桜島武町
桜島武町(さくらじまたけちょう[3])は、鹿児島県鹿児島市の町[4]。旧大隅国大隅郡桜島郷武村、鹿児島郡西桜島村大字武、鹿児島郡桜島町大字武。郵便番号は891-1416[5]。人口は469人、世帯数は265世帯(2020年4月1日現在)[6]。 地理桜島の北部に位置しており、火山扇状地の扇端部にある[7]。町域の北東には深谷川を挟んで桜島藤野町、南西に長谷川を挟んで桜島赤生原町がそれぞれ隣接しており、北西には鹿児島湾に面している。 主に温州みかんやビワなどを中心とした果樹が生産されている。1949年(昭和24年)には地内から武貝塚が発掘され縄文土器が出土している[7]。 自然公園・自然保護地区桜島武町の一部が国立公園である霧島錦江湾国立公園の区域に指定されており[8]、第1種特別地域(桜島北斜面)・第2種特別地域(桜島北及び東斜面)・第3種特別地域(桜島北及び東麓)・普通地域から構成される[8][9]。 河川
歴史先史時代1944年(昭和19年)と1949年(昭和24年)に地内で発掘調査が行われ、縄文時代の頃のものと見られる貝塚である「武貝塚」が発見された。貝塚の上層からは市来式土器、西平式土器、中層からは上層より古い市来式土器や鐘崎式土器、下層からは指宿式土器、出水式土器が発掘され、他にも動物の骨、磨製石器なども発掘されている。 福岡県で主に出土される鐘崎式土器、熊本県で主に出土される西平式土器が発掘されていることから、この頃より九州各地との交流が行われていたとされる[10]。 武の成立と中世岳という地名は戦国期より見え、大隅国向島のうちであった。天文6年の本田紀伊守宛島津勝久宛行状に記述が見えるのが地名の初見であるとされる。天正元年以降は北郷時久領となった[11]。 近世の武江戸時代には大隅国大隅郡桜島郷(外城)のうちであった[12]。村高は「天保郷帳」では297石余[12]、「旧高旧領取調帳」では350石余であり[12]、桜島では最大の石高数であった[13]。 安永8年の桜島大噴火では噴石や降灰による被害が甚大であり、村民は鹿児島城下に避難した[12]。 町村制施行以後1889年(明治22年)4月1日に町村制が施行されたのに伴い、桜島の西半分にあたる横山村、赤水村、小池村、赤生原村、武村、藤野村、西道村、松浦村、二俣村、白浜村の区域より北大隅郡西桜島村が成立した[14]。それに伴いそれまでの武村は西桜島村の大字「武」となった[12]。 1973年(昭和48年)5月1日には西桜島村が町制施行し桜島町となった[15]。 2004年(平成16年)11月1日に桜島町が鹿児島郡吉田町、日置郡松元町、郡山町、揖宿郡喜入町と共に鹿児島市に編入された[16]。合併に際して設置された法定合併協議会である鹿児島地区合併協議会における協議によって、桜島町の区域の大字については「字の区域を廃止し、当該廃止された字の区域に相当する区域により新たに町の区域を設定し、その名称については表示案に基づき、各町の意向を尊重し合併までに調整するものとする」と協定された[17]。 前述の協定に基づいて、合併前の10月26日に鹿児島県の告示である「 人口以下の表は国勢調査による小地域集計が開始された1995年以降の人口の推移である。
文化財市指定
施設教育
郵便局
寺社教育小・中学校の学区市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[29]。
交通道路路線バス港湾脚注
参考文献
関連項目
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