パトリシオ・オワード
パトリシオ・"パト"・オワード・フンコ(Patricio "Pato" O'Ward Junco, 1999年5月6日 - )は、メキシコ・ヌエボ・レオン州モンテレイ出身のレーシングドライバー。2018年のインディ・ライツのチャンピオン。 経歴カート~スポーツカー![]() オワードは2005年の終わりにレーシングカートでのキャリアを開始し、2012年まで継続した。 2013年、ラタムフォルムラ2000、フォーミュラルノー1.6 NEC、パシフィックフォーミュラF2000でオープンホイールレースに出場した。 2014年にフランスに渡り、フランスF4選手権に出場した。 2015年、オワードはチーム ペルフリーと共にプロ・マツダ チャンピオンシップにデビューし2016年まで参戦。 2017年、PCクラスのパフォーマンステック・モータースポーツとウェザーテックスポーツカー選手権に出場した。オワードと彼のコ・ドライバーは、PCクラスで2017年のロレックス24時間レースとセブリング12時間レースで優勝。オワードはこの時17歳で、両方のレースに勝った最年少ドライバーとなった。オワードと彼のチームは、2017年のチャンピオンシップと北米耐久カップ(NAEC)で優勝した。 2018年、アンドレッティ・オートスポーツと契約し、インディ・ライツにフル参戦。全17戦のうち9レースで優勝し、ルーキー・オブ・ザ・イヤーとドライバーズチャンピオンシップのダブルタイトルを獲得。この活躍にレッドブルがオワードを注視し始めた。 レッドブル・ジュニアチーム2019年5月、オワードはレッドブル・ジュニア・チームと契約し、翌月、マハーヴィーラ・ラフナサンに代わりFIA F2選手権でレッドブル・リンクに参戦した。そして7月になると日本に渡り、スーパーフォーミュラでレッドブルが提携しレッドブル育成ドライバーを送り込んでいたチーム・無限[1]から参戦していたダニエル・ティクトゥムに代わり、第4戦富士ラウンドよりスーパーフォーミュラに参戦した[2][3][4]。中野信治監督のもと[5]、第6戦岡山では6位に入賞した。 しかし、FIAがインディライツシリーズの成績に付与するスーパーライセンスポイントを減らす変更を決定し、オワードのライセンスポイントは翌2020年のF1に参戦するために必要なポイントを満たさないことになり、そのため2019年以降はレッドブルより放出されることになった。これを受けオワードはインディカーシリーズに参戦する意向を示したため、レッドブルのヘルムート・マルコ博士は10月、レッドブルとオワードの契約を早期解除することに合意した[6]。これによりスーパーフォーミュラへの参戦も最終戦に参加せず終了となった[7]。 インディカーシリーズ2018年インディライツのタイトルを獲得してから2週間後、オワードはソノマ・レースウェイで2回目のハーディングレーシングエントリーでインディカー・シリーズデビューを果たし、予選を5位、決勝レースを9位でフィニッシュした。これは彼をデビッド・マルティネスと結びつけ、アメリカのオープンホイールレースでメキシコ人ドライバーによるデビューで最高位を達成した[8]。 2019年2019年、オワードはハーディング・スタインブレナーレーシングと契約し、コルトン・ハータとのルーキーコンビでインディカーフル参戦が決定していた[9]。ナンバー8がオワード、88がハータという事まで決定していたが[10]、開幕前にスポンサーの問題が生じ、チームの2台目のエンジンリースはインディアナポリス500のみの契約であることが明らかになった。このためチームはオワードのフルエントリーをサポートできなくなり、2月11日にチームから契約の無効を伝えられた[11]。 その後3月7日、オワードはカーリンとパートタイム契約を結び、2019年インディカーシーズンの13レースで参戦する契約を結んだ。オワードは、12レースでカーリンの2番目のエントリーカーをドライブし、インディアナポリス500ではカーリンの3番目の車をドライブする計画であったが[12]、マクラーレンレーシングからインディ500に参戦するフェルナンド・アロンソ用にカーリンが車を用意することになり、それにはオワードの乗る予定の3番目の車が使用されることになり、インディ500への出場は断念することになった。結局5月にオワードとレッドブルの間で新たな契約調印が締結されたためにオワードはF2とスーパーフォーミュラへの参戦が優先され、3月の契約で調印したインディカー参戦計画13戦のうち8戦の参戦にとどまった。同年のインディカーでの最高位はサーキット・オブ・ジ・アメリカズでの8位フィニッシュで、インディカーシリーズ年間順位は26位となった。 前述のレッドブル・ジュニア入りによるF2と日本のスーパーフォーミュラへの参戦を経て、FIAスーパーライセンスポイント制度の変更の影響よりレッドブルとの契約が解除されたあとの同年10月30日、オワードは新しく2020年シーズンのアローマクラーレンSPとの契約にサインし、インディカーにフル参戦で戻ることが発表された[13]。 2020年オワードは力強いシーズンスタートを切り、ロードアメリカのレース2を2位、アイオワレース1を4位でフィニッシュした。彼は、インディ500(COVIDのために8月に開催)に向けて総合ポイントランキングで4位となっていた。オワードは初のインディアナポリス500で0ルーキー・オブ・ザ・イヤーを受賞した[14]。ワールド・ワイド・テクノロジー・レースウェイ・アット・ゲートウェイのダブルヘッダーで表彰台を獲得[15]。 シーズン中盤戦のミッドオハイオ・スポーツカーコースで9位と11位、ハーベストGPレースで一時3位まで順位を上げ、5位でゴール。アロー・マクラーレンとの翌年の契約に署名した後[16]、彼はサンクトペテルブルクでのシーズン最終戦で2位表彰台を獲得、シリーズランキング4位となった[17]。 2021年オワードはフェリックス・ローゼンクヴィストと組んで、アロー・マクラーレンSPから継続参戦。開幕戦バーバーモータースポーツパークで幸先よくポールポジションを獲得したが、戦略が不十分だったため、決勝レースは5位でレースを終えた。しかし第4戦テキサス・レース2でインディカー初優勝を挙げ、以後安定して上位の成績を残し第13戦終了時にはポイントリーダーに立つなど、アレックス・パロウ、ジョセフ・ニューガーデン、スコット・ディクソンとシリーズチャンピオン争いを展開。最終的にシリーズランキング3位を獲得する[18]。 2022年引き続きアロー・マクラーレンから参戦。第4戦アラバマでシーズン初勝利を挙げ、第12戦アイオワ・レース2で2勝目と前年に続いてトップランカーとして争うも、トラブルによるポイントの取りこぼしもあり、シーズンランキングは前年より下がり7位となった。 この年の10月にはマクラーレンの計らいによりF1アメリカグランプリ前週にミカ・ハッキネンのアドバイスを受けながら1990年代の名車であるマクラーレン・MP4/5Bをデモランさせ[19]、F1第22戦(最終戦)アブダビGPの金曜FP1ではマクラーレン・MCL36での走行を担当。 F1公式セッションへデビューした[20]。 2023年アロー・マクラーレンに残留し、ローゼンクヴィストと、アンドレッティ・オートスポーツから移籍加入したアレクサンダー・ロッシとの3台体制となる。開幕から2戦連続で2位表彰台を獲得し、第6戦までにポールポジション、ファステストラップも記録。ポイントランキングでもトップ4をキープし続け、最終戦を終えて4回の2位、3回の3位と表彰台の常連として安定した結果を残す。しかし優勝だけは無いシーズンとなり、ランキング4位となった[21]。チーム内ではランキング最上位であった。 2024年アロー・マクラーレンでの5シーズン目を迎える[22]。インディカー参戦と並行して、マクラーレンF1のリザーブドライバーを務める[23]。 エピソード自身のあだ名でもある「パト(pato)」がスペイン語で「アヒル」を意味することから自身を表すロゴの一つとして使用している。ヘルメット[24]やアパレルグッズ[25]、ファンサービスやイベントの一環としてオワード自身もぬいぐるみなどのアヒルグッズを着用[26]している。 レース戦績略歴
フランス・F4選手権
アメリカン・オープン=ホイール・レーシングプロ・マツダ選手権
インディ・ライツ
インディカー・シリーズ
インディアナポリス500
IMSA・スポーツカー選手権
FIA フォーミュラ2選手権
スーパーフォーミュラフォーミュラ1
脚注
外部リンク
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