篠ノ井橋
![]() 篠ノ井橋(しののいばし)は、長野県千曲市 - 長野市の千曲川に架かる国道18号の桁橋。 概要後述の通り、篠ノ井橋は古くからの街道の要衝にあって古くから架橋された。供用中の橋は永久橋としては2代目および3代目。 現況の諸元篠ノ井橋(2代永久橋・上り) 新篠ノ井橋(下り)
旧橋の諸元篠ノ井橋(初代永久橋)
歴史篠ノ井地域は江戸時代には北国街道が通る交通の要衝であった。1872年(明治5年)には千曲川の矢代(屋代)の渡しに12艘の船を並べ、長さ約80 m、幅約3 mの舟橋が架橋された[11]。北国街道は1885年(明治18年)の内務省告示第6号國道表により国道5号に指定された。1889年(明治22年)には篠ノ井橋は木橋となり、1910年(明治43年)10月に仮橋に架け替えられた[11]。この橋は橋長約270 m、幅員約3.6 mの県管理の橋で、国道と篠ノ井停車場の運輸が改善された[12][13]。この仮橋はまたの名を唐猫橋といい、平水時のみの木造投渡橋であった[2]。 1919年(大正8年)4月に旧道路法が公布され、旧来の国道5号の長野県区間は国道10号に指定された[11]。1923年(大正12年)2月28日に篠ノ井と屋代を結ぶ国道10号の篠ノ井橋の架設工事が着工され、取り付け道路工事の進捗が悪く、渡らずの橋などと揶揄されたが約4年後の1927年(昭和2年)10月に竣工し、11月22日に開通した[11]。総工費は約55万4千円であり、道路費は約15万1千円を占めた[11]。国庫から橋の建設費に3分の2、取り付け道路については2分の1の補助がなされた[11]。永久橋の開通に対し、篠ノ井町長をはじめ、地元は冷ややかな受け止めであった[13]。 その後、約20 m下流側に架け替えされた新橋が1972年(昭和47年)1月21日に開通し[2][15]、旧橋は1985年(昭和60年)に撤去された[9]。さらに、交通量の増大に伴い、1986年度(昭和61年度)に更埴拡幅が事業化され、上流側に新篠ノ井橋が架設され、更埴拡幅は1994年度(平成6年度)に事業完成した[3]。 脚注出典
出典
外部リンク
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