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推薦名 |
推薦国 |
勧告 |
決議
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レッド・ベイのバスク人捕鯨基地
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カナダ
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登録
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登録
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Red Bay Basque Whaling Station
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Station baleinière basque de Red Bay
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レッド・ベイはラブラドール半島に位置し、ベルアイル海峡に面している[20][35]。ここには、16世紀にバスク人が進出して捕鯨をしていたときの船着場や住居、加工施設群の遺跡などが残り、登録対象には海底遺跡である沈没船や鯨骨の堆積物なども含まれる[20][35]。適用された世界遺産の登録基準は (3)、(4) である。
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紅河ハニ棚田群の文化的景観
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中国
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登録
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登録
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Cultural Landscape of Honghe Hani Rice Terraces
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Paysage culturel des rizières en terrasse des Hani de Honghe
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紅河ハニ族イ族自治州の棚田は1300年以上維持されてきたものであり、自然と調和して生きてきたハニ族の自然崇拝を体現する文化的景観を呈している[5][36]。適用された世界遺産の登録基準は (3) と (5) である。
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ザダルの古代ローマ時代のフォルム遺跡群にある宗教建造物群
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クロアチア
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不登録
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――
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Sacral Complex on the remains of the Roman Forum in Zadar
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Ensemble religieux sur les vestiges du forum romain de Zadar
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前年の第36回世界遺産委員会では「情報照会」と決議されていた。今回、諮問機関はこの推薦物件の完全性と真正性を認めず、世界遺産の登録基準のいずれに適合することも証明されていない[37]などとして、前年の勧告(登録延期)よりも厳しい「不登録」を勧告した[38]。これを受けて、クロアチア当局は審議前に取り下げた[39]。
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開城の歴史的建造物群と遺跡群
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北朝鮮
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登録
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登録
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Historic Monuments and Sites in Kaesong
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Monuments et sites historiques de Kaesong
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開城市はかつての高麗の首都で、この物件を構成するのはその時代の都城を形成した開城城壁・開城南大門や、建国者王建の墓所である王建王陵、第31代の恭愍王陵、教育機関だった高麗成均台など12件である[36]。これらは高麗の政治理念が仏教から儒教へと移行する時期の多面的な価値を体現している[5][36]。2008年の第32回世界遺産委員会で審議されたときには「登録延期」決議だったが、今回は世界遺産の登録基準 (2)、(3) に適合するとして「登録」が勧告されていた[40]。北朝鮮にとっては高句麗古墳群(2004年)に続く2件目の世界遺産となった。
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レブカの歴史的港町
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フィジー
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登録
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登録
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Levuka Historical Port Town
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Ville portuaire historique de Levuka
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オバラウ島にあるロマイヴィティ州(英語版)の州都レブカは、1820年ごろからヨーロッパ人らによって建設された都市であり、1874年から1882年にはイギリス領フィジーの首都だったこともある[41]。この都市に残るコロニアル様式の建造物群は、ヨーロッパと南太平洋地域の文化交流を示す植民都市の例証である[15]。適用された世界遺産登録基準は (2)、(4) であり、フィジー初の世界遺産になった。
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ベルクパルク・ヴィルヘルムスヘーエの泉水作品群とヘルクレス
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ドイツ
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登録
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登録
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Water features and Hercules within the Bergpark Wilhelmshöhe
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Pièces d’eau et Hercule dans le Bergpark Wilhelmshöhe
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カッセルにあるベルクパルク・ヴィルヘルムスヘーエは、もともとヘッセン=カッセル方伯カールが18世紀初頭に完成させた宮殿と庭園であり、現在の名称は18世紀後半に周辺を公園として整備したドイツ皇帝ヴィルヘルム1世にちなんでいる[42]。特に巨大なヘルクレス像と、噴水・泉・渓流などが特徴的であり[5][42]、推薦名はそれらをよく表していたが、正式な登録名は単に「ベルクパルク・ヴィルヘルムスヘーエ」となった。適用された世界遺産の登録基準は (3)、(4) である。
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ラージャスターンの丘陵城塞群
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インド
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登録
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登録
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Hill Forts of Rajasthan
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Forts de colline du Rajasthan
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8世紀以降、近代に至るまでにラージプートによって築かれたチットールガル、クンバルガル、ガングロン、ランタンボール、アンベール、ジャイサルメールの6つの要塞を対象としている[43]。これらの要塞群はラージプート諸王国の文化・芸術などの中心地としても機能してきた建造物であり、かつての栄華や建築思想などを伝えている[8]。適用された世界遺産の登録基準は (2)、(3) である。登録経緯に関する議論は後述も参照のこと。
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ゴレスターン宮殿
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イラン
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情報照会
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登録
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Golestan Palace
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Palais du Golestan
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ゴレスターン宮殿はテヘランにあるサファヴィー朝時代に起源を持つ建築物で、市内では最古の部類に属する[44]。現在の宮殿は、18世紀末に成立したガージャール朝時代に、伝統的なペルシアの様式に西洋の様式などを導入したものであり、その時代のイランの建築水準の高さを伝えている[8]。適用された世界遺産の登録基準は (2)、(3)、(4) である。
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メイマンドの文化的景観
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イラン
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登録延期
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情報照会
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Cultural Landscape of Maymand
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Paysage culturel de Maymand
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メイマンドはケルマーン州の村落で、半遊牧民たちが伝統的な季節移動を伴う牧畜を行い、冬には穴居生活を営んでいる[45]。しかし、ICOMOSは価値の証明に必要な比較研究をはじめとする諸情報が不足していることなどを指摘し[46]、委員会審議でも「情報照会」決議にとどまった。
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メディチ家の邸宅群と庭園群(英語版)
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イタリア
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登録
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登録
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Medici Villas and Gardens
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Villas et jardins des Médicis
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ルネサンス期に莫大な財力を背景に芸術家などの庇護者となっていたメディチ家が、フィレンツェをはじめとするトスカーナ各地に築いた12の邸宅と2つの庭園が対象となっている[9]。それらの建築の影響は、イタリアのみならず他のヨーロッパ諸国にも波及した[8][9]。適用された世界遺産の登録基準は (2)、(4)、(6) である。
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武家の古都・鎌倉
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日本
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不登録
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――
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Kamakura, Home of the Samurai
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Kamakura, foyer des samouraïs
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日本における最初の武家政権が成立した鎌倉は、要害の地に築かれた中世の政治・軍事都市の面影が残るとともに、禅宗の寺院をはじめとする様々な宗教建築物の存在が武士の精神文化を伝えているなどとして推薦された[47]。諮問機関はその歴史的重要性を認めつつも、現在の鎌倉には当時の様子を偲ばせる要素が少ないことなどを理由に「不登録」を勧告した[48]。これを受けて、日本政府は審議前に推薦を取り下げた[49]。
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富士山
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日本
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登録
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登録
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Fujisan
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Mont Fuji
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登録に際して、その価値をより鮮明に示すために「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」と改称された。富士五湖を含む富士山域のほか、富士山本宮浅間大社など全部で25の構成資産から成る[50]。諮問機関の勧告では、そのうち、三保松原を除くことを条件としていたが、委員会審議では三保松原についても登録が認められた[51]。適用された世界遺産の登録基準は (3)、(6) である。
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ヴィアンデンの都市と城(英語版)
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ルクセンブルク
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不登録
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不登録
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Town and Castle of Vianden
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La Ville et le Château de Vianden
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ヴィアンデンはルクセンブルク北部の小都市である。ルクセンブルク当局は中世の城郭・都市建築の優れた例証であるとともに、19世紀には亡命中のヴィクトル・ユーゴーが短期間居住していたことから、人間の自由や尊厳の象徴でもあるとして推薦したが、諮問機関からはいずれの価値も否定された[52]。それに対し、ルクセンブルク当局は取り下げずに審議に臨んだが、委員会審議でも「不登録」と決議された[53]。
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イサンドラのゾマ(英語版)
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マダガスカル
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登録延期
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情報照会
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Isandra Zoma
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Zoma de l’Isandra
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ゾマは洞窟群のことで、マダガスカル中南部のオート・マツィアトラ(英語版)地方の断崖のふもとに残る洞窟、岩陰遺跡、古い村落などが対象である[54]。それらはベツィレウ人たちの伝統的な文化、信仰、王権などを伝える物件として推薦されたが、価値の証明が不十分であるとされた[55]。
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ハールレムのテイラー関連遺産(英語版)
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オランダ
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不登録
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――
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Teylers, Haarlem
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Teylers, Haarlem
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この推薦資産は18世紀の絹商人ピーター・テイラー(英語版)がハールレムに築いた博物館の建造物群を対象としている[56]。テイラーの博物館は芸術方面のみでなく、自然科学関連の展示にも特色があるため、オランダ当局は啓蒙思想の時代における博物館建築や、当時の商人の邸宅の優れた例証として推薦したが、諮問機関はいずれも世界遺産としての顕著な普遍的価値を示すものではないとした[57]。これを受けて、オランダ当局は審議前に推薦を取り下げた[58]。
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アガデス(アガデス歴史地区)
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ニジェール
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登録
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登録
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Agadez (Historic Centre of Agadez)
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Agadez (centre historique d’Agadez)
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アガデスは15世紀から16世紀にかけてこの地にスルタン制が導入された頃に成立した都市で、サハラ交易によって成長した[15][59]。その建築様式は泥レンガ(英語版)を使った建築としては非常に洗練されたものであるとともに[59]、アイル地方特有の装飾表現も含んでいる[15][59]。適用された世界遺産の登録基準は (2)、(3) であり、登録に際して「アガデス歴史地区」と単純化された。
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ヴィエリチカとボフニャの王立岩塩坑*
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ポーランド
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承認
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承認
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Wieliczka and Bochnia Royal Salt Mines
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Mines royales de sel de Wieliczka et Bochnia
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1978年に登録された最初の世界遺産のひとつ「ヴィエリチカ岩塩坑」の拡大申請。拡大されたのはボフニャ岩塩坑(英語版)とヴィエリチカ製塩所である[60]。ボフニャ岩塩坑はマウォポルスカ地方にあり、13世紀以降ヴィエリチカ同様に地下での岩塩の採掘が行なわれてきた[61]。
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ポーランドとウクライナのカルパティア地方の木造教会群
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ポーランド / ウクライナ
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登録
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登録
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Wooden Tserkvas of the Carpathian Region in Poland and Ukraine
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Tserkvas en bois de la région des Carpates en Pologne et en Ukraine
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カルパティア山脈の周辺地域で16世紀から19世紀に建設された16棟の木造教会を対象とする世界遺産で[12][62]、ポーランドとウクライナからそれぞれ8棟ずつ登録されている[62]。適用された世界遺産の登録基準は (3)、(4) で、カルパティア周辺の木造教会の登録はカルパティア山脈地域のスロバキア側の木造教会群(スロバキア、2008年登録)に続くものである。
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コインブラ大学-アルタとソフィア
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ポルトガル
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情報照会
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登録
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University of Coimbra – Alta and Sofia
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Université de Coimbra – Alta et Sofia
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コインブラ大学はもともと1290年にポルトガル王ディニス1世によってリスボンに開かれた大学を前身とし、コインブラのソフィア通りに移転したのは1308年のことである[63]。ソフィア通りには学寮が残る[12]。その後、リスボンに戻った時期もあるが、16世紀になるとコインブラのアルタ地区(山の手)に定着した[63]。主要な建造物群は、その頃から17世紀にかけて形成されたものである[12]。コインブラ大学はポルトガルでは最古の大学であり[63]、長い伝統を持つこの大学の影響は同国の植民地に築かれた大学へも及んだ[12]。適用された世界遺産の登録基準は (2)、(4)、(6) である。
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アル・ズバラの考古遺跡
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カタール
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登録
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登録
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Al Zubarah Archaeological Site
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Site archéologique d’Al Zubarah
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前年「情報照会」決議が出ていた物件の再審議である。登録対象は、カタール半島北部の漁村で発掘された都市や要塞の遺跡群である[64]。それらの遺跡は18世紀半ば以降に真珠取りとその交易で栄えていた頃のものであり、ペルシャやオスマン帝国といった大国の支配を受けずに、地域発展に貢献した都市の姿を伝えていることなどが評価された[20]。適用された世界遺産の登録基準は (3)、(4)、(5) である。
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ボルガルの歴史的考古学的遺産群
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ロシア
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不登録
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情報照会
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Bolgar Historical and Archaeological Complex
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L’ensemble historique et architectural de Bolgar
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この推薦物件は、中世都市の遺跡群などが対象となっている[65]。この物件は第24回(2000年)・第25回世界遺産委員会(2001年)で諮問機関が「登録」と勧告していたにもかかわらず[49]、「登録延期」決議が行われた[65]。このときに問題となったのは遺跡を復原する方法などについてで[49]、今回の審議では逆に諮問機関が完全性と真正性についても否定し[66]、「不登録」を勧告した。しかし、委員会審議では、諮問機関の協力のもとで当局が必要な措置を講じるものとし、翌年再審議することになり[39]、実際に翌年登録された。
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アランヤの歴史都市
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トルコ
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不登録
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――
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Historic city of Alanya
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Cité historique d’Alanya
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アランヤは古い歴史を持つ都市であり、セルジューク朝時代の建築物を中心に、古代ギリシアからオスマン帝国に至る幅広い時代の建造物や遺跡が残っている[67]。しかし、諮問機関は推薦資産の完全性と真正性の両方について否定的評価を下し、「不登録」を勧告した[68]。これを受けて、トルコ当局は審議前に推薦を取り下げた[69]。
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ケルソネソス・タウリケの古代都市とその農業領域(紀元前5世紀 - 14世紀)
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ウクライナ
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登録
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登録
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Ancient City of Tauric Chersonese and its Chora (5th century BC – 14th century AD)
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La cité antique de Chersonèse Taurique et sa chôra (Ve siècle av. J.-C. – XIVe siècle apr. J.-C.)
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登録対象は、セヴァストポリに残る古代ギリシャの植民都市の遺跡と、その後背地に開墾された矩形農地群のことである[70]。かつてはクリミア半島(タウリカ半島)周辺の交易圏の中核都市であり、農業領域も含めたかつての景観が保存されている[20]。19世紀以降に発掘が行われ、「ウクライナのポンペイ」の異名をとっている[70]。適用された世界遺産の登録基準は (2)、(5) であり、登録に際して名称から時期区分が除かれ、「ケルソネソス・タウリケの古代都市とその農業領域」となった。
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