デイモン・スタウダマイアー

デイモン・スタウダマイアー
Damon Stoudamire
2021年のスタウダマイアー
ジョージアテック・イエロージャケッツ HC
役職 ヘッドコーチ
所属リーグ ACC
基本情報
愛称 Mighty Mouse
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 (1973-09-03) 1973年9月3日(51歳)
出身地 オレゴン州ポートランド
身長(現役時) 178cm (5 ft 10 in)
体重(現役時) 78kg (172 lb)
キャリア情報
高校 ウッドロー・ウィルソン高等学校
大学 アリゾナ大学
NBAドラフト 1995年 / 1巡目 / 全体7位[1]
プロ選手期間 1995年–2008年
ポジション PG
シュート
背番号歴 20, 3
指導者期間 2009年–現在
選手経歴
1995-1998
1998-2005
2005-2008
2008
トロント・ラプターズ
ポートランド・トレイルブレイザーズ
メンフィス・グリズリーズ
サンアントニオ・スパーズ
指導者経歴
2008-2009
2009-2011
2011-2013
2013-2015
2015-2016
2016-2021
2021-2023
2023-
ライス大学 (選手育成)
メンフィス大学 (AC)
メンフィス・グリズリーズ (AC)
アリゾナ大学 (AC)
メンフィス大学 (AC)
パシフィック大学
ボストン・セルティックス (AC)
ジョージア工科大学
受賞歴
Stats ウィキデータを編集 Basketball-Reference.com
Stats ウィキデータを編集 NBA.com 選手情報 NBA.Rakuten
代表歴
キャップ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
獲得メダル
男子バスケットボール
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
グッドウィルゲームズ
銅メダル - 3位 1994 サンクトペテルブルク
夏季ユニバーシアード
金メダル - 1位 1993 バッファロー

デイモン・ラモン・スタウダマイアーDamon Lamon Stoudamire1973年9月3日 - )は、アメリカ合衆国オレゴン州ポートランド出身の元プロバスケットボール選手、指導者。NBAで13シーズンプレーした。ポジションはポイントガード。178cm、78kg。元NBAプレーヤーのサリム・スタウダマイアーヒューストン・ロケッツなどに所属していたテレンス・ジョーンズ[1]は従兄弟にあたる。

経歴

生い立ち

スタウダマイアーは未婚の両親のもとで生まれ、父方の祖母のもとで育てられた。祖母はデーモンが高校生のときに他界するが、彼の腕には祖母の住所と名前が入ったタトゥーが彫られている。父親のウィリーはデーモンが7歳の頃にミルウォーキーに移り、その後は叔父2人が父親代わりになる。叔父のチャールズはデーモンのバスケットボールのコーチとして叔父のアンソニーはフットボールのコーチとしてデーモンを育て上げた。高校はウッドロー・ウィルソン高校に進学。スタウダマイアー擁する同校はオレゴン州屈指の強豪となり、彼の在学中74勝4敗を記録し2度の州チャンピオンになった。デーモン自身はその間26.1得点9.2アシストのアベレージを残し、2度のオレゴン州の年間最優秀選手と、コンバース選出のオールアメリカンに選ばれた。

大学時代

大学はアリゾナ大学でプレイ。2年目の1992-93シーズンからは3年連続でオールPac-10チームに選出され、94-95シーズンには平均22.8得点、7.3アシストをあげて、ジョン・ウッデン賞の最終候補にもなった。チームは1993年1994年のPac-10タイトルを制し、1994年のNCAAトーナメントではFinal4まで進出した[2]。在学通算1800得点、600アシスト、400リバウンド以上は、Pac-10出身の選手としては、ゲイリー・ペイトン以来の快挙であった。大学での選手登録期間満了(4年)後、1995年のNBAドラフトにエントリーした。

ドラフト前のスカウティングレポートでは、すばらしい能力を持っているが、5フィート10インチと背が低いことが問題だと評価された。アトランタ・ホークスの副社長からは、背が低い選手は非常に良いものがないといけないが、スタウダマイアーにはそれがないと言われた[3]

NBA時代

NBAは1995年のオフシーズンにトロント・ラプターズバンクーバー・グリズリーズを新たに創設した。

ラプターズの初代ゼネラルマネージャーは、アイザイア・トーマスであり、彼はポイントガードを補強することを望んでいた[3]。この年のNBAドラフトカナダトロントで開催され、地元ファンはラプターズがUCLA出身のスモールフォワードエド・オバノンを指名することを望んだが、ラプターズは1巡目7位指名権をデイモン・スタウダマイアーに使った。スタウダマイアーの名前が読み上げられた瞬間はドラフト会場内にブーイングが起こったほどであった。ドラフト全体7位での指名は、ドラフトロッタリー制度が導入された1985年のNBAドラフト以降、6フィート以下の身長の選手としては最高位であった[3]

スタウダマイアーのルーキーシーズンは、地元ファンの予想を良い意味で大きく裏切るシーズンとなった。身長178cmとNBA選手としては極めて小さい身体ながら、抜群のスピードとクイックネスを武器に得点とアシストを量産し、95-96シーズンは19.0得点、9.3アシストのアベレージを残し、NBA史上最も身長の低い新人王獲得選手となった[3]。ちなみにエド・オバノンは9位指名でニュージャージー・ネッツに入団するが、目だった活躍をすることなく1997年にNBAを離れた。スタウダマイアーと同じく1年目のラプターズは新設チームだけあって、21勝61敗と大きく負け越した。一方でこのシーズンマイケル・ジョーダン擁するシカゴ・ブルズは72勝というNBA史上最高勝率を記録しリーグを席巻していたが、ラプターズは僅か10敗しかしなかったこのブルズから、貴重な1勝をもぎ取っており、この試合でスタウダマイアーは30得点、11アシストと活躍した。2年目には平均20得点を突破し、翌97-98シーズンも平均19.4得点、8.1アシストという高い数字を維持するが、チーム成績は一向に向上する気配を見せず、このシーズン中にポートランド・トレイルブレイザーズにトレードされた[3]

ブレイザーズでは7シーズンプレーし、プレーオフに5回出場、カンファレンスファイナルに2度進出した[3]

選手層の厚いブレイザーズでは先発の座は確保したものの出場時間は減少したため、個人スタッツは全体的に後退し、98-99シーズンは12.6得点、6.2アシストとやや平凡な数字に終わった。1999-2000シーズンにはゲームメイクもできる名ポイントフォワードスコッティ・ピッペンが移籍してきたため、スタウダマイアーのスタッツはさらに後退したものの、選手層にさらに厚みを増したブレイザーズはリーグでも屈指の強豪チームへと成長し、プレイオフではカンファレンスファイナルまで進出。当時はロサンゼルス・レイカーズが3連覇を達成するなど、リーグを席巻していたが、ブレイザーズはレイカーズのライバルチームの1つとしてその時代を彩り、スタウダマイアーも先発PGとして重要な役割を果たした。しかしレイカーズ時代が終焉を迎えるとともに西の強豪ブレイザーズの内部でも暗雲が垂れ込め始めた。

端を発したのはスタウダマイアーの自動車運転中のスピード違反であった。この時スタウダマイアーの所持物のなかにマリファナが見つかり逮捕されると、さらにチームメイトのラシード・ウォーレスキンテル・ウッズがマリファナ所持で相次いで逮捕され、さらにはウォーレスとルーベン・パターソンが練習中に乱闘を演じるなど不祥事が絶えず、「ジェイル(監獄)・ブレイザーズ」と揶揄されるまでになった[4]。混沌とした02-03シーズンを送ったスタウダマイアーは、6.9得点、3.5アシストとプレイでも過去最低の数字を弾き出した。翌03-04シーズンには13.4得点、6.1アシストと復調したが、チーム戦績は低下する一方でこのシーズンにはついに5割となり、プレイオフ出場も逃した。04-05シーズンには27勝55敗にまで成績が落ち込み、不動の先発PGであったスタウダマイアーも8シーズン過ごしたブレイザーズをついに離れることになったが、ブレイザーズでのラストシーズンとなったこの年、スタウダマイアーは2つの記録を樹立した。まずは2005年1月14日のニューオリンズ・ホーネッツ戦でキャリアハイとなる54得点をあげ、ブレイザーズのフランチャイズ記録となった[5]。さらに4月15日には1試合だけでスリーポイントシュート21本を放ち、当時の1試合最多スリーポイントシュート試投数のNBA記録を作った(21本中5本成功)。

2005年の夏にフリーエージェントとなったスタウダマイアーに幾つかのチームが興味を示したが、最終的に同時にトレードに出されるジェイソン・ウィリアムスの後釜として獲得を希望したメンフィス・グリズリーズに移籍した。新天地での最初のシーズンとなった05-06シーズンは、12月30日の古巣ブレイザーズ戦で右膝の腱を断裂するという大怪我を負い、残りのシーズンを棒に振る事態となった。翌06-07シーズンチャッキー・アトキンスと出場時間を分け合ったため、平均得点は2桁を下回った。

07-08シーズン、新人のマイク・コンリー・ジュニアの活躍もあり、12月30日まで試合出場がなかった。2008年1月28日、グリズリーズを解雇された[6]。同年2月3日、サンアントニオ・スパーズと契約を結んだ[5]。2008年シーズンでは同じポジションのトニー・パーカーが好調なこともありほとんど出番なし。オフにも完全FAとなるが、チームと再契約することはできなかった。

08-09シーズン開幕前、ヒューストン・ロケッツのトライアウトに参加したが契約に至らず、現役を引退した[3]

現役引退後

2008年12月、ライス大学のアシスタントコーチに就任。2009年2月、メンフィス・グリズリーズのライオネル・ホリンズヘッドコーチのもとで、ヘンリー・ビビーとともにアシスタントコーチに就任した[7]

2011年5月、メンフィス大学のコーチングスタッフに加わった[2]

2013年5月、メンフィス大学を離れ、アリゾナ大学のコーチングスタッフに加わった。

2015年5月、アリゾナ大学を離れ、メンフィス大学のコーチングスタッフに再度加わった。

2016年3月、再度メンフィス大学を離れ、パシフィック大学のヘッドコーチに就任。2021年7月からはボストン・セルティックスのアシスタントコーチとして約2年在籍。

2023年3月13日、ジョージア工科大学のヘッドコーチ職に就任が決定した。

個人成績

略称説明
  GP 出場試合数   GS  先発出場試合数  MPG  平均出場時間
 FG%  フィールドゴール成功率  3P%  スリーポイント成功率  FT%  フリースロー成功率
 RPG  平均リバウンド  APG  平均アシスト  SPG  平均スティール
 BPG  平均ブロック  PPG  平均得点  太字  キャリアハイ
  リーグリーダー

NBA

レギュラーシーズン

シーズン チーム GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG PPG
1995–96 TOR 70 70 40.9 .426 .395 .797 4.0 9.3 1.4 .3 19.0
1996–97 81 81 40.9 .401 .355 .823 4.1 8.8 1.5 .2 20.2
1997–98 49 49 41.5 .425 .317 .844 4.4 8.1 1.6 .1 19.4
POR 22 22 36.6 .364 .263 .787 3.7 8.2 1.5 .1 12.4
1998–99 50* 50* 33.5 .396 .310 .730 3.3 6.2 1.0 .1 12.6
1999–00 78 78 30.4 .432 .377 .841 3.1 5.2 1.0 .0 12.5
2000–01 82 82 32.4 .434 .374 .831 3.7 5.7 1.3 .1 13.0
2001–02 75 71 37.3 .402 .353 .888 3.9 6.5 .9 .1 13.5
2002–03 59 27 22.3 .376 .386 .791 2.6 3.5 .7 .1 6.9
2003–04 82 82 38.0 .401 .365 .876 3.8 6.1 1.2 .1 13.4
2004–05 81 70 34.1 .392 .369 .915 3.8 5.7 1.1 .0 15.8
2005–06 MEM 27 27 31.9 .397 .346 .855 3.5 4.7 .7 .0 11.7
2006–07 62 51 24.2 .391 .337 .795 2.2 4.8 .8 .0 7.5
2007–08 29 29 21.5 .397 .383 .808 2.4 3.9 .7 .0 7.3
SAS 31 4 13.3 .301 .255 .750 1.5 1.7 .4 .1 3.4
通算 878 793 33.2 .406 .357 .833 3.5 6.1 1.1 .1 13.4

プレーオフ

シーズン チーム GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG PPG
1998 POR 4 4 41.5 .397 .364 1.000 4.3 9.5 1.3 .3 17.8
1999 13 13 31.0 .380 .455 .706 3.2 5.6 .6 .1 10.2
2000 16 16 27.9 .415 .333 .833 2.6 3.6 .5 .3 8.9
2001 3 3 38.0 .413 .154 1.000 3.0 4.3 .7 .3 17.7
2002 3 3 33.0 .227 .750 .667 2.3 3.3 .7 .0 5.0
2003 7 6 33.1 .456 .484 .952 5.1 5.6 .9 .3 15.3
2008 SAS 7 0 5.0 .333 .250 .667 1.0 .3 .1 .0 1.9
通算 53 45 28.2 .399 .389 .847 3.0 4.4 .6 .2 10.1

カレッジ

シーズン チーム GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG PPG
1991–92 アリゾナ 30 0 18.0 .455 .406 .771 2.2 2.5 .7 .1 7.2
1992–93 28 27 31.1 .438 .382 .791 4.1 5.7 1.6 .2 11.0
1993–94 35 35 33.3 .448 .351 .800 4.5 5.9 1.6 .1 18.3
1994–95 30 30 36.4 .476 .465 .826 4.3 7.3 1.7 .0 22.8
通算 123 92 29.8 .457 .402 .804 3.8 5.4 1.4 .1 15.0

脚注

  1. ^ Basketball is in Jones' DNA---ESPN.com
  2. ^ a b Jason Smith (2011年5月30日). “Memphis Tigers to introduce Stoudamire as assistant basketball coach Tuesday”. COMMERCIAL APPEAL. 2015年6月14日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g Draft flashback: Stoudamire made quick impact with Raptors”. tucson.com (2015年6月13日). 2015年6月14日閲覧。
  4. ^ The Jail Blazers: The Worst Behaved Team In Professional Sports History”. ELITE DAILY (2013年5月14日). 2015年6月14日閲覧。
  5. ^ a b Spurs Sign Damon Stoudamire”. nba.com (2008年2月3日). 2015年6月14日閲覧。
  6. ^ Sources: Stoudamire, Grizzlies agree on buyout terms”. ESPN (2008年1月27日). 2015年6月14日閲覧。
  7. ^ Hollins adds pair of new assistants”. ESPN (2009年2月8日). 2015年6月14日閲覧。

外部リンク

Prefix: a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9

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