与式に出席できない。なお、卒業式後に実施される追試に合格した生徒のためにも小規模の卒業式がある。 脚注
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