マイク・コンウェイ
マイク・コンウェイ(Mike Conway, 1983年8月19日 - )は、イギリスのレーシングドライバー。ケント州セブンオークス在住。 インディカーを経て2021年現在、WEC(世界耐久選手権)とIMSAウェザーテック・スポーツカー選手権に参戦している。 経歴ケント州ブロムリーに生まれる。1986年から1996年までセブンオークス・プレパラトリー・スクールで学んだ。 初期8歳のときにハートフォードシャーのライ・ハウス・カート・サーキットでゴーカートレースを始める。その後、フォーミュラAイギリスカートチャンピオンとなり、ヴァン・ディーメンからフォーミュラ・フォードに参戦、2004年にはフォーミュラ・ルノー UKチャンピオンを獲得する。2005年にはイギリスF3選手権に参戦した。 イギリスF3選手権で彼はルーキーとして最上位、アルバロ・パレンテ、チャーリー・キンボールに次ぐランキング3位となり、ザントフォールトで行われたマスターズ・オブ・フォーミュラ3で13位に入る。マカオグランプリでは14位に入った。 その成功に続いて、コンウェイは元F1ドライバーのマーティン・ブランドルとマーク・ブランデルが共同で創設した2MBスポーツ・マネージメントと契約し、キミ・ライコネンとスティーブ・ロバートソンがオーナーのライコネン・ロバートソン・レーシングに加入した。2006年シーズンはイギリスF3選手権で8勝を挙げてシーズンを支配、3戦を残してシリーズチャンピオンを獲得した。マカオグランプリは予選11位、レースでは7位に入った。 GP2![]() 2006年6月のシルバーストーンにて、GP2へのデビューを果たした。負傷したDPR・ディレクシブチームのオリビエ・プラの代役として出場し、レース1ではストールしたが11位に入り、レース2でも11位に入った。同年のマクラーレン・オートスポート・アウォードでは「ナショナル・ドライバー・オブ・ザ・イヤー」を獲得した。 2007年はスーパーノヴァ・レーシングからフル参戦する。シルバーストーンのフィーチャーレースでは2位に入賞した。また同年ホンダ・レーシング・F1チームのテストドライバーも務めた[1]。翌2008年は数チームでテストを行った後[2]、トライデント・レーシングに移籍する[1]。モナコではスプリントレースでGP2シリーズにおける初勝利を挙げ、フィーチャーレースではポールポジションから8位に入った。このレースでは最終ラップでハビエル・ビラと接触するまで彼は3位を走行していた[3]。マニクールではフィーチャーレースで8位に入ったが、スプリントレースではウェットコンディションの中6位入賞。同年のランキング12位で終え、前シーズンよりも2ランク上昇した。 インディカー2008年シーズン中にコンウェイはインフィニオン・レースウェイでインディカーのテストを行い、トップタイムをたたき出し数人のレギュラードライバーを驚かせた[2]。彼はドレイヤー&レインボールド・レーシングと契約し、2009年のインディカー・シリーズからフル参戦することが決定した。 2010年、この年のインディ500でライアン・ハンター=レイとの接触により宙を舞う大クラッシュに見舞われ負傷した。 2011年、アンドレッティ・オートスポーツに移籍。第3戦ロングビーチにてインディカー初勝利を挙げた[3]。 2012年はA.J.フォイト・レーシングに移籍するが、この年のインディ500において再び大クラッシュを喫し、前述の2010年と今回のクラッシュが引き金となりオーバルレースからの撤退を決断。ハイスピードオーバルコースでの開催だった最終戦フォンタナをウェイド・カニンガムに譲る形で欠場した。 2013年も、引き続きインディカー・シリーズに参戦。オーバルを除いたロード・ストリートレースのみ参戦する形となり、第3戦ロングビーチにレイホール・レターマン・ラニガン・レーシングから、それ以降はデイル・コイン・レーシングから参戦。デイル・コインでの初戦となった第6戦デトロイトでキャリア2勝目となる勝利を挙げる[4]。 2014年はエド・カーペンター・レーシングに移籍。オーバルではエド・カーペンターが、ロード・ストリートではコンウェイがドライブする参戦形態であったが、コンウェイは担当するストリートコースで強さを発揮し第2戦ロングビーチ、第14戦トロントとシーズン2勝を挙げる活躍を見せた[5][6]。 FIA 世界耐久選手権![]() 2013年、上記のインディカー・シリーズへのスポット参戦と平行して、FIA 世界耐久選手権LMP2クラスにG-Drive Racingのオレカ03R・日産で参戦し、クラス優勝4回の実績を残す。2014年はミレニアム・レーシングに移籍し中野信治、ステファン・ヨハンソンと共にオレカ・日産の23号車を駆りLMP2クラスにフル参戦する予定であったが[7]、開幕直前にチームの資金難から参戦困難となり[8]、一転しLMP1クラスのトヨタ・モータースポーツのリザーブドライバーに起用される。日本国内レースへの参戦に伴いWECを欠場する中嶋一貴に代わり第4・7・8戦でトヨタ・TS040 HYBRIDの7号車のステアリングを握る事となり、第7戦・バーレーン6時間レースではアレックス・ブルツ、ステファン・サラザンと共に優勝を飾った。なおF1経験のないドライバーとしては、トヨタがLMP1に復帰してから初のレギュラードライバーであった。 2015年はトヨタの正ドライバーとしてブルツ、サラザンとのトリオでTS040 HYBRID・2号車をドライブ[9]。2016年以降もトヨタに残留し、小林可夢偉とTS050 HYBRIDのシートをシェアし続けた[10]。 2019-2020年には選手権を制覇するも、ル・マンではトップ快走中の残り一時間というところでトラブルが出てしまい、優勝を逃した。 2021年ル・マンでは遂にポール・トゥ・ウィンでの初優勝を果たした。 FIA フォーミュラE選手権2014年7月3日、ドラゴン・レーシングからFIA フォーミュラE選手権に参戦する事が発表されたが、わずか2ヶ月後の9月5日にチームからの離脱が発表された。同チームのドライバには、コンウェイに代わりオリオール・セルビアが起用される[11]。 2016年の第4戦で解雇されたジャック・ヴィルヌーヴに代わり、ヴェンチュリー・フォーミュラEチームから7戦のみ参戦した[12] エピソード
レース戦績略歴
フォーミュライギリス・フォーミュラ3選手権
GP2シリーズ
インディカー・シリーズ
インディアナポリス500
フォーミュラE
(key) V8スーパーカー
(key)
スポーツカーFIA 世界耐久選手権
ヨーロピアン・ル・マン・シリーズ
ウェザーテック・スポーツカー選手権
ル・マン24時間レース
デイトナ24時間レース
参照
外部リンク
|
Portal di Ensiklopedia Dunia